猫の1年は、
人の4年分だと言われている。
おはようございます。
だから、人は猫に追い越されてしまう。
出会った時は、私はまるで親の気持ちになったのに、
10年も共に暮らしてみれば、すっかり追い越されいる。
うんこさんは、もう13歳だ。
拾った時は、眼もまともに開いてない、小さな小さな猫だった。
あの日から、私は、うんこの親になった。
なったつもりで育てたのだ。
努力なんて要らなかった。
意識しなくとも、私は親の気持ちでいた。
辛いくらい、親の気持ちになっていたから、
うんこが病気にかかった時、全身が震えて立てないほど取り乱した。
そんな私を支えてくれたのは、当時8歳だった、うめさんだ。
猫の8歳といえば、人に換算して48歳。
13年前の私より、うめは年上だった訳だ。
うめさんだって、子猫の頃は、私の子だったのに、
あの頃にはとっくに、私を追い越して、師匠のような存在だった。
もはや、敬語で話しかけていた。
そう考えてみれば、
わざわざ換算しなくても、
猫は歳を追うごとに、ちゃんと私を追い越していく。
そして、猫同士の関係も、歳を追うごとに変わっていく。
おたまが子猫だった頃、あやは面倒見の良い姉のようだったが、
今じゃ、時々、見てらんない位の見苦しい喧嘩をする。
おたまは、ぶん殴られても、あやが好きだが、
あやは、気分次第で、おたまをぶん殴る。
かと思えば、私に叱られたあやを慰めるのは、いつも、おたまなんだもんな。
それじゃ、悪者は私になっちゃうやないか!
8歳のあやは、私と同世代。
今の私達は、ちょっとライバル的存在だったりする。
かと思えば、慰めあったりもする訳で、親友のような関係だ。
おたまは、私にとって、つれない男の子だ。
年下の男の子。換算すれば30代なかば。
付き合ってみたい!
たれ蔵とのん太は、ちびっ子ギャングと言いたいところだが、
たれ蔵が良い子のお手本を担って、まるでボーイスカウトのようだ。
とっても健全な子供たちだ。
もっと、怒鳴らせてほしいと思ってしまうくらいだ。
私は、のん太の曲者っぷりは、いつ突出してくるかな?と腕まくりしている。
うんこさんは、今や我が家の最長老だ。
常に穏やかにどっしりと存在している。
子猫だろうが我儘な中年女だろうが白い舐め魔の男だろうが、
分け隔てなく、落ち着いて接する。
そして、私にとっては、宝だ。
あれ?鼻にクリーム着いてるぞ。
また、盗み食いしたな~?!
あの暴れん坊過ぎて、泣きが入ったほどの猫が、
今や、私の宝物だ。家宝だ。
そして、換算さえ出来ない歳で逝ってしまった子猫もいる。
たった23日間しか居なかった子猫だったが、
私は、いまだに、あの子の事が語れない。
語れるほど思い出の数もない。
ただ、心の中の、あの子のためのスペースがぽっかり空いたままで埋まらない。
こんな気持ちは、初めてだ。
辛いけど、愛おしい痛みだ。
こしょうは、ずっと、私を母親のままにしてくれている。
私の可愛い子、そのままに。
だから辛いのなら、私はそれさえ愛おしく思えるんだ。