晴れ、17度 福岡
家で掃除をしていて、雑巾を絞る時には一度もないのに、墓掃除で雑巾を絞っていると必ず思い出す人、思い出す光景があります。
小学校や中学校のときは、始業式の日には、新しい雑巾を必ず持ってくるように言われていました。その雑巾で、その学期の掃除をします。放課後は、椅子や机を後ろにさげて、床を拭いたり、机を拭いたり窓掃除もその雑巾でしていたように思います。
私が思い出す人は、中学校で一緒だった人なので、昭和40年代の初めの頃のことです。掃除なんてあまり好きでない私は、うまいことさぼっていました。バケツの水換えに行っては、なかなか教室に戻らなかったりしたものです。先生がいる時は、ちゃんと掃除をしたりしていましたっけ。
ところが彼女は、どんな時もまじめに掃除をする人でした。ところが、私の思い出す光景は掃除をしている彼女ではありません。冬だと思います、掃除の後に、雑巾を洗う彼女の横顔です。並んで雑巾を洗っていたのだと思います。私のは洗うのではなく、すすぐ程度です。ところが彼女は、ごしごし、何度も何度もこすってはすすぎます。その合間、雑巾に付いた汚れが取れたかどうか、確かめていました。つまり彼女の雑巾は、学期中いつも白かったのです。もちろん真っ白とは言いません。それでも、机の横にかかっている、彼女の雑巾だけは、いつも他の人より白でした。
主婦になって、それなりに普通に掃除はします。掃除が嫌いではないようです。時には雑巾をごしごし洗うこともあります。白くなった雑巾をお日様のもと干すのは、気持ちのいいものです。
中学校の時から、どんなに冷たい水でも雑巾を洗っていた同級生。名前が思い出せません。思い出すのは雑巾を洗っている時の横顔です。面長の色白の人でした。
墓掃除の時に彼女のことを思い出すのは、夏でも冷たい墓の井戸水のせいだと思います。彼女は、今も雑巾を真っ白に洗おうとしているはずです。人に見られる見られないに関わらず、雑巾を白く洗って来たその人は、どんな人になってるのでしょうね。お会いしたいなと、雑巾をしぼりながら思いました。