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うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

千回超えたら?

2025年07月02日 | ひーちゃんのこと

やっとの思いで切り抜けた、6月。

 

おはようございます。

父は胸椎の圧迫骨折で入院し、

その4日後、秘密のひーちゃんを拾い、私の暮らしは一変した。

それに伴い、我が家も激変だ。

猫を保護すれば、必ず入れる保護部屋がでっかい鳥小屋になり、

気付けば7月になっていた。

 

あやが、おばおばおばちゃ~んと言うとる。

ままん、毎度ありがとうございます。

 

こんな台詞を予感してか、

今は秘密のひーちゃんが「おばおばおばた〜ん」と騒がしい。

ひーは、すっかり飛ぶのも上手くなった。

その点では、放鳥も近いかと思いきや、まだ餌を自分でついばめない。

とはいえ、成長はしている。

ずっとクチバシを無理にこじ開けて強制給餌していたのに、

やっと、さし餌の注入器を、

上手に自ら喉に迎え入れることが出来るようになった。

これを成長と呼べるかといえば、むしろ後退かも知れない。

食べさせてもらえるのが上手くなってしまったら、駄目じゃん?!

それでも私は、嬉しかった。

ちゃんと自力で飲み込めるようになったのだから。

 

考えてみれば、

以前もスズメの雛を拾ったことがあった。

当時、我が家のおじさんの父親が危篤状態になり、

私は、せめて穏やかな最期でありますようにと願をかけて

千願読経に取り組んでいた。

これには、日数を決め、誰にもバレずに、

般若心経を千回唱えるという決まりがある。

私は、1週間と期間を決め、読経を始めた。

1日に100回以上、誰もいない所で唱えなければならない。

その最中、ツンツルテンの雛を拾い、必死で育てているうちに

私の願いはすり替わり、

雛が息絶える頃、一心に願い唱えていたのは、雛の命に向けたものだった。

999回唱え終わった時、雛は死んだ。

最後の千回目、声も枯れ果て泣きながら唱え思い知ったことは、

何かを一心に願うということは、

そんなに簡単で軽いもんじゃないということだった。

馬鹿な自分を思い知った。

 

今はひーちゃんを育てながら、かずこに

「あれ?ジジィどこ行った?」

に対し、

「ジジィは背骨の骨を折って、入院しとる」

を1日に100回以上唱えている。

どうやら、

スズメを拾うと、何某か唱え続けなくちゃならないように出来ているらしい。

 

おい、おたま!

君は、相変わらず、

あや姉ーあや姉ーと唱えとるな。


久々なのに、長くてすみません

2025年06月24日 | ひーちゃんのこと

保護している雛が、

ようやく、あわ玉をついばめるようになって来た。

それに、大喜びした朝、

駐車場の端で死んでいるスズメを見つけた。

 

おはようございます。

傷ひとつ見当たらぬ成鳥だった。

その様が私に、

育つことは、嬉しい事ばかりじゃないと思い出させた。

虫を捕まえられる程になれば、私はあの子を空に放つのだから。

あれ以来、私は、

笑っちゃうくらい不恰好に水浴びする雛を見て、

手を叩いて笑うくせに、目の奥で涙を堪えるようになって来た。

 

そうだ。

そういえば、

入院中の父は鳥を育てるのが上手かった。

文鳥やセキセイインコ、オカメインコも、育てたのは父さんだった。

見舞いに行った時、雛の話をしてやろう。

そう思い立ち、父に会いに行くと、病室に入る寸前、

看護師が飛んで来た。

「お父さま、かなり要求が多くてですね。

スマホが盗られたとか、冷えた物しか飲まないとか、色々と。

特に夜中にヒートアップしちゃって、昨夜は看護師に物を投げちゃって。

こちらで管理するのでスマホを持って来てもらえませんか?

渡しちゃうと、きっと娘さんにめちゃくちゃ電話しちゃいますよね?

見せるだけでも、ご納得されるかもだから。」

私は頭を下げながら、心の中で、ヨシヤスよ、お前もか?!と連呼した。

「わしの娘は盗人で食っとる」

と豪語する、手癖の悪いかずこに続き、父も物盗られ妄想が出てきた。

幸い、我儘な要求が多いのは認知症ではなく昔からだが、

これを幸いと呼ぶべきか?

けれど、入院で物を投げ付ける行為は、ヨシヤス史上初だと思う。

これは、脳の萎縮が原因かも知れない。

大暴れするかずこ程じゃないが、物を投げるとは・・・

 

私は雛のことは話さないでおこうと決めた。

そんな微笑ましい話、父さんになんかしてやるもんか!

おかげで、

なかなか言い出せなかった事を父に伝えることに決め、

有料老人ホームの冊子を父に渡した。

「退院後、ここで療養した方がいいよ。

あっちこっち探してさ、この施設が、いっちゃんええとこ!」

 

去年末辺りから、父の衰えは顕著だった。

体も脳も、たぶん心もだ。

そろそろ、

この老夫婦の暮らしを変えざるを得ないと思っていた。

かずこの施設入所は難しい。

環境の激変で、囚われの宇宙人みたいにパニックになってしまう。

父なら、イケる!はず?!

けれど、タバコの煙と父の悪態で淀んだ部屋の中で、

ドロドロに酔った父は、

「車を取り上げられたから、俺はおかしくなったんだ。

やいのやいの言いやがって。

ババァは、ボケて何もしてくれなくなったしよぉ。

人生最後で、こんな羽目になるとは思わんかった。

もう、どうでもいいから、施設にでも放り込め」

と言った数分後に、

「施設になんかほうりこみやがったら、

お前を恨んで恨み抜いて死んでやる。」

と言う。

こんな事を毎日言われ続け、私の体も脳も、たぶん心も荒んで行った。

そんな中、汚れた床に、ポロリとおかずを落として、

ニカッと笑うかずこを見れば、胸が締め付けられる。

立て、あたし!

動け、あたしめ!!

そう奮い立たせようとしても、視線は自分の足の特徴的な親指だった。

「変な指…けろっこデメタンみたい。」

 

父が胸椎の圧迫骨折で入院したことも、動く原動力にはならなかった。

世話する老人が1人減ったことへの安堵感でか、

一日中、眠くて眠くて堪らない。

それでも、かずこの介護と父の病院への往復は逃げられない。

こんな時、頼れる福祉は、限られている。

当てにするのは大事だが、限られていることは事実だ。

使う人間にサービスがマッチしなければ、

家族の負担は逆に増えることになる。

例えば、1週間全てデイサービスに預けると、

送り出す私は、1週間全て、会社は遅刻早退だ。

しかも、かずこがデイサービスで酷くごねれば、

途中で迎えに行かなければならない。

ショートステイも同じだ。

福祉サービスは、

いかに、利用者や介護者にマッチしたサービスを受けるかが肝心なのだ。

 

私は雛を拾ったのは、そんな最中のことだった。

一旦、雨が降り始めた空を見上げ、考えた。

「この感じの雛なら、1〜2時間のさし餌だ。物理的に出来るか、

出来るの?え〜っと・・・」

口をポカンと開けて考えに考えて分かったことは、たったの一つだった。

「あたしはアホだ。」

私は、雛をタオルに包んで車に乗り込んだ。

 

当然、壮絶な忙しさが訪れた。

日が昇れば給餌が始まり、午前だけで、猫→雛→かずこ→雛→雛→かずこだ。

もちろん、会社にも連れて行く。

そろそろ、クビを洗っておいた方がいいが、隣のデスクの熟女が、

「きゃー!」

と気付いてしまい、しかし、

「キャワイイ〜!!」

と泣いた。

社長は、雛をスマホで撮影して家族に

「マジかわいい」とコメント付きで送信した。

雛、弊社採用だ。

 

たった今、その雛が、

生きたミルワーム(イモムシ)を食べた。

やっと、自力で食べた!

私は今、社内でガッツポーズしているが、心の奥は泣きそうだ。

それでも、雛が育ちゆくスピードの中で走っている。

雛の巣立ちのため、老夫婦の新たな暮らしのため、

あれだけ憔悴していたことが嘘みたいだ。

あの時、

ひーちゃんと出会わなければ、私は走り出せなかった。

今もウジウジしていたに違いない。

一丁前にミルワームを食べた雛は、いそいそと私の肩に登った。

まるで、まだまだ雛だ。

もう少し、一緒に走れる。

飛び立てるまで、もうしばらく。

その頃には、父と母を引き離す事にもなるだろう。

 

出会いとは、奇異なものだ。

のん「と言ってるかかぁの肩は、糞だらけら」

 


アワアワ忙しいでしが元気です

2025年06月11日 | ひーちゃんのこと

前回記事を、引き下げた。

 

読んで下さった方々は、ご心配頂いているかも知れないけれど、

安心してください。

 

あの子は元気だし、私は投げ出したりしない。

アレです。

コンプライアンス的な理由で、公開を自粛した。

私の行為は『鳥獣保護法』違反だから。

 

スズメは親鳥から巣立てたとしても、

1年生きられるのは2割にも満たない。

人に育てられたスズメは、ゼロに近いと見られている。

かといって、巣立ちの雛ではない場合、

巣から落ちた時点で、生きられる可能性はゼロに等しい。

その死骸は他に食されることで命を繋ぐ。

自然の摂理とは、そういうものだ。

 

けれど、人間社会は、時に自然の摂理に抗う。

その中で、人はどう生きるのか。

私は時に、人間社会の規則に従い、時に破る。

自然の摂理を重んじたり、抗ったりもする。

どう生きたいか、

その答えがわからなくたって、たくさんの選択をし続ける。

未来なんて考えもせず、

今、私は選択をし続けながら生きている。

 

今、私はどう生きるか。

私は、私の中に起きる一瞬の衝動だけを信じて生きる。

その衝動を、私は愛と呼んでいる。

 

おい、おたま!

君は、いい感じにいきてるよなぁ〜

 

おたま「そんなこと言う暇あったら、ここ片付けろだ!」

いいの。私は、こういきるのだぁー!