◎2017年10月18日(水)
(その1)からの続き。荒船山から星尾峠に向かっての下りから。
さて、ここから長くて精神的にしんどい下りとなる。威怒牟幾不動ルートは、昭文社マップでは実線扱いだったから、南牧村マップでは「荒れている」とはあるが、たいしたこともないだろうと考えていた(最新版の昭文社マップでは破線ルートになっていた)。実線であろうが、破線にしても、そんなのは歩いた筆者の主観の判断であって、目安にする必要もないことだが、尾根通し、沢伝いとはわけが違い、ここからはずっと小尾根と沢をまたいで行く不明瞭なトラバース道だっただけに、余計に苦労することになった。
(2段式の階段。使う人はいまい。滑ってケガをしかねない)
(行塚山巻き道分岐)
星尾峠に向かって下る。踏み跡はしっかりしている。ここもまた、使いもしないというか、使えばやっかいそうな積み上げの階段が置かれている。当然、その脇を下る。丸太は滑りかねない。何で2段式にしているのか不思議だ。その分、何年も経て土が流されたのか。
階段から解放されると標識が見え、ここが星尾峠に到着かと思ったら、行塚山巻き道の分岐で、往路の行塚山直下で分かれた道の延長だろう。その方向には「黒滝山不動寺9.4km」とある。ここの標識は珍しく健在だ。確かに栗もドングリも周囲には見あたらない。
(危うい感じの橋)
(星尾峠。後で調べると、やはり上州と信州を結ぶ古道が通っていたようで、上州側は威怒牟幾不動道ではないもう一本の直通道で、石仏やら石の標識が置かれているようだ)
(星尾峠に置かれたコース案内板。威怒牟幾不動は存在せず、「南牧村に至る」のみ)
荒れた道になった。崩壊したところに斜めの金属製の渡しがある。これは危なさそう。踏み跡に合わせて崩れたところを安全に渡ったりする。トラバース道をそのまま行くと、星尾峠に到着した。
やたらと標識がある。ここは三叉路になっていて、集約すると、A荒船山頂 B荒船不動尊・国道254号線 C兜岩・田口峠の三種になるが、肝心の威怒牟幾不動方面の標識がない。行こうと思っている方向にはC標識が向いてはいる。それはそれでいいのだが、その時点では別コースと思っている。コースマップの看板を見ると、ここにも威怒牟幾不動は記されていない。これを設置したのは佐久市になっている。群馬県側ルートは省略なのだろう。余計なことだが、この看板、荒船不動尊と兜岩山の間にクマの絵が描かれている。要注意の説明はないが、いるから入れたのだろうな。
(標識があった)
(下る)
首を傾げながらC方向の踏み跡に入ると、すぐに控え目に「星尾 線ヶ滝」の標識があった。安心してここを下れそうだが、それならそうと星尾峠に置いて欲しいものだ。
ロープが据えられた踏み跡をクネクネと下っていく。これまでと違って、この先は踏み跡程度のものになっている。落葉が堆積しているので、見分けがつかないところもあって、神経を軽く使う。テープもあるし、遠目で見れば、踏み跡も幾分明瞭だ。
(窪みで何とか判別する)
(左岸から右岸、右岸から左岸へ)
沢が出てきて、左岸に渡ったり、右岸に戻ったりを繰り返す。この辺から、踏み跡は河原の間に入り込むようになり、石も出てきて、軽い神経レベルでは済みそうにもなくなってきた。ただ、テープもケルン(とはいっても手製の石積み)も置かれているので、テープで立ち止まって、次のテープを探す歩きになっていく。基本は沢沿いなので、路頭に迷うまでにはならない。まだ幾分の気分的な余裕もあったが、沢が複数現れるようになると、どれが本流なのかと首をかしげながらのテープ探しになる。次第にヤバいところを歩いているような気分になっいる。
(この辺は間違えない)
(つい、向こうに行きたくなってしまうが、これは×)
そのうちに、テープが見えなくなると、あらゆる窪みが踏み跡のように見え、行ったり来たりをするようになった。これでは迷いの可能性がありだなと、戻ることも考えたり、威怒牟幾不動コースはやめにして、この先で分岐するはずの登山靴直通コースにしようかと思ったりするが、果たしてそこまで行きつけるのか。星尾峠から下ってさほどの時間は経過していないのに、早々に気弱になっている。テープを見ればほっとする状態が続く。
これまでザックの中に入れていたGPSを胸のポケットに移した。ここまでの軌跡を確認する。登山道の点線に重なってはいない。テープを追って来たのに、ところどころで大きく外れていたりする。これでは、GPSの点線に沿って歩くのは現実的に無理そうだ。この状態で、果たして駐車場に戻れるのだろうかと心配になってきた。
(鍋。ナベと記されていた)
(威怒牟幾不動の分岐標識)
(置かれた案内図板)
沢の間の木に鍋が結わえられていた。おかしな物を見てほっとする。こんな物をこんなところにと思ったりはしない。秩父にはバケツの目印もあった。鍋の先はどっちなのか。5~6m先のケルンが目についた。ケルンとはいっても、2~3枚重ねのもので、注意しないとよくわからない。まして沢だ。他の石と同化もしている。ここの沢、左右、いずれかが崖になっていれば、マークがなくとも安全な方を選ぶが、始末の悪いことに、両岸ともに安全地帯になっているから、どこでも歩ける感じになってしまう。
一本化してくれた沢の左岸側にかろうじて踏み跡が見えた。そこを辿ってみると、また沢に戻って消えた。ふと右岸側の高台を見ると、朽ちかけた標識があった。これでは、河原の両側に踏み跡があちこちに派生していて迷う人も多いだろう。
ヤレヤレ、ここまでは何とか来られたか。星尾峠からほぼ30分。かなり疲れたが、南牧村マップに記されたコースタイムで歩いている。昭文社マップにはこの辺に「ローソク岩」なんてのが載っているが、見つける呑気な気分にはなれない。標識の前には腐りかけのベンチ。座る気にもなれず、地図を広げる。ここの標識は「田口峠」「線ヶ滝3.4k」に分かれている。
田口峠とはどこなんだ。さっきも標識にあったなぁ。兜岩山の南西側の取り付きにある峠であることはわかった。地図では、確かに、この先から林道のような道が続いているようになっているが、これを行けば登山口には戻れまい。ここは線ヶ滝3.4kが正解だろうけど、威怒牟幾不動に行くのか、直通で登山口に戻るのかは不明。こうなったら、できれば威怒牟幾不動を経由せずに駐車場に戻りたい。南牧村マップでは、ここが「左岸コース分岐」になっていて、直進とイモリの滝方面に分かれている。どっちになってもいいかと、線ヶ滝方面を選ぶ。実は、後で、ここに置かれていた案内図板の写真をアップで見てみると、駐車場への直通ルート(=古道)は、ここから田口峠方面に行き、ちょっと先で分かれて下るという形になっていた。気持ちの余裕がまったくない状態になっていた。
また余談だが、ここの案内図板でイモリの滝を「蠑螈の滝」と記しているが、常人には読めやしない。せいぜい「蜻蛉(カゲロウ)の滝」と読んでしまうのがオチだろう。
(岩峰が見える。そちら方面に向かう)
(雰囲気が良いところもある)
沢に下って左岸側に渡る。左には立岩かもしれない大岩が聳え立っている。沢から離れたので踏み跡は判別できるが、このトラバース道、どんどん上に登って行く。そして、下っては登るの繰り返し、沢型もいくつか渡る。石がゴロゴロしたところも出てきて、こうなると踏み跡は消えてしまう。
この分岐道に入り込んでから、テープはめっきり少なくなり、見かける古い赤テープは枝に巻き付けてあり、接近しないとわからず、たまにヒラヒラテープを見てはほっとする。明瞭な尾根道では目障りだと撤去するが、こんな、どこを歩いているのかわからないようなトラバース道ではテープだけが頼りだ。
(支柱だけ残っている)
(イモリの滝)
広葉樹の疎林を通過。歩いているのがコース上の踏み跡なのかケモノ道なのか判別がつかない。ここは広くて風景がきれいなところだ。支柱だけが残った標識があった。
確かに踏み跡を歩いている。疎林を抜けると沢に出た。左手に滝が見える。「イモリの滝」だろうか。滝壺は倒木が集積していて、見栄えのある滝には見えない(落差8mらしい)。さっさとスルー。というか、この道でいいのだろうなといった思いの方が強く、ゆっくり滝見している気分にはなれないのだ。ふと思った。星尾峠からの下り、これは視力の良い人を同行させた方がいいだろう。ここの歩きは、テープとケルンが決め手になる。
(下っているように見えるが登っている。分岐からはとにかく上りが多い)
(これはパス)
石ゴロになってまた不明。目を凝らし、何となく道型っぽいところを進むと、沢に丸太が3本渡されている。これを渡れるわけはなく、沢に下りて這い上がった。
徐々に道がはっきりしてきたが、丸太3本を見てから、これは登山道ではなく作業道ではないのかといった疑念がわいてきた。GPSを確認すると、田口峠分岐からはきれいに破線に沿って歩いている。ずっと疑心暗鬼ながらも、正解ルートを歩いていることだけは確かだ。
(ようやくわかりやすくなってきた)
(利用者がいるとは思えない東屋)
トラバース道が続いたところで、逆方向に「水飲み場100m」の標識。さっきの沢だろう。そして、大きな東屋があった。ここまで来れば、もう神経をすり減らすことはあるまいとほっとして、東屋のベンチに座り込む。立て続けに2本吸う。
しかし、この東屋はいったい何なのだ。ここを歩くハイカーはあまりいまいし、東屋を設けるほどのことでもないだろう。きっと、村で一大観光ルートにしようと企んだものの、意外にハイカーは少なくてほったらしというところだろう。現に、あちこちにある標識はクマの訓練場になっている気配だ。
(齧ったか爪とぎか。しかし、ベンチが多い)
(苔むした一帯)
大休止後に下る。踏み跡は道になりつつある。迷うところもない。逆方向に「荒船山2.2k」の標識。これも下が齧られている。相当な力だ。
植林に入った。もう明瞭な道だ。作業道だったとしても問題はない。いつかは車道に出られる。こんなところにもベンチ。ベンチもまたクマの獲物なのか。サイドのヘリは削られている。傷口は比較的に新しい。石が苔むした地帯を通過。
(威怒牟幾不動の分岐)
(行者、ここに眠る)
ようやく威怒牟幾不動の分岐標識が現れた。0.3kmか。すでに本日の歩きの終盤だから行ってみよう。
ポツンと「大沢一?墓」と記された墓石が置かれていた。そして「荒船山近道→」の標識。これはどこに出るのか。地図にその線はない。さっきの東屋あたりにでもつながっているのか。自分が行く方向は、立岩の北側にある荒船山分岐に続いているが、歩き方のルートとして、この近道、立岩からではあまり意味のないショートカットのような気がする。ぜひともイモリ滝を見たいというのなら別だが。むしろ近道の出口に「威怒牟幾不動近道→」があった方が重宝するだろうに。
(威怒牟幾不動の東屋。東屋も多いなぁ)
(案内板)
左手に踏み跡が分かれ、これを行くと東屋に着いた。ここに威怒牟幾不動があるようだ。案内板がある。そうか、線ヶ滝の駐車場に来る際にナビの目標にした吉祥寺の江戸時代の坊さんがここで修業を積んだわけか。阿闍梨と記されているから相当な立場の方だったのだろう。ここに行者・大沢一心という方の名前が出てくる。ということは、先ほどの墓は大沢一心の墓ということになるのか。
(威怒牟幾不動の滝)
(滝の中段下のお堂)
(お堂側から見た滝。これだけでは集中豪雨だ)
(お不動様)
(護摩壇の碑かと思う)
(脇から)
沢伝いに先に行くと、勢いよく飛沫をあげた巨大な滝が見えた。これが威怒牟幾不動滝か。『なんもく滝めぐり』には落差40mとある。こういう滝も珍しい。滝の岩棚にお堂のようなものがあり、あそこに不動明王が祀られているようだ。そこまで行けるのかどうか近づくと、回り込んで行けそうだ。
お堂とはいっても崩れかけた小さな小屋なのだが、不動明王が安置されていた。右の洞窟ぽい岩のすき間には「千座護麻?」と記された石碑がある。これは護摩壇だろう。300m歩いてわざわざ来た価値はあったようだ。
もう一つ丸い上が欠けた石碑があった。それには「●●供養塔」と記されている。
(ナメ沢になっている)
(ここにも童子の碑)
分岐に戻り、あとは駐車場に向かう。危なげな木橋を渡り、植林の中を歩き続ける。途中、崩れかけた作業小屋のようなものを右手に見る。そして、また童子の石碑が置かれている。これは師子慧童子と阿婆羅底童子の併記になっている。八大童子とか三十六童子のことはほとんど知らないが、威怒牟幾不動までが信仰の道だったとすれば、往時は最低16基の石碑が置かれていたことになる。
(また橋)
またベンチ。右手に結構長いナメ滝が見える。下は見えていない。いよいよフィニッシュになりつつある。また、ハシゴ橋が出てきた。丸太4本ハシゴ型。ハシゴが半分なくなっていたがこれはクリア。右下に堰堤が見えてくると、立岩に登る道と合流し、例の足滑りの橋が現れた。
ここは絶対に渡るまいと思っていたし、沢に下りて石を伝いながら渡渉した。予定通りに左足は水没してしまった。
(マツダランプ)
出発時には気づかなかったが、ここにマツダランプの看板が置かれていた。そして、上には協賛の形か国鉄の名前が出ている。この看板には「尾沢村星尾」の地名が入っている。尾沢村が他二村と合併して南牧村となったのは昭和30年のことらしい。つまりは、この看板60年以上前に設置されたということになる。これ、あってもなくともハイカーの歩きに差しさわりがあるとは思えず、取り外して持ち帰りたくなった。念のため、実行には移してはいない。小沢岳が旧尾沢村エリアだったとしたら、元の山名は尾沢岳だったかもなんて思ったりして。
ところで、このマツダランプの看板、逆から歩かれたみー猫さん記事にも別口のが出ていたが、あれでは尾沢村と違って年代の想定もできないから持ち帰れないなぁと、つい笑ってしまった。
(駐車場)
登山者守り地蔵に「おかげさまで無事帰還できましたが、早々に橋から沢に落ちるところでしたよ」と報告し、駐車場に到着。しかし、いろんなことがあったわ。GB隊に遭遇して不快な思いをしたり、荒船山の山頂がわからずだったり、下りで半ば道迷いになりかけたりと。
(線ヶ滝の上で。これはお不動様ではない)
(線ヶ滝)
(滝壺)
駐車場は出発した時のまま。車が入って来ることもなかったろう。荷物を車に入れ、カメラだけ持って、線ヶ滝を見に行く。上からだけで十分だったが、観瀑台まで下った。これもまた見ごたえのある滝だ。『滝めぐり』には落差35mとある。見惚れてしまうきれいな滝だ。雨上がりで水量が多かったからかもしれない。
駐車場に戻って帰り支度。もう4時13分だ。予定では風呂にでも寄って帰ろうかと、艫岩の休憩舎にあったポスターの風呂屋の電話番号を控えてきたが、もう薄暗くなりつつある。下道で帰るのもやめにして、風呂なしの高速帰りになってしまった。
後日談だが、先日の平標山と同じく、今日もまた同じ左足首に靴ずれを起こしてしまい、いずれバンテージ貼りと思いながらも、帰路の半ばでパニック気分の中、痛みも忘れてそのままで下ってしまった。帰ってから靴ずれ部分にはキズができ、皮もむけていたので、たいしたことはないだろうとオロナイン軟膏を塗るだけで済ました。ところが、翌朝起きると、左足首、特にくるぶし部分は異様に赤く腫れあがり、触ると激痛。歩いても痛く、医者に診てもらおうとしたが、地元の医院は水曜日、木曜日の休診が多いので、面倒になって、手持ちの抗生剤の軟膏を塗って間に合わせた。そしたら、翌日にはかなり腫れと痛みがひき、事なきを得たが、これからは、横着せずにバンテージをしなきゃなと思った次第である。
(今回の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
(参考にした『なんもくトレッキングガイド』から)
(その1)からの続き。荒船山から星尾峠に向かっての下りから。
さて、ここから長くて精神的にしんどい下りとなる。威怒牟幾不動ルートは、昭文社マップでは実線扱いだったから、南牧村マップでは「荒れている」とはあるが、たいしたこともないだろうと考えていた(最新版の昭文社マップでは破線ルートになっていた)。実線であろうが、破線にしても、そんなのは歩いた筆者の主観の判断であって、目安にする必要もないことだが、尾根通し、沢伝いとはわけが違い、ここからはずっと小尾根と沢をまたいで行く不明瞭なトラバース道だっただけに、余計に苦労することになった。
(2段式の階段。使う人はいまい。滑ってケガをしかねない)
(行塚山巻き道分岐)
星尾峠に向かって下る。踏み跡はしっかりしている。ここもまた、使いもしないというか、使えばやっかいそうな積み上げの階段が置かれている。当然、その脇を下る。丸太は滑りかねない。何で2段式にしているのか不思議だ。その分、何年も経て土が流されたのか。
階段から解放されると標識が見え、ここが星尾峠に到着かと思ったら、行塚山巻き道の分岐で、往路の行塚山直下で分かれた道の延長だろう。その方向には「黒滝山不動寺9.4km」とある。ここの標識は珍しく健在だ。確かに栗もドングリも周囲には見あたらない。
(危うい感じの橋)
(星尾峠。後で調べると、やはり上州と信州を結ぶ古道が通っていたようで、上州側は威怒牟幾不動道ではないもう一本の直通道で、石仏やら石の標識が置かれているようだ)
(星尾峠に置かれたコース案内板。威怒牟幾不動は存在せず、「南牧村に至る」のみ)
荒れた道になった。崩壊したところに斜めの金属製の渡しがある。これは危なさそう。踏み跡に合わせて崩れたところを安全に渡ったりする。トラバース道をそのまま行くと、星尾峠に到着した。
やたらと標識がある。ここは三叉路になっていて、集約すると、A荒船山頂 B荒船不動尊・国道254号線 C兜岩・田口峠の三種になるが、肝心の威怒牟幾不動方面の標識がない。行こうと思っている方向にはC標識が向いてはいる。それはそれでいいのだが、その時点では別コースと思っている。コースマップの看板を見ると、ここにも威怒牟幾不動は記されていない。これを設置したのは佐久市になっている。群馬県側ルートは省略なのだろう。余計なことだが、この看板、荒船不動尊と兜岩山の間にクマの絵が描かれている。要注意の説明はないが、いるから入れたのだろうな。
(標識があった)
(下る)
首を傾げながらC方向の踏み跡に入ると、すぐに控え目に「星尾 線ヶ滝」の標識があった。安心してここを下れそうだが、それならそうと星尾峠に置いて欲しいものだ。
ロープが据えられた踏み跡をクネクネと下っていく。これまでと違って、この先は踏み跡程度のものになっている。落葉が堆積しているので、見分けがつかないところもあって、神経を軽く使う。テープもあるし、遠目で見れば、踏み跡も幾分明瞭だ。
(窪みで何とか判別する)
(左岸から右岸、右岸から左岸へ)
沢が出てきて、左岸に渡ったり、右岸に戻ったりを繰り返す。この辺から、踏み跡は河原の間に入り込むようになり、石も出てきて、軽い神経レベルでは済みそうにもなくなってきた。ただ、テープもケルン(とはいっても手製の石積み)も置かれているので、テープで立ち止まって、次のテープを探す歩きになっていく。基本は沢沿いなので、路頭に迷うまでにはならない。まだ幾分の気分的な余裕もあったが、沢が複数現れるようになると、どれが本流なのかと首をかしげながらのテープ探しになる。次第にヤバいところを歩いているような気分になっいる。
(この辺は間違えない)
(つい、向こうに行きたくなってしまうが、これは×)
そのうちに、テープが見えなくなると、あらゆる窪みが踏み跡のように見え、行ったり来たりをするようになった。これでは迷いの可能性がありだなと、戻ることも考えたり、威怒牟幾不動コースはやめにして、この先で分岐するはずの登山靴直通コースにしようかと思ったりするが、果たしてそこまで行きつけるのか。星尾峠から下ってさほどの時間は経過していないのに、早々に気弱になっている。テープを見ればほっとする状態が続く。
これまでザックの中に入れていたGPSを胸のポケットに移した。ここまでの軌跡を確認する。登山道の点線に重なってはいない。テープを追って来たのに、ところどころで大きく外れていたりする。これでは、GPSの点線に沿って歩くのは現実的に無理そうだ。この状態で、果たして駐車場に戻れるのだろうかと心配になってきた。
(鍋。ナベと記されていた)
(威怒牟幾不動の分岐標識)
(置かれた案内図板)
沢の間の木に鍋が結わえられていた。おかしな物を見てほっとする。こんな物をこんなところにと思ったりはしない。秩父にはバケツの目印もあった。鍋の先はどっちなのか。5~6m先のケルンが目についた。ケルンとはいっても、2~3枚重ねのもので、注意しないとよくわからない。まして沢だ。他の石と同化もしている。ここの沢、左右、いずれかが崖になっていれば、マークがなくとも安全な方を選ぶが、始末の悪いことに、両岸ともに安全地帯になっているから、どこでも歩ける感じになってしまう。
一本化してくれた沢の左岸側にかろうじて踏み跡が見えた。そこを辿ってみると、また沢に戻って消えた。ふと右岸側の高台を見ると、朽ちかけた標識があった。これでは、河原の両側に踏み跡があちこちに派生していて迷う人も多いだろう。
ヤレヤレ、ここまでは何とか来られたか。星尾峠からほぼ30分。かなり疲れたが、南牧村マップに記されたコースタイムで歩いている。昭文社マップにはこの辺に「ローソク岩」なんてのが載っているが、見つける呑気な気分にはなれない。標識の前には腐りかけのベンチ。座る気にもなれず、地図を広げる。ここの標識は「田口峠」「線ヶ滝3.4k」に分かれている。
田口峠とはどこなんだ。さっきも標識にあったなぁ。兜岩山の南西側の取り付きにある峠であることはわかった。地図では、確かに、この先から林道のような道が続いているようになっているが、これを行けば登山口には戻れまい。ここは線ヶ滝3.4kが正解だろうけど、威怒牟幾不動に行くのか、直通で登山口に戻るのかは不明。こうなったら、できれば威怒牟幾不動を経由せずに駐車場に戻りたい。南牧村マップでは、ここが「左岸コース分岐」になっていて、直進とイモリの滝方面に分かれている。どっちになってもいいかと、線ヶ滝方面を選ぶ。実は、後で、ここに置かれていた案内図板の写真をアップで見てみると、駐車場への直通ルート(=古道)は、ここから田口峠方面に行き、ちょっと先で分かれて下るという形になっていた。気持ちの余裕がまったくない状態になっていた。
また余談だが、ここの案内図板でイモリの滝を「蠑螈の滝」と記しているが、常人には読めやしない。せいぜい「蜻蛉(カゲロウ)の滝」と読んでしまうのがオチだろう。
(岩峰が見える。そちら方面に向かう)
(雰囲気が良いところもある)
沢に下って左岸側に渡る。左には立岩かもしれない大岩が聳え立っている。沢から離れたので踏み跡は判別できるが、このトラバース道、どんどん上に登って行く。そして、下っては登るの繰り返し、沢型もいくつか渡る。石がゴロゴロしたところも出てきて、こうなると踏み跡は消えてしまう。
この分岐道に入り込んでから、テープはめっきり少なくなり、見かける古い赤テープは枝に巻き付けてあり、接近しないとわからず、たまにヒラヒラテープを見てはほっとする。明瞭な尾根道では目障りだと撤去するが、こんな、どこを歩いているのかわからないようなトラバース道ではテープだけが頼りだ。
(支柱だけ残っている)
(イモリの滝)
広葉樹の疎林を通過。歩いているのがコース上の踏み跡なのかケモノ道なのか判別がつかない。ここは広くて風景がきれいなところだ。支柱だけが残った標識があった。
確かに踏み跡を歩いている。疎林を抜けると沢に出た。左手に滝が見える。「イモリの滝」だろうか。滝壺は倒木が集積していて、見栄えのある滝には見えない(落差8mらしい)。さっさとスルー。というか、この道でいいのだろうなといった思いの方が強く、ゆっくり滝見している気分にはなれないのだ。ふと思った。星尾峠からの下り、これは視力の良い人を同行させた方がいいだろう。ここの歩きは、テープとケルンが決め手になる。
(下っているように見えるが登っている。分岐からはとにかく上りが多い)
(これはパス)
石ゴロになってまた不明。目を凝らし、何となく道型っぽいところを進むと、沢に丸太が3本渡されている。これを渡れるわけはなく、沢に下りて這い上がった。
徐々に道がはっきりしてきたが、丸太3本を見てから、これは登山道ではなく作業道ではないのかといった疑念がわいてきた。GPSを確認すると、田口峠分岐からはきれいに破線に沿って歩いている。ずっと疑心暗鬼ながらも、正解ルートを歩いていることだけは確かだ。
(ようやくわかりやすくなってきた)
(利用者がいるとは思えない東屋)
トラバース道が続いたところで、逆方向に「水飲み場100m」の標識。さっきの沢だろう。そして、大きな東屋があった。ここまで来れば、もう神経をすり減らすことはあるまいとほっとして、東屋のベンチに座り込む。立て続けに2本吸う。
しかし、この東屋はいったい何なのだ。ここを歩くハイカーはあまりいまいし、東屋を設けるほどのことでもないだろう。きっと、村で一大観光ルートにしようと企んだものの、意外にハイカーは少なくてほったらしというところだろう。現に、あちこちにある標識はクマの訓練場になっている気配だ。
(齧ったか爪とぎか。しかし、ベンチが多い)
(苔むした一帯)
大休止後に下る。踏み跡は道になりつつある。迷うところもない。逆方向に「荒船山2.2k」の標識。これも下が齧られている。相当な力だ。
植林に入った。もう明瞭な道だ。作業道だったとしても問題はない。いつかは車道に出られる。こんなところにもベンチ。ベンチもまたクマの獲物なのか。サイドのヘリは削られている。傷口は比較的に新しい。石が苔むした地帯を通過。
(威怒牟幾不動の分岐)
(行者、ここに眠る)
ようやく威怒牟幾不動の分岐標識が現れた。0.3kmか。すでに本日の歩きの終盤だから行ってみよう。
ポツンと「大沢一?墓」と記された墓石が置かれていた。そして「荒船山近道→」の標識。これはどこに出るのか。地図にその線はない。さっきの東屋あたりにでもつながっているのか。自分が行く方向は、立岩の北側にある荒船山分岐に続いているが、歩き方のルートとして、この近道、立岩からではあまり意味のないショートカットのような気がする。ぜひともイモリ滝を見たいというのなら別だが。むしろ近道の出口に「威怒牟幾不動近道→」があった方が重宝するだろうに。
(威怒牟幾不動の東屋。東屋も多いなぁ)
(案内板)
左手に踏み跡が分かれ、これを行くと東屋に着いた。ここに威怒牟幾不動があるようだ。案内板がある。そうか、線ヶ滝の駐車場に来る際にナビの目標にした吉祥寺の江戸時代の坊さんがここで修業を積んだわけか。阿闍梨と記されているから相当な立場の方だったのだろう。ここに行者・大沢一心という方の名前が出てくる。ということは、先ほどの墓は大沢一心の墓ということになるのか。
(威怒牟幾不動の滝)
(滝の中段下のお堂)
(お堂側から見た滝。これだけでは集中豪雨だ)
(お不動様)
(護摩壇の碑かと思う)
(脇から)
沢伝いに先に行くと、勢いよく飛沫をあげた巨大な滝が見えた。これが威怒牟幾不動滝か。『なんもく滝めぐり』には落差40mとある。こういう滝も珍しい。滝の岩棚にお堂のようなものがあり、あそこに不動明王が祀られているようだ。そこまで行けるのかどうか近づくと、回り込んで行けそうだ。
お堂とはいっても崩れかけた小さな小屋なのだが、不動明王が安置されていた。右の洞窟ぽい岩のすき間には「千座護麻?」と記された石碑がある。これは護摩壇だろう。300m歩いてわざわざ来た価値はあったようだ。
もう一つ丸い上が欠けた石碑があった。それには「●●供養塔」と記されている。
(ナメ沢になっている)
(ここにも童子の碑)
分岐に戻り、あとは駐車場に向かう。危なげな木橋を渡り、植林の中を歩き続ける。途中、崩れかけた作業小屋のようなものを右手に見る。そして、また童子の石碑が置かれている。これは師子慧童子と阿婆羅底童子の併記になっている。八大童子とか三十六童子のことはほとんど知らないが、威怒牟幾不動までが信仰の道だったとすれば、往時は最低16基の石碑が置かれていたことになる。
(また橋)
またベンチ。右手に結構長いナメ滝が見える。下は見えていない。いよいよフィニッシュになりつつある。また、ハシゴ橋が出てきた。丸太4本ハシゴ型。ハシゴが半分なくなっていたがこれはクリア。右下に堰堤が見えてくると、立岩に登る道と合流し、例の足滑りの橋が現れた。
ここは絶対に渡るまいと思っていたし、沢に下りて石を伝いながら渡渉した。予定通りに左足は水没してしまった。
(マツダランプ)
出発時には気づかなかったが、ここにマツダランプの看板が置かれていた。そして、上には協賛の形か国鉄の名前が出ている。この看板には「尾沢村星尾」の地名が入っている。尾沢村が他二村と合併して南牧村となったのは昭和30年のことらしい。つまりは、この看板60年以上前に設置されたということになる。これ、あってもなくともハイカーの歩きに差しさわりがあるとは思えず、取り外して持ち帰りたくなった。念のため、実行には移してはいない。小沢岳が旧尾沢村エリアだったとしたら、元の山名は尾沢岳だったかもなんて思ったりして。
ところで、このマツダランプの看板、逆から歩かれたみー猫さん記事にも別口のが出ていたが、あれでは尾沢村と違って年代の想定もできないから持ち帰れないなぁと、つい笑ってしまった。
(駐車場)
登山者守り地蔵に「おかげさまで無事帰還できましたが、早々に橋から沢に落ちるところでしたよ」と報告し、駐車場に到着。しかし、いろんなことがあったわ。GB隊に遭遇して不快な思いをしたり、荒船山の山頂がわからずだったり、下りで半ば道迷いになりかけたりと。
(線ヶ滝の上で。これはお不動様ではない)
(線ヶ滝)
(滝壺)
駐車場は出発した時のまま。車が入って来ることもなかったろう。荷物を車に入れ、カメラだけ持って、線ヶ滝を見に行く。上からだけで十分だったが、観瀑台まで下った。これもまた見ごたえのある滝だ。『滝めぐり』には落差35mとある。見惚れてしまうきれいな滝だ。雨上がりで水量が多かったからかもしれない。
駐車場に戻って帰り支度。もう4時13分だ。予定では風呂にでも寄って帰ろうかと、艫岩の休憩舎にあったポスターの風呂屋の電話番号を控えてきたが、もう薄暗くなりつつある。下道で帰るのもやめにして、風呂なしの高速帰りになってしまった。
後日談だが、先日の平標山と同じく、今日もまた同じ左足首に靴ずれを起こしてしまい、いずれバンテージ貼りと思いながらも、帰路の半ばでパニック気分の中、痛みも忘れてそのままで下ってしまった。帰ってから靴ずれ部分にはキズができ、皮もむけていたので、たいしたことはないだろうとオロナイン軟膏を塗るだけで済ました。ところが、翌朝起きると、左足首、特にくるぶし部分は異様に赤く腫れあがり、触ると激痛。歩いても痛く、医者に診てもらおうとしたが、地元の医院は水曜日、木曜日の休診が多いので、面倒になって、手持ちの抗生剤の軟膏を塗って間に合わせた。そしたら、翌日にはかなり腫れと痛みがひき、事なきを得たが、これからは、横着せずにバンテージをしなきゃなと思った次第である。
(今回の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
(参考にした『なんもくトレッキングガイド』から)
紅葉を狙って西上州の山も考えておりましたが、あと1週間から10日ですか。台風直撃の影響が気になるところですが、展望も良さそうですし、立岩と荒船山、非常に興味を覚えました。たそがれさんの歩かれたコースをそのまま後追いしたくなりましたが、星尾峠から左岸コース分岐までが手こずりそうですね。
私が行った時のままでいたら、紅葉は一週間から10日後と思いましたが、今回の台風が気になりますねぇ。
ですが、大方は緑、もしくは半ば色づきの葉をたくわえていましたから、葉が落ちることはないと思いますよ。
ところで、今回のコースですが、HIDEJIさんには、両立岩の鞍部からの東立岩往復をお願いします。私の記事で、鞍部までのクサリ場は楽勝で、その先も西立岩に関しては大したことがなかったとおわかりでしょうから、HIDEJIさんには余裕で東立岩に行けるでしょう。ただ、踏み跡にはご注意ですね。
後追いはどうぞヨロシクとなりますが、そうなんですよ。難所は星尾峠から左岸コース分岐までの区間です。その先は、「左岸」と言えるコースではないですが、「ここ、右岸じゃないの?」、「何で登りになるの?」、「これ、作業道じゃないの?」と思っても、踏み跡を安心して歩いてください。
肝心な左岸コース分岐までですが、本当にテープとケルン、鍋(笑)頼りで、感じはグミノ滝の雰囲気です。目を凝らして歩いてください。基本は沢沿いの下りで、分岐の標識は右岸側の高台です。
HIDEJIさんに、もし余裕がありましたら、左岸コースの分岐から先、田口峠方面に向かい、南牧村への直通ルートになる古道分岐あたりまで覗いてきていただけますか? 往復10分くらいかと思います。すごく気になっているのですよ。サイクルで歩いた方のレポには道端に仏像があったりするようだし。
それから、これも余計なアドバイスになりますが、駐車場から2つ目の木橋、細心の注意を怠りなくですよ(笑)。
ルートが不安になっていく気持ちが伝わってきます、威怒牟幾不動の滝が見えた時は安堵したでしょうね。
それにしても、変わった滝、上手に不動様に水があたらないように滝が垂直に落ちているなんて神ががり。看板にある、みんなで楽しむハイキングコース、どうも主旨が違った光景のようになってしまったみたい。寂れた東屋など、だれか座っていたら怖いよ。
でも、滝がどれも見ごたえがあり、気持ちがすっとします。
足の傷は、治って良かったです、変わった菌が多いから、ご注意を!!
前半と後半、確かに風景がコロっろ変わっているでしょう。でもですねぇ、私は、むしろこの寂しげで、荒廃しきった感じの風景が好きなんですよ。立岩ならともかく、賑やかな荒船山に行くのはもういいかと思っています。
木枯し紋次郎ねぇ。それではK女さんの年代がバレバレですよ。でも、紋次郎は街道筋、裏街道を歩いても、ヤブ道や河原を歩いていたシーンの記憶はありませんがね。
ほっとしたのは威怒牟幾不動の滝ではなく、東屋の手前にあった「水場」の標識を見た時でした。それまでは作業道を歩いてんじゃないかと思っていましたから。それが登山道だと知っていたら、イモリの滝を見た時点でほっとするはずですが、それがイモリの滝かどうかも疑心暗鬼だったし。
マツダランプの「みんなで楽しむハイキングコース」。確かに複数で行けば楽しかろうのコースですよ。一人で歩くにはちょっと陰気なところで、クマが出てきても不思議ではない雰囲気です。
滝には満足しましたが、イモリの滝をもうすこしゆっくりと見て来れば良かったと後悔しています。線ヶ滝はだれでも簡単に見られますが、威怒牟幾不動滝は少し入り込みますので、あまり行く人もいないでしょう。今度行きますか? K女さんでも行けますよ。
足のキズ、ご心配ありがとうございます。腫れあがった時には、まさかマダニではないだろうなと気になりましたが、今のところ高熱、吐き気、腹痛もなく、キズの痛みもないので大丈夫でしょう。
今回の登山口は二年前に線ヶ滝を訪問した際,覗いたので雰囲気は知ってますが,ナルホド,鎖場や展望はこんな感じなんですネ。まぁ,標高的には1300m以下だから,本格的な紅葉は少し先だったでしょうが,やはり,スリルがある歩きが楽しめそうです。
ちなみに,星尾峠~威怒牟幾不動間は不明瞭なんですネ。
それなら,荒船山の内山峠ルートの通行止めも解除されたみたいだし,行く時は,無理に荒船山に繋げなくても,立岩を登って,直接,滝に向かった方が良いかなぁ~。滝見に時間をかけたいしぃ。
その威怒牟幾不動の滝,水量が多くて良い時に見られましたネ。
普段は水量が少なくて,古賀志山の滝不動の滝レベルらしいんだケド。まぁ,今年は,雨ばかり降っているから,水量も豊富なのでしょうネ。
西上州のドロミテ。聞いたことはありますが、この立岩のことでしたか。確かに、眺める姿からしてそうかもしれませんが、あっけなくとまではいかずとも、特別に危ういところもなく岩峰の上に立てたのには、ちょっと拍子抜けの感じでした。東立岩の方もそうなのではと思ったりしていますが。
むしろ、碧岩はともかく、大岩には手こずって登った記憶はあります。それに比べたら、楽勝かもしれません。つい、気構えし過ぎて慎重になってしまいました。
威怒牟幾不動の滝は、確かに私が見た時は水量が多かったです。12月に行かれたあにねこさんの記事の写真には水が見えていないし、「霧吹状」としてありますから、かなり水が少ない時なのでしょう。私には集中豪雨の滝に見えましたよ。線ヶ滝もまた、瀑泉さんの写真よりも水量があったようです。
線ヶ滝といえば、瀑泉さんは滝壺に下りられたようですが、感瀑台の階段はロープが張ってあって、下には行けないようになっていました。事故でもあったのか、水量がある時はそうしているのか…。
立岩、威怒牟幾不動の滝と立岩だけではもったいないと思います。せっかく瀑泉さんのお好きな古道が通っているのですから、私は歩きませんでしたが、その古道ルートを加えて周回してみてくださいよ。
紅葉はあと1週間から10日、台風が心配とのことですがやっぱり台風でダメージはあるみたいですね。木金と奥多摩に行ってきましたがどうも痛んだ様子の紅葉が散見されました。また台風が来るようで気をもみますね。
コメント入れタイムからして、今日は山ナシだったのかなと思っていましたが、木金と奥多摩に行かれましたか。両日ともに天気が良かったでしょう。私は両日ともに野暮用でせっかくのチャンスを逃してしまいましたよ。記事は後で拝見いたします。
今回の歩きは行きは楽勝、帰りが苦戦のパターンでした。帰路は、2回目に歩く時は自信付きで歩けると思います。
しかし、初めてのところ、地理感覚の薄いところは、どこでもそうですが、すべてが疑心暗鬼になってしまうものですね。作業道を歩いたところで、いずれは林道やら車道に出るわけですが、何だか、登山道と違う道を歩いてんじゃないのかと不安になったりしましたね。そんな精神面での修行がまだまだですわ。