うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

猫と私

2019年11月24日 | 日記

猫の1年は、

人の4年分だと言われている。

 

おはようございます。

だから、人は猫に追い越されてしまう。

出会った時は、私はまるで親の気持ちになったのに、

10年も共に暮らしてみれば、すっかり追い越されいる。

 

うんこさんは、もう13歳だ。

拾った時は、眼もまともに開いてない、小さな小さな猫だった。

あの日から、私は、うんこの親になった。

なったつもりで育てたのだ。

努力なんて要らなかった。

意識しなくとも、私は親の気持ちでいた。

辛いくらい、親の気持ちになっていたから、

うんこが病気にかかった時、全身が震えて立てないほど取り乱した。

そんな私を支えてくれたのは、当時8歳だった、うめさんだ。

猫の8歳といえば、人に換算して48歳。

13年前の私より、うめは年上だった訳だ。

うめさんだって、子猫の頃は、私の子だったのに、

あの頃にはとっくに、私を追い越して、師匠のような存在だった。

もはや、敬語で話しかけていた。

 

そう考えてみれば、

わざわざ換算しなくても、

猫は歳を追うごとに、ちゃんと私を追い越していく。

 

そして、猫同士の関係も、歳を追うごとに変わっていく。

おたまが子猫だった頃、あやは面倒見の良い姉のようだったが、

今じゃ、時々、見てらんない位の見苦しい喧嘩をする。

おたまは、ぶん殴られても、あやが好きだが、

あやは、気分次第で、おたまをぶん殴る。

かと思えば、私に叱られたあやを慰めるのは、いつも、おたまなんだもんな。

それじゃ、悪者は私になっちゃうやないか!

8歳のあやは、私と同世代。

今の私達は、ちょっとライバル的存在だったりする。

かと思えば、慰めあったりもする訳で、親友のような関係だ。

おたまは、私にとって、つれない男の子だ。

年下の男の子。換算すれば30代なかば。

付き合ってみたい!

 

たれ蔵とのん太は、ちびっ子ギャングと言いたいところだが、

たれ蔵が良い子のお手本を担って、まるでボーイスカウトのようだ。

とっても健全な子供たちだ。

もっと、怒鳴らせてほしいと思ってしまうくらいだ。

私は、のん太の曲者っぷりは、いつ突出してくるかな?と腕まくりしている。

 

うんこさんは、今や我が家の最長老だ。

常に穏やかにどっしりと存在している。

子猫だろうが我儘な中年女だろうが白い舐め魔の男だろうが、

分け隔てなく、落ち着いて接する。

そして、私にとっては、宝だ。

あれ?鼻にクリーム着いてるぞ。

また、盗み食いしたな~?!

 

あの暴れん坊過ぎて、泣きが入ったほどの猫が、

今や、私の宝物だ。家宝だ。

 

そして、換算さえ出来ない歳で逝ってしまった子猫もいる。

たった23日間しか居なかった子猫だったが、

私は、いまだに、あの子の事が語れない。

語れるほど思い出の数もない。

ただ、心の中の、あの子のためのスペースがぽっかり空いたままで埋まらない。

こんな気持ちは、初めてだ。

辛いけど、愛おしい痛みだ。

こしょうは、ずっと、私を母親のままにしてくれている。

私の可愛い子、そのままに。

だから辛いのなら、私はそれさえ愛おしく思えるんだ。