原発事故の深刻さが徐々に判明してくるにつれて、原発関連の集会は7・2集会以外
にも頻繁に開催されるようになっていた。次いで開催された大集会としてはやはり明治
公園での、9・19さようなら原発大集会だろう。
大江健三郎、坂本隆一、内橋克と、澤地久恵、落合恵子らの各氏が呼びかけたこの集
会は、党派を超え、未組織の一般市民を結集することができた集会となり、6万人の参
加者で大成功した。
ここでは演奏の機会こそなかったが、誰でも参加できる市民コースのパレードに加わ
ったことで、これらの大集会が、さらに地方へ運動を広げて行く契機として生かされて
行くだろうという実感を持った。
その後、10・30福島大集会の話題が聞こえてきたが、ヒューマンファーマーズと
しては一連の演奏活動が続き、メンバー各人も余裕がないだろうし、私個人としても2
8日29日と連続して所用が予定されていたため、演奏はおろか、参加することすらも
まったくあきらめていた。
ところが、10月22日に結城市で開催した東日本大震災被災者支援コンサートで、
公園をお願いしていた福島県飯館村の長谷川健一さんが、ヒューマンファーマーズの演
奏に大感激したところから事情は一変した。
24日の午前に、福島の集会実行委員会から、茨城農民連を通してヒューマンファー
マーズへの出演依頼があった。
本番まで6日しかないことから、すぐさま佐藤せいごうに連絡を取ったところ、「国
民的過大なので何とかしましょう」と、予定を変更して参加する意思を確認した。
その晩、実行委員会事務局である福島農民連のn氏と連絡をとり、「長谷川さんから
熱心な推薦があり、プログラムは決定していたのだが、時間を取りましたので出演でき
ますか。」との話を受けて経過が判った。
「福島県の長谷川さんのお薦めならばやらせていただきます。」と変時をしたが、n
氏とは旧知の仲間でもあり、過去に何度かヒューマンファーマーズや笠木透と雑花塾を
招いてコンサートをひらいていただいたことがあることも幸いしたかも知れない。
当日は早朝5時に、迎えに来た佐藤せいごうと我が家を出発し、8時過ぎ頃には会場
の福島氏四季の里に着いた。
会場で準備をしていた前農民連会長の佐々木建造さんと会った。「最近はマスコミの
報道から、福島や原発事故のことが消えつつある。まだ何も解決していないのに風化を
はかられているのではないか。」と危機感を募らせる。周囲にいた農民たちも、今後も
農業を続けられるのかと真剣に話し合っている。
そうこうしている間に群集は膨れ上がって、福島県全域はもとより47都道府県から
の参加者で、予想を上回る1万人を超す広範な人たちの共動の大集会となった。
ヒューマンファーマーズは、その後合流した吉川路子を加えた3人で、オープニング
前、すなわち国会議員の先生方がご挨拶をされる直前の、丁度群集がステージ前に詰め
掛けてきている10分間をいただいて演奏した。
演奏曲目は、「よみがえれ浜通り」と「ふるさとを汚したのは誰」である。対照的な
2曲だが、福島県民には一定は受け入れていただけたものと思っている。特に「ふるさ
とを汚したのは誰」では、誰からともなく沸き起こった「東電だ!」との怒りのコール
が会場全体に広がっていった。
もちろん、これはこの会場特有の反応なのかも知れない。苦しみ悲しみの歌、励まし
の歌、怒りの歌、等々。才能が無いのは元々である、数々作ってみないと始まらないこ
ともよく判った。
にも頻繁に開催されるようになっていた。次いで開催された大集会としてはやはり明治
公園での、9・19さようなら原発大集会だろう。
大江健三郎、坂本隆一、内橋克と、澤地久恵、落合恵子らの各氏が呼びかけたこの集
会は、党派を超え、未組織の一般市民を結集することができた集会となり、6万人の参
加者で大成功した。
ここでは演奏の機会こそなかったが、誰でも参加できる市民コースのパレードに加わ
ったことで、これらの大集会が、さらに地方へ運動を広げて行く契機として生かされて
行くだろうという実感を持った。
その後、10・30福島大集会の話題が聞こえてきたが、ヒューマンファーマーズと
しては一連の演奏活動が続き、メンバー各人も余裕がないだろうし、私個人としても2
8日29日と連続して所用が予定されていたため、演奏はおろか、参加することすらも
まったくあきらめていた。
ところが、10月22日に結城市で開催した東日本大震災被災者支援コンサートで、
公園をお願いしていた福島県飯館村の長谷川健一さんが、ヒューマンファーマーズの演
奏に大感激したところから事情は一変した。
24日の午前に、福島の集会実行委員会から、茨城農民連を通してヒューマンファー
マーズへの出演依頼があった。
本番まで6日しかないことから、すぐさま佐藤せいごうに連絡を取ったところ、「国
民的過大なので何とかしましょう」と、予定を変更して参加する意思を確認した。
その晩、実行委員会事務局である福島農民連のn氏と連絡をとり、「長谷川さんから
熱心な推薦があり、プログラムは決定していたのだが、時間を取りましたので出演でき
ますか。」との話を受けて経過が判った。
「福島県の長谷川さんのお薦めならばやらせていただきます。」と変時をしたが、n
氏とは旧知の仲間でもあり、過去に何度かヒューマンファーマーズや笠木透と雑花塾を
招いてコンサートをひらいていただいたことがあることも幸いしたかも知れない。
当日は早朝5時に、迎えに来た佐藤せいごうと我が家を出発し、8時過ぎ頃には会場
の福島氏四季の里に着いた。
会場で準備をしていた前農民連会長の佐々木建造さんと会った。「最近はマスコミの
報道から、福島や原発事故のことが消えつつある。まだ何も解決していないのに風化を
はかられているのではないか。」と危機感を募らせる。周囲にいた農民たちも、今後も
農業を続けられるのかと真剣に話し合っている。
そうこうしている間に群集は膨れ上がって、福島県全域はもとより47都道府県から
の参加者で、予想を上回る1万人を超す広範な人たちの共動の大集会となった。
ヒューマンファーマーズは、その後合流した吉川路子を加えた3人で、オープニング
前、すなわち国会議員の先生方がご挨拶をされる直前の、丁度群集がステージ前に詰め
掛けてきている10分間をいただいて演奏した。
演奏曲目は、「よみがえれ浜通り」と「ふるさとを汚したのは誰」である。対照的な
2曲だが、福島県民には一定は受け入れていただけたものと思っている。特に「ふるさ
とを汚したのは誰」では、誰からともなく沸き起こった「東電だ!」との怒りのコール
が会場全体に広がっていった。
もちろん、これはこの会場特有の反応なのかも知れない。苦しみ悲しみの歌、励まし
の歌、怒りの歌、等々。才能が無いのは元々である、数々作ってみないと始まらないこ
ともよく判った。