チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

モモさんと大きな犬

2013年05月21日 | もも

雷雨、26度、93%

 我が家のモモさん、自分はそう大きな犬ではないのに、大きな犬がお好きです。桁外れて大きなニューファンドランド犬のファントム君や茶色のラブラドールのべべ君、あら、しかも男の子が好きなようです。モモさんだって、男の子です。

 ファントム君に出会うと、 いつもこんな風に戯れてしまいます。ファントム君はモモさんより少し若く6歳です。不思議なことに、どんなにしつこくモモさんが戯れても、怒りません。余談ですが、ファントム君をシャンプーの後乾かすのには2時間以上かかるそうです。 ファントム君、今日はお使いも兼ねています。なかなか別れがたいモモさんです。

 ラブラドールのべべ君にも同じ事をします。べべ君写真を撮ろうとすると、私の方によって来て、全然撮れません。

 そして、みんな男の子なので、道ではマーキング合戦です。 塀にかかったファントム君のおしっこをクンクン。右側がファントム君の跡です。それから、モモさん、精一杯足をあげて、ご自分も。左側です。

 一生懸命足をあげても、ご覧の通り。モモさんは、自分をどんな犬(?)と思ってるのかな、と不思議に思います。

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アボガドスプレッド

2013年05月20日 | 料理

小雨、28度、85%

 アボガドが大好きです。街路樹のアボガドが実もたわわになると、ぼとっ、ぼとっと落ちるアメリカ西海岸の街の話を読んだことがあります。道でかごを持って、落ちてくるアボガドをかご一杯に採れたら幸せだろうなあ、と見たこともないその街を思います。今まで、何個のアボガドの種を育てたでしょうか、私の背の倍以上になっても、アボガドは実を付けません。しかも、最近は、発芽すらしなくなりました。

 このアボガド香港人のお口に合わないので、需要が少ないせいか、日本の倍以上の値がついています。それでも昨今のフレンチやらイタリアンやらの流行で、買って行く人もぼつぼつ見られます。

 アボガドディップは、ガカモレとも呼ばれ、ニンニクやオリーブオイルとつぶしたアボガドを合わせたものです。難しく考えることもなく、おままごとの延長で完熟のアボガドを思い切りつぶして、好みでオリーブオイル、塩、レッドペッパーとニンニクをつぶして合わせればお仕舞い。これを、チップや生野菜のディップにすると美味しいものです。

 ニュジーランド産のアボガドスプレッド、アボガドをつぶしたものです。こんな高価なものは私は買いません。主人が試してみようと求めました。試すといっても、料理をするのは私です。ガカモレではなくて何かないかな?まあ、手っ取り早く、ショートパスタと合わせてみました。 ほんのりとアボガドグリーンです。アボガドペースとに少し塩が入っています。それでニンニクを搾ったものをたしただけで味を付けました。オリーブオイルも入れないのに、こくがあります。

 アボガドスプレッド、100gが2パックはいっています。あと一つ、昨晩このパスタを食べながら主人が考えた料理を作ります。

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バラを買うつもりが

2013年05月19日 | 

曇り、28度、87%

 先日帰国したおりには、バラ園を訪れる機会に恵まれました。庭に咲くバラは、切り花のそれとは違った趣です。何種類のバラがあったのでしょうか、持ち主の方も解らないと仰っていました。あの日以来、私の気持ちはバラモードに入っていました。

 香港に戻って来て、さあ、花市へ。当然、バラを買うつもりでした。帰りにはバラの大きな包みを抱えている自分を想像していたほどです。香港のバラは、主に中国昆明から入ってきます。あとはベトナム、一番いい品種はオランダからです。

 東洋の珍しい花をウォードの箱に入れ船で西欧に持ち帰った大航海時代から、人は変わらず花を求めて、世界を行き来しています。しかも、花は硝子の箱に入れられたり、空調の効いた飛行機に真綿にでも包まれるように運ばれます。

 箱を開けられ荷下ろしされるバラの横に立って、品定めです。オールドイングリッシュのような花びらのバラは滅多に入ってきません。クリーム色が薄くピンクに染まったようなバラを探していました。あまりイメージがはっきりしすぎています。見つかりません。こんな花と思って花市に来ると、よくこういうがっかりを味わいます。

 手ぶらで買えるにはもったいない、シャクヤク、あじさい、チューリップ、どれもピンと来ません。菊はねえ?と思いながら覘いてみます。大輪の菊ではありませんが、初めて見る菊が目に留まりました。以前、大きな黄緑の菊を初めて見た時は、それはビックリしたものです。この菊、 白い花弁に中心が黄緑、ところが花弁の縁がアイラインでもひかれたようにやはり黄緑です。

 菊の種類も、洋菊、和菊ともに増える一方です。この菊は洋菊かしら、交配、遺伝子交換とまだ花たちは、種類を増やして行くのかもしれません。日増しにアイラインの黄緑が薄くなってきました。清楚な花が部屋にあるのは、湿度の高い香港では空気洗浄機のようなものです。

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ニラの抜き菜

2013年05月18日 | 日々のこと

雷雨、26度、97%

 一見普通のニラに見えますが、実は、丈も太さも普通のニラの半分くらいの若いニラです。つまり、ニラを間引いた時に出る抜き菜。日本でもこんなニラが売られているのは見かけません。田舎の道沿いの穫れたて市場ならあるかもしれませんね。それとも、農家の方達ご自分で食べてしまうのかな?

 このニラの抜き菜のおいしさは、黄ニラに似ています。黄ニラはお日様に当てないで作るもやしニラです。柔らかくニラ独特の匂いがありません。この抜き菜はちゃんとお日様に当たっているのに、若いので柔らかく臭みがないのです。

 私の実家の周りも、小さかった頃は畑が拡がっていました。農家の方達は家の裏にニラや春菊を植えていました。間引くお手伝いなどすると、帰りには抜き菜を沢山持たせてくれました。私のニラの抜き菜好きは、その頃からです。

 さっと湯がいただけでも、甘みがあります。卵とじにしても、柔らかでいい歯触りです。

 この写真のニラの抜き菜、正真正銘の香港産。お隣中国からやって来た代物ではありません。香港だって中国との境に行くと畑が拡がっています。狭い土地ですので、目の前は海、山を背に小さな土地を耕しています。

 まだ、香港にやって来たばかりのことです。狸の子供や小さな人参をかごに入れて、市場に売りに来るおじいさんがいました。お店はないので、道端で商売です。時には、魚の干したものも持ってきます。そのおじいさんが夏になるこの時期に持ってくるのが、ニラの抜き菜でした。ほんのひと月の間しか楽しめないニラの抜き菜でした。

 考えてみると、あのおじいさんが来なくなってもう10年近くになります。ニラの抜き菜のことは、すっかり忘れていました。

 最近香港、水耕栽培や有機栽培、そして地産地消に目覚めて来ています。セントラルの市場にも、北京からきた葉物に並んで、本地と書かれた香港産の葉物が売られています。その隅っこに、あらまあ!お久しぶり、ニラの抜き菜の束を見つけました。お店のおばさん、一生懸命香港の野菜だと説明します。

 本当に久しぶりの若いニラです。まだ餃子に使ったことはありません、想像すると、インパクトに欠けた餃子になりそうです。お浸しにするか、吸い物にするか、柔らかさと甘みをいただきます。

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7年間迷って買ったTESSA KIROSの本

2013年05月17日 | 

雨、24度、95%

 一昨年、COOK BOOK COLLECTORという本を読みました。題名から、なんだか自分のことのようです。料理の本は、コレクターとまでは行きませんが沢山持っています。その大半が、レシピを見るためというより、写真から伝わって来る料理やテーブル周りのその雰囲気が好きで求めたものばかりです。それに、書いた人その人の人柄がにじみ出ているような料理の本が好きです。まず視覚に飛び込んでくる写真、そして著者の略歴なんかをざっと見ます。日本の料理の本にいたっては、好きな写真家が2人いて、彼らが撮った料理の写真は、一目で分かるほどです。

  TESSA KIROSの本に巡り会ったのは7年ほど前のこと、分厚い本で本屋の料理の本の所に並んでいました。えっ?これが料理の本?というか、こんな素敵な本があるのね、と驚いたものです。ブックデザインが、並外れています。 本の背、ペズリー柄の布です。毎日毎日本屋の通っては、迷っていました。7年前既に、もうこれ以上料理の本を増やすまいと、心に決めていたからです。それに、ここ香港でも、グラビアの多い輸入の本は決してお安くありません。その後立て続けに、彼女の本が刊行されました。本当にどの本も、ため息が出るほど素敵な本です。

 どの本も隅から隅まで、立ち読みします。彼女の人柄が、本の隅々にまでちりばめられています。変な話ですが、本屋に行って彼女の本が売られてしまっていると、ホッとしたものです。こういう本は、沢山入荷されません。入っても1、2冊。とにかく私にとっては誘惑の強い本たちでした。この2年ほど、本屋から彼女の本が姿を消していました。私の心は安泰。

 昨年暮れ、TESSA KIROSの新刊が、本屋に出ていました。私の知る限り6冊めでしょうか、またしても、心が揺れ始めます。昨年は実家の本も含めて、沢山の本を捨ててしまいました。本を増やすまいという気持ちは、以前にも増して強くなっています。新刊が出るのと同時に、以前の本も入荷されるのが香港の本屋です。数冊の新旧の本が並んでいます。

 3月に入って、そうだ自分の誕生祝いに1冊だけ買おう、と思いました。それでも買わずにひと月め、大事に抱えてレジに行きました。長いこと顔見知りの本屋の人たち、ただニッコリと、本を手渡してくれました。もちろん袋になんか入れません。ひしと抱えて家に帰りました。嬉しいので、その晩は、枕元に置いて休んだほどです。

 机の上に置いていた、その本を見た主人。初めて7年間の思いを、主人に話しました。そしたら、こんないい本買ったら?と言ってくださいます。涙が出るほど嬉しくて、早速2冊めを、 レシピ自体は、とっても大雑把なような気がします。そんなことどうでもいいのです。だって、家で作る作り慣れたもの、細かい量加減は必要ありません。

 レシピを見るというより、TESSA KIROS という人の生活を見せてもらっています。

 先日のカモメ食堂のようなシナモンブレッドは、このTESSA KIROSの本から作りました。刊行されている本全部いらないけど、あと1、2冊、などと思い描く私です。

 

 

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使い切る

2013年05月16日 | 日々のこと

曇り、28度、85%

 まだ、子供たちに勉強を教えていたときのことです。子供たちの筆箱を覗き込みながら、消しゴムを最後まで使ったことある?とか、ボールペンをインクが出なくなるまで、使ったことある?って尋ねてみました。みんな、使ったことがない、という返事。私だって、小さい時はいつも途中で投げ出して、新しいのをおろしていました。新しい物をおろすと、気分がいいからその時だけは、勉強しました。

 小さな物も使い切るようになったのは、やはり主婦になってからです。主人が働いて、持って来てくれたお金です、粗末には出来ません。しかも、大きなお財布ではありません。考えながら使います。20代の初めから、そういう生活を続けてきました。おかげで、少しは使い切るコツがつかめて来ました。コツなんていうものではありません。ただ、辛抱強く使うだけです。

 石けんは小さくなると泡がたたなくなります。主人は、そうなるとポイと捨ててしまいます。その小さい石けんと新しい石けんを合体させて使えば、どうにか使い切ることが出来ます。台所は使い切る、最も実験的な所です。調味料から食べ残しまで、いかに使い切るか考えます。作りすぎて残ったもの、美味しくなくて残ったもの、全部、私のお腹に入ります。一番苦心するのは水です。水を無駄なく使い切る、難しいなあ。

 もったいない気持ちで使い切ることを実践していますが、ただ辛抱強く使うだけです。でも、使い切った後にはご褒美があります。なんと言っていいか、とっても気持ちがいいのです。食べ残しのない冷蔵庫を開ける、使い切ったマヨネーズのチューブを捨てる、想像しただけでも胸がスカッとします。

 写真は口紅です。口紅って、容器の中と外に出ている大きさが同じではないかしら?口紅を使い切るのは根気がいります。使い終わると、スカッとするのと同時にホッとします。

 一番難しい水、形で見えませんからね、難しい。使い切るというか使い回すといった方がいいでしょう。まだまだ、主婦を続けます。楽しい仕事です。

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みちくさ

2013年05月15日 | 日々のこと

曇り、27度、92%

 朝、眠たげな子供たちがランドセルを背負って、学校の校門に吸い込まれるように入って行く朝の登校時を見ると、思わず微笑ましくなります。今日一日、この子たちは何をするんだろうなあ?勉強をするつもりで学校に行ってる子なんて、いないように思えます。私は一人っ子でしたし、地元の学校に通っていませんでしたから、学校に行かなければ友達がいませんでした。私にとって学校は友達に会える唯一の場所でした。眠くても、バスとちんちん電車を乗り継いでも、学校に行くのは好きでした。

 でも、私が本当に好きなのは、下校時の子供たちです。子供たちの顔が違います。開放感があって、だらけていて、いいよねそんな顔。しかも、一斉下校ではありませんから、年上の子供たちに気兼ねなくぶらぶらと歩いています。夕方までの時間、何しようか?なんて話してるのかもしれません。

 見出しの写真は、福岡の町中。3人の子供のうち、左端の大きい子は、ランドセルを背負っていました。横の2人子供は何やら、お財布を握りしめています。今から、どこに行くのかな?大きな子は、学校から、真っ直ぐ帰ってるわけではなさそうです。

 私の小学校時代のみちくさと言えば、学校を出て電車に乗るのに坂道を友達と下りることから始まります。今見るとそんなに長い坂ではないのですが、当時の私にとっては長い長い坂でした。電車を待ちます。ちんちん電車です。まだ、車掌さんもいました。乗る子供たちはみんな定期券を持っています。私は、その電停から3つ目の所で下りて、バスに乗り換えなくてはなりません。ところが、帰っても遊び相手は犬たちだけです。そこで、そのまま友達と一緒に電車に乗っています。一人の友達は、終点が彼女の家でした。この終点、福岡市の西の端の方でした。途中からは単線になります。その友達と一緒に終点まで行くのです。もちろん私の定期券、とっくに、区間を過ぎてます。終点で降りる友達の家に遊びに行くのではありません。ただ、終点まででも一緒にいたかったのです。さて、その終点から私がバスに乗り換える電停までは、そう、私一人で戻ります。一人ですから、長く感じます。だんだん、日も暮れ始めます。急に心細く感じます。そして、母がものすごく怒ることも思い出されます。お金なんて持ってませんから、帰りの電車賃は払えません。降り忘れましたとか、車掌さんに嘘をついていました。車掌さんも、そんな嘘わかっていても見逃してくれた時代です。

 原っぱで遊ぶ子供たちの姿なんて、とっくの昔に消えてしまいました。学校から帰ったら、塾通いです。下校時の子供たちのあのだらけた笑顔も見ることが少なくなってきました。私のみちくさ、電車のみちくさですが、いい思い出です。

 

 

 

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雑巾をしぼる時

2013年05月14日 | 日々のこと

晴れ、17度   福岡

 家で掃除をしていて、雑巾を絞る時には一度もないのに、墓掃除で雑巾を絞っていると必ず思い出す人、思い出す光景があります。

 小学校や中学校のときは、始業式の日には、新しい雑巾を必ず持ってくるように言われていました。その雑巾で、その学期の掃除をします。放課後は、椅子や机を後ろにさげて、床を拭いたり、机を拭いたり窓掃除もその雑巾でしていたように思います。

 私が思い出す人は、中学校で一緒だった人なので、昭和40年代の初めの頃のことです。掃除なんてあまり好きでない私は、うまいことさぼっていました。バケツの水換えに行っては、なかなか教室に戻らなかったりしたものです。先生がいる時は、ちゃんと掃除をしたりしていましたっけ。

 ところが彼女は、どんな時もまじめに掃除をする人でした。ところが、私の思い出す光景は掃除をしている彼女ではありません。冬だと思います、掃除の後に、雑巾を洗う彼女の横顔です。並んで雑巾を洗っていたのだと思います。私のは洗うのではなく、すすぐ程度です。ところが彼女は、ごしごし、何度も何度もこすってはすすぎます。その合間、雑巾に付いた汚れが取れたかどうか、確かめていました。つまり彼女の雑巾は、学期中いつも白かったのです。もちろん真っ白とは言いません。それでも、机の横にかかっている、彼女の雑巾だけは、いつも他の人より白でした。

 主婦になって、それなりに普通に掃除はします。掃除が嫌いではないようです。時には雑巾をごしごし洗うこともあります。白くなった雑巾をお日様のもと干すのは、気持ちのいいものです。

 中学校の時から、どんなに冷たい水でも雑巾を洗っていた同級生。名前が思い出せません。思い出すのは雑巾を洗っている時の横顔です。面長の色白の人でした。

 墓掃除の時に彼女のことを思い出すのは、夏でも冷たい墓の井戸水のせいだと思います。彼女は、今も雑巾を真っ白に洗おうとしているはずです。人に見られる見られないに関わらず、雑巾を白く洗って来たその人は、どんな人になってるのでしょうね。お会いしたいなと、雑巾をしぼりながら思いました。

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5月のバラ

2013年05月13日 | 

晴れ、16度、福岡

 昨日は、5月とは思えないほどの陽気でした。実家の家具や焼き物など私がこの2年半かけて残すと決めたものばかりを、一時的に実家から出す事にしました。実家の改築は、この連休明けから、塀や庭の外回りの工事は始まっています。庭の木がなくなること心が痛んでいました。確かに木はなくなっていましたが、その分、家の風通しが良くなって、家が喜んでいるように見えます。

 この荷物の搬出、細々した小さいものはありません。すっきりした荷物の搬出です。それなのに、事前からとても神経質になっていました。初めて、お仏壇を家から出します。しかも、1年近くかかる工事です。こんなことに気を煩わせるのも、年齢のせいでしょうか。位牌と仏像を母の所に移すことに決めていました。晴れ渡るような空が、後押しをしてくれたかのように、荷物の搬出は無事に済みました。荷物は、福岡市の西、ミカン山が拡がる麓の大きな倉庫に預かってもらうことになりました。

 新緑の様々な色の緑が拡がる中、ふーっと甘い香りがします。ミカンの花です。疲れが体からスッと流れて行くようです。搬入が終わると、私を案内してくださった方が、ご自分も疲れてらっしゃるのに、バラ園に連れて行ってくださいました。

 個人の方がご自分の庭を解放して見せてくださっています。こうして、庭に咲き乱れるバラを見るのは、考えてみると随分久しいことです。香港の庭木にバラはありません。切り花ばかりです。しかも、八重のバラなど滅多に入ってきません。

 素敵な名前がついているのですが、覚えられないので、名前は入れませんが、きれいなバラをご一緒に。

   セピア色の写真を見るようなバラの色です。

  紫のバラ。 可愛い子供が笑っているようですね。 こんな立派なバラは、ほとんど初めて見ます。 ピンクと言っても、透き通るようなピンクから華やかなピンクまで。 

  紅茶のような色。私の好きな色です。 こちらはややクリーム色。

 好みはみんな違うでしょうが、 やはり白のバラは気品が香ります。

 持ち主の方にもお会い出来ました。実はバラばかりではありませんでした。いろいろな種類の花が植えられています。この暖かさで、バラはこの1週間が見頃だそうです。バラも香りがいいものですが、 この花が、いい匂いを放っていました。何の花かしら?

 香港から帰った私は、家の庭に立っていても、緑が薫ります。ミカンの花、バラの花、いろいろな自然の香りに体も心も落ち着きを取り戻したようです。

 見出しの写真は、バラ園から佐賀県に連なる山を見た所です。

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2013年05月12日 | 旅行

腫れ         福岡

 何処に旅行に行っても、電灯がついていても、大きな音がしていても、ほとんど気にならずにコトンと眠りに就きます。眠りに就くことは出来るに、急に夜中に起きてしまうことがあります。首の後ろの辺りが、何やら変な感じです。

 枕か高かったり、堅かったり、私に合わないようです。泊まるホテルによって、本当に様々なのがこの枕。大きさも、堅さも、まちまちです。確かに何か基準になるものがあるわけではありません。枕の好みは、人それぞれです。日本のホテルでは、枕を取り揃えていて、クレームによっては取り替えてくれる所もあるそうです。枕ばかりかクッションを枕元に備えているホテルもあります。ご自分で調節してください、という意味かしら?

  これが昨晩使った枕です。そんなに違和感なく、寝ることが出来ました。ところが朝起きてみると、枕は床に飛ばされていました。安定感を出すために、枕の裏にはなにか重いものが入っています。枕自体重いものです。

 寝てる間にこの枕をいやになったんでしょうね、自分でも知らずに、投げてしまったようです。随分以前から、枕が合わないなと思うと、枕なしで休むことにしています。仰向けに寝るときも、枕がないと背骨を感じることが出来て、いい調子です。横向きならば、腕枕。

 朝起きた時、首、肩がおもく感じるのは、一日のスタートには不向きです。よく考えられた枕、テンピュールの枕も使ってみました。どうもうまく馴染みませんでした。旅行で、一番懐かしく思うのは、使い慣れた自分の枕です。

 

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