
旧暦の元旦、そして新月のおめでたい今日
新たなレイキマスターが誕生しました
ともに学び、高めあう仲間がまた増えた事をとても嬉しく思います。
自分らしく輝いていかれるようお祈りしています
そして今日はバレンタインデーでもありますね。
去年のバレンタインデーは忘れられない日です。
* * * * * *
1年前の今日、私達家族は病院に行き
いわゆる“がんの告知”を受けました。
先生はゆっくり丁寧に症状を説明してくれます。
「がん」と言う言葉は使わず「腫瘍」と言いながら
今どのステージにあり、今後どんな治療方法があるのか。
きっと「がん」と言う言葉を聞くとショックが大きいので
わざと使わないでいてくれたのかもしれません。
最後の最後にようやくその言葉が出ました。
ステージ4
これは原因となる患部以外にすでに転移がある状態を言います。
そして、その生存率なども。
このままの状態では手術は出来ないので
まずは抗がん剤を投与して
ガンが小さくなったら手術も視野に入れて考えましょう。
まずは内科の先生が説明され
治療を行うのは外科なのでと
そこでもまた同じように説明をされ
治療は大学病院で、と言う事になりました。
去年の2月14日は土曜日でした。
紹介状を作成して頂く間
廊下でただただ待っていました。
時間はすっかり午後の2時を回っており
大勢いた患者さんたちの姿はもう無くなり
私達家族だけが廊下に取り残されていました。
人気の無い病院のあの寂しさは何とも言えませんでした。
ただひたすら、無言で・・・
病院の帰りは私の車で父と二人帰りました。
その時の父との会話が今も忘れられません。
父:お前は今の話を聞いてどう思う?
私:どう思うって・・・
今は手術できないけど、抗がん剤でガンが小さくなれば手術が出来るから
まだ治療して治る可能性があるって事でしょう?
父:おれは五分五分やと思う
後にして思えば
父はもうこの時点で覚悟を決めていたような気がします。
今でもこの時の父は立派だったと思います。
普通ならば「がん」と言われれば
ショックで取り乱す人もいるでしょう。
それまでの私の父のイメージでは
「そんなはずはない!」と怒鳴り散らすような
そんなイメージを抱いていました。
けれども父は淡々と先生の説明を聞き
すべて先生にお任せしますので、よろしくお願いします
そう笑顔で先生に頭を下げていました。
先生方にも感謝です。
後で知ったのですが
実はもうこの時点で、かなり状況は厳しく
治癒の可能性は限りなく低いと先生方は診ていたようでした。
けれども私達には「末期」だとか「もう治らない」などと言わずに
希望を持たせる言い方をしてくれました。
だからこそ、父も五分五分だと言いつつも
どこかに希望を持つ事が出来
積極的に治療をする気持ちになれたのだと思います。
このような究極の事態の時こそ
人は本性が現れると思います。
そう考えると、父は本当に立派な人だったと
誇らしく思います。
そして、この日の思い出がもう一つ。
これまでバレンタインデーに父にチョコレートを
あげた事がありませんでした。
(冷たい娘です)
けれど、去年は何となく上げようかなぁ~と思い
チョコを用意していました。
ただ、胃の調子が良くない事はわかっていたので
ごくごく小さなチョコでしたが。
病院に行く前に、父がいつも寛ぐ居間に置いておきました。
当然と言うか、病院から帰った父はチョコには手を付けず
数日そのまま置きっぱなし。
翌週には即大学病院に入院し
チョコの箱は知らぬまにどこかに消えていました。
タラレバを言っても仕方ない事ですが
まさかあんな事になるのなら
元気なうちにちゃんと食べてもらえるよう
チョコをあげてよかったと後悔です。
* * * * * *
そして、1年後の今日
姪っ子達が手作りチョコをお供えしに来てくれました

私も父に上げるためチョコをお取寄せしています。
実はこれ、昨年の11月末の新聞で見て気になり注文したら
すでにバレンタインデーまでの予約受付終了
メディアの影響ってすごいですね~
1月の下旬になりようやく受付再開!
届くのはバレンタイン以降到着待ちです♪
どんなチョコかは到着後アップしますね~
超長文、最後まで読んで下さってありがとうございました
新たなレイキマスターが誕生しました

ともに学び、高めあう仲間がまた増えた事をとても嬉しく思います。
自分らしく輝いていかれるようお祈りしています

そして今日はバレンタインデーでもありますね。
去年のバレンタインデーは忘れられない日です。
* * * * * *
1年前の今日、私達家族は病院に行き
いわゆる“がんの告知”を受けました。
先生はゆっくり丁寧に症状を説明してくれます。
「がん」と言う言葉は使わず「腫瘍」と言いながら
今どのステージにあり、今後どんな治療方法があるのか。
きっと「がん」と言う言葉を聞くとショックが大きいので
わざと使わないでいてくれたのかもしれません。
最後の最後にようやくその言葉が出ました。
ステージ4
これは原因となる患部以外にすでに転移がある状態を言います。
そして、その生存率なども。
このままの状態では手術は出来ないので
まずは抗がん剤を投与して
ガンが小さくなったら手術も視野に入れて考えましょう。
まずは内科の先生が説明され
治療を行うのは外科なのでと
そこでもまた同じように説明をされ
治療は大学病院で、と言う事になりました。
去年の2月14日は土曜日でした。
紹介状を作成して頂く間
廊下でただただ待っていました。
時間はすっかり午後の2時を回っており
大勢いた患者さんたちの姿はもう無くなり
私達家族だけが廊下に取り残されていました。
人気の無い病院のあの寂しさは何とも言えませんでした。
ただひたすら、無言で・・・
病院の帰りは私の車で父と二人帰りました。
その時の父との会話が今も忘れられません。
父:お前は今の話を聞いてどう思う?
私:どう思うって・・・
今は手術できないけど、抗がん剤でガンが小さくなれば手術が出来るから
まだ治療して治る可能性があるって事でしょう?
父:おれは五分五分やと思う
後にして思えば
父はもうこの時点で覚悟を決めていたような気がします。
今でもこの時の父は立派だったと思います。
普通ならば「がん」と言われれば
ショックで取り乱す人もいるでしょう。
それまでの私の父のイメージでは
「そんなはずはない!」と怒鳴り散らすような
そんなイメージを抱いていました。
けれども父は淡々と先生の説明を聞き
すべて先生にお任せしますので、よろしくお願いします
そう笑顔で先生に頭を下げていました。
先生方にも感謝です。
後で知ったのですが
実はもうこの時点で、かなり状況は厳しく
治癒の可能性は限りなく低いと先生方は診ていたようでした。
けれども私達には「末期」だとか「もう治らない」などと言わずに
希望を持たせる言い方をしてくれました。
だからこそ、父も五分五分だと言いつつも
どこかに希望を持つ事が出来
積極的に治療をする気持ちになれたのだと思います。
このような究極の事態の時こそ
人は本性が現れると思います。
そう考えると、父は本当に立派な人だったと
誇らしく思います。
そして、この日の思い出がもう一つ。
これまでバレンタインデーに父にチョコレートを
あげた事がありませんでした。
(冷たい娘です)
けれど、去年は何となく上げようかなぁ~と思い
チョコを用意していました。
ただ、胃の調子が良くない事はわかっていたので
ごくごく小さなチョコでしたが。
病院に行く前に、父がいつも寛ぐ居間に置いておきました。
当然と言うか、病院から帰った父はチョコには手を付けず
数日そのまま置きっぱなし。
翌週には即大学病院に入院し
チョコの箱は知らぬまにどこかに消えていました。
タラレバを言っても仕方ない事ですが
まさかあんな事になるのなら
元気なうちにちゃんと食べてもらえるよう
チョコをあげてよかったと後悔です。
* * * * * *
そして、1年後の今日
姪っ子達が手作りチョコをお供えしに来てくれました


私も父に上げるためチョコをお取寄せしています。
実はこれ、昨年の11月末の新聞で見て気になり注文したら
すでにバレンタインデーまでの予約受付終了

メディアの影響ってすごいですね~
1月の下旬になりようやく受付再開!
届くのはバレンタイン以降到着待ちです♪
どんなチョコかは到着後アップしますね~
超長文、最後まで読んで下さってありがとうございました

去年のバレンタインデーに告知だったのですね。
その時の父娘さんの想いはどんなかと胸に迫ります。
でも、こうしてあげれが良かったという想いもお父様に届いていると思います。
私も、母が居なくなってからふっと近くに居るのをよく感じます。
姪っ子ちゃんのチョコもニコニコと喜んでいらっしゃることでしょう。
お取り寄せのチョコが気になるところです。
忘れられない日にマスターコースを受講させていただいたようで・・・心してこれからに活かしていきたいと思います。
嬉しい事にまたマスターの方が増えました
タラレバで想う事は多々ありますが
父は許してくれていると思います
今の父娘関係はとても良いです
チョコの到着が待ち遠しいです♪
二日間、お疲れ様でした。
今年のバ2月14日は
ナツメヤシさんのおかげで縁起が良い日となり
いい意味で思い出になりましたよ♪
ありがとうございました
これからはお互い良きマスター仲間として
切磋琢磨して行きましょうね