左手の甲に書いたMの文字が
まだ消えない。
おはようございます。
書いたのは、月曜日だ。
これは、私のパンツのサイズだ。
事の始まりは、
先週、母さんが尿漏れパット付きのパンツを頼んできた日だ。
母さんは通販のカタログを見せながら
「ほい、これを頼んでくれ」と印を付けた。
だったらついでに、私のパンツも注文することにした。
いや、私は尿漏れパットの付いていない物を頼んだのだが、
どさくさに紛れて、母さんに一括で支払わせてやろうと企んだのだ。
パソコンから注文して、待つこと数日。
メールに発送のお知らせが届いた。
金額は、母さんのパンツ代に、私のパンツ代が同等に加算されているから、
倍の金額となっている。
「大丈夫、ばれやしないさ」
どんどん、いろんなことを忘れていく母さんが、
金額なんて覚えているはずなどない。
しかし、そこからが問題だ。
発送のメールに安堵した私は、この時点でパンツの事を
いっさいがっさい忘れてしまったのだ。
先週の金曜日の朝、実家へ行ってみると、
母さんは、冷蔵庫にマグネットで貼られた請求書を睨んでいる。
「それ、なに?」と聞くと、
「何なのかが分からんのや。一万円も何を誰が買ったんや?」
納品書は無いのかと聞くと、「知らん、覚えとらん」と繰り返すばかりだ。
「請求書があるという事は、品物もあるはずだろ?」
それでも母さんは、
「それらしい箱はあるんやけど、わし、どっかに片づけたんか?」
と、何もかも、すっかり忘れてしまっている。
「これ、払った方がええんかや?」
そう呑気に聞いてくる母さんに、私は苛立ちを覚えた。
どんどん何でも忘れていく母さんに、やるせない気持ちを
ぶつけそうになりながら、ぐっと堪えて
「ちょっと調べとくで、まだ払ったらあかんよ」と伝えて実家を出た。
こんな事、初めてではない。
母さんは、もう私の年齢さえ覚えていない。
私が、子供の頃から肉が食べられない事や、
母さんが作るナスの味噌炒めが好きだという事も、もう覚えてはいない。
一度結婚して出戻ってきた事も覚えてはいないが、それは忘れてもらって構わない。
むしろ、私だって忘れたい。
その後、言いようのない淋しさに駆られながら、
請求書を調べるためにパソコンを開いて、発送のお知らせメールを思い出した。
「これやん!」
翌朝、私は実家へ行くなり、まるで家探しする取り立て屋のごとく、
母さんのタンスを探した。
「母さん、このパンツ、これ買った代金だったわ」
すると、母さんは思い出しように、
「あぁぁ、これ覚えとる。新品のやつや。ほっか、これか」
一件落着だ。
と思い込んで、出勤すると、母さんから携帯に電話が来た。
「わしの払った金よぉ。多すぎんか?」
ん?
母さん、何を言っているんだい?
あのね、尿漏れパット付きのパンツ6枚も買ったんだぞ。
それくらい支払って妥当じゃない?
そう諭した後、「母さん、かなりボケちゃってるもんで」と
誰に言うでもなく呟いた。
そして月曜日の朝、
着替えようと履き古したパンツを手に持った時、
私に電撃が走った。
「わしのパンツ、わしが注文したMサイズのパンツ、どこ行ったんや?」
そうして、私はパンツを探すために、
まずそれを金輪際忘れないように、手の甲にMの文字を書いたのだった。
走って実家へ行き、また家探ししようとすると、
ちゃんと袋に入ったままのパンツ10枚を手に持った母さんが、
「これよ、お前のやろ?どうもわしには小さい気がしてよ。」と笑っていた。
「ほうやろぉ?一万円なんて、えらい高いなぁと思ったんや。
わしはごまかされんぞ~」
ヒッヒッヒっと笑う母さんに、私は抱きつきたい気持ちになった。
母さん、ごめんよ。
という、どっちもどっちな母娘のやり取りであった。
ねえ、私のおチビちゃん?
寝っ転がってるの?
あれ?私のおチビちゃんだよな?
おチビの、のんちゃんだよな?
あれれ?
そんなにおチビではない!?
いつの間に、こんなに大きくなっちゃったんだい?
かかぁ、淋しいや~ん。