曇り、27度、92%
朝、眠たげな子供たちがランドセルを背負って、学校の校門に吸い込まれるように入って行く朝の登校時を見ると、思わず微笑ましくなります。今日一日、この子たちは何をするんだろうなあ?勉強をするつもりで学校に行ってる子なんて、いないように思えます。私は一人っ子でしたし、地元の学校に通っていませんでしたから、学校に行かなければ友達がいませんでした。私にとって学校は友達に会える唯一の場所でした。眠くても、バスとちんちん電車を乗り継いでも、学校に行くのは好きでした。
でも、私が本当に好きなのは、下校時の子供たちです。子供たちの顔が違います。開放感があって、だらけていて、いいよねそんな顔。しかも、一斉下校ではありませんから、年上の子供たちに気兼ねなくぶらぶらと歩いています。夕方までの時間、何しようか?なんて話してるのかもしれません。
見出しの写真は、福岡の町中。3人の子供のうち、左端の大きい子は、ランドセルを背負っていました。横の2人子供は何やら、お財布を握りしめています。今から、どこに行くのかな?大きな子は、学校から、真っ直ぐ帰ってるわけではなさそうです。
私の小学校時代のみちくさと言えば、学校を出て電車に乗るのに坂道を友達と下りることから始まります。今見るとそんなに長い坂ではないのですが、当時の私にとっては長い長い坂でした。電車を待ちます。ちんちん電車です。まだ、車掌さんもいました。乗る子供たちはみんな定期券を持っています。私は、その電停から3つ目の所で下りて、バスに乗り換えなくてはなりません。ところが、帰っても遊び相手は犬たちだけです。そこで、そのまま友達と一緒に電車に乗っています。一人の友達は、終点が彼女の家でした。この終点、福岡市の西の端の方でした。途中からは単線になります。その友達と一緒に終点まで行くのです。もちろん私の定期券、とっくに、区間を過ぎてます。終点で降りる友達の家に遊びに行くのではありません。ただ、終点まででも一緒にいたかったのです。さて、その終点から私がバスに乗り換える電停までは、そう、私一人で戻ります。一人ですから、長く感じます。だんだん、日も暮れ始めます。急に心細く感じます。そして、母がものすごく怒ることも思い出されます。お金なんて持ってませんから、帰りの電車賃は払えません。降り忘れましたとか、車掌さんに嘘をついていました。車掌さんも、そんな嘘わかっていても見逃してくれた時代です。
原っぱで遊ぶ子供たちの姿なんて、とっくの昔に消えてしまいました。学校から帰ったら、塾通いです。下校時の子供たちのあのだらけた笑顔も見ることが少なくなってきました。私のみちくさ、電車のみちくさですが、いい思い出です。