◎2013年6月1日(土)
大猿公園駐車場(7:33)……大猿登山口……雨やどり石……岳人岩……追分……茶の木畑峠(9:22)……長七郎山(10:07~10:22)……小沼分岐……おとぎの森標識……茶の木畑峠・再び(11:08)……つつじが峰通り分岐……銚子の伽藍(11:26~11:33)……つつじが峰通り……さねすり岩……1281m標高点……おおさる山乃家……赤鳥居……駐車場(13:40)
以前、「銚子の伽藍」という名を初めて聞いた際、千葉の銚子にでもある寺の伽藍かと思ったことがある。後で、小沼から下る粕川の浸食(?)でできた自然地形であることを知ったのだが、機会があれば行ってみるか程度のままになっていた。最近、あんぱんさんやら、ハイトスさんグループご一行が、銚子の伽藍に行かれたレポを拝見し、自分も行ってみたくなった。あんぱんさんに至っては、ツツジも見放題だったようで、半分期待の楽しみだ。
さて、この「銚子」というのは地名かと思うが、「ちょうし」と読むのだろうか、それとも「ちょうご」?疑問は残ったまま。さらにここで言う「伽藍」とは、何をもっての伽藍なのか…。
※後で知ったことだが、「銚子」とは地名ではなく徳利のことらしい。水が吸い込まれるところは、確かに徳利の感じになってはいる。
昨夜は、仕事で帰りが遅く、寝たのは1時。それでいて、目覚ましもかけず、いつものように4時半には目が覚める。年寄りの身体にはこれが応える。グズグズしながら5時半に家を出た。「おおさる山乃家」にナビをセットする。しかし、おかしなことに、梨木温泉方面に向かわせる。温泉の前を通過して、ガタガタの林道に入ると、ナビから道路は消え、反応しなくなった。地形図を見てもそんな道はないのだが、目の前に続いている。これは何かの間違いじゃないか。梨木温泉に戻ってセットし直すも、同じ方向に誘導する。このナビ、バカじゃないのか。責任感もない。仕方なく、当てずっぽうに桐生カントリーまで行き、そこでセットし直して向かったが、なおもこだわりを続け、結局、案内板を見て、ようやく辿り着いた始末。1時間以上ロスした。
帰宅後に、TrekkingMapEditor地図を見ると、確かに、ガタガタ林道はその先、大猿公園の手前でぶつかっていたが、自分の車では通過が無理だったろう。
(大猿登山口)
(尾根に上がると長七郎山が見えた)
横浜ナンバーの車が1台。オジサンが先行して歩いて行かれた。自分とは逆コース歩きみたい。少し戻って、大猿登山口から尾根に向かう。今日の足はゴム長。特別な理由はない。その方が歩きやすく思っただけ。ササに覆われてはいるが、木の階段が造られたりして、整備はされている。歩くハイカーは少ないようだ。そういえば、みー猫さんが、積雪期にここを歩かれて往生されたのではなかったか。ハイキングコースから、その時期の様子を想像することはできない。尾根に上がると、早速、長七郎山が見えてきた。そして、「梨木方面→」の手書き標識。左植林、右自然林の中を進む。植林帯はじきに終わる。
(勢多東方面)
(ようやく、元気なのが出てきた。密度も増してくる)
くたびれたツツジがいくらか残っている。赤と紫。大方は下に落ちている。やはり、もうおしまいかと思っていたが、上に行くに連れ、花は幾分元気になってきた。「雨やどり石」の標識。後で思うと、この石はどこにあったのだろうか。標識だけ撮っていた。気づかなかったみたい。
この尾根は単調だ。展望には恵まれない。ところどころに開けたところはあるが、右手に臨む景観はさほどのものではなく、勢多東の山並みが見える程度のもの。赤いツツジが次第に密になってきた。一気にペースも落ちてしまった。花見もさることながら、睡眠不足のためか、全身が気だるい。さらに、今さらながらの便意の兆候。
(小峰通りの感じはいい)
(岳人岩)
(みどり市方面。下に、つつじが峰通りの尾根が見える)
岳人岩を右に見て、左の展望が若干開ける。大間々の街並みか。下る予定のつつじが峰通りの尾根が見える。ここよりかなり低い。ということは、上部はかなり急だということか。尾根が広がりなだらかになる。「追分」通過。黒保根からのルートが合流する。ここを歩く人はほとんどいないだろう。やはり、踏み跡程度のものだ。
腹の具合もそろそろ限界になってきた。仕方がない。ヤブを越えて身を隠す。安堵。北海道の山を歩いた時、お持ち帰り用の袋が登山口に備えてあった。そんなことを律儀に守る方もいるようで、専用のポイ捨てボックスも目にした。好学のため、フタを開けて中を覗くと、中身の入った袋がいくつかあった。これとて、持ち帰れる具合のブツならばの話だろう。ここは、事前に軽く穴を掘り、後処理は土をかぶせて、ササの葉を覆う。だれもが本能的に出てくる行動かと思うが、最近は、これすらやらない輩が多い。何とも嘆かわしい。どうしても放置しておきたかったら、紙は使うなと言いたいところだ。手を洗いたいが、水は貴重品。乾いた土で手をこすり、ササの葉になすりつけ、ズボンで拭う。※参考までに、ペーパーは使っている。そのまま拭ったわけではない。誤解のないように。
(間もなく小峰通りも終わる)
(茶の木畑峠)
ツツジが群れてきて「茶の木畑峠」。前橋市発行の「茶ノ木畑峠」の標識が立っている。予定では、山には登らず、そのまま銚子の伽藍に行くつもりでいたが、腹具合が解消したら、少しばかりの欲が出た。直近の長七郎山にでも寄るか。ハイキングコースを歩き続けるのも面白くないので、1466m標高点経由の市境線に沿って行くとする。標高差はせいぜい100mだ。
(結構なヤブだが)
(わざわざ見に行く)
(長七郎山。下が鞍部)
(鞍部からは、さしたる障害もない)
(山頂直下。ピンクが目に付くようになる)
入りこんで間もなく後悔した。獰猛な細木の枝ヤブだった。メガネを2回飛ばされた。なかなか先に進まないが、盛りのツツジをわざわざ見に行く余裕はある。何とかヤブ帯を切り抜け、下る。物好きもいるようで、黄色いテープを目にする。こんなところ、テープは必要ないと思うが。一旦、開けた鞍部に出る。ここからのヤブはたいしたことはなく大人しい。適当に歩きやすいところを拾って上を目指す。長七郎山に到着。
(長七郎山山頂)
(霞んで、眺望はよろしくない)
(一旦、小沼方面に下る)
だれもいなかった。正面に地蔵岳。富士山は見えない。周囲は霞んでいる。15分ほど休憩する。その間、3人組と単独氏が上がって来た。下る。この先、ハイキング道のままに西に下り、オトギの森方面に向かい、適当なところから粕川の河原に下り、上流から銚子の伽藍に出るつもりでいる。小沼方面へのルートは昭文社マップには出ていないが、明瞭なハイキングコースになっている。間もなく、小沼とオトギの森分岐。オトギの森分岐は2本ある。川に出るには右だろう。
(おとぎの森の中)
(結局、こんなところを歩くことになってしまった)
川沿いにどんどん下る。2人連れとすれ違う。まだまだ川床までは高い。滝が流れていたり、崩れたりで、下れる適地が見つからない。道がカーブし始めた。地図を見ながら、そろそろだなと思っていたら、運悪く、入り込もうとするヤブの手前で、2人連れがシートを広げて食事中。ここでうろうろと川に下る踏み跡を探すのは計算のうちに入れていたのだが、うろうろができなくなった。不審に思われるだけだ。それでなくとも、こちらはゴム長のサングラス。仕方がない。迂回するか。石ころだらけで、何とも歩きづらい林道もどきの道を茶の木畑峠に向かう、というか戻る。川はどんどん離れ、とうとう、川音は聞こえなくなってしまった。熊棚を散見。
(横引き尾根を銚子の伽藍方面に)
(白も出てくる)
茶の木畑峠からは「横引き尾根」という尾根のようだ。先を2人連れが歩いている。つつじが峰通りの分岐では3人組が食事中。反対側から登って来る単独氏と出会い、2人連れを追い越す。ピンクのツツジを目にし、今度は白が出てきた。標識に従って河原に下る。ここでまた単独氏が上がって来る。河原には5人グループが食事中。随分と、集中的にハイカーに出会うものだ。ちなみに、往復の尾根ではだれとも会わなかった。ここが、ハイトスさんグループご一行の自己紹介の場か。なるほど。一人で伽藍相手に自己紹介してもしょうがないか。
(銚子の伽藍)
(近づいて覗く)
銚子の伽藍を見る。穴のようなところに、水が流れ落ちていた。つまり、ここは滝なのだろう。もっと真上から覗こうと、川に入ったら、いきなり、右のゴム長に水が入った。見ると、10センチほど裂けていた。まるきし気づかなかった。あの林道もどきでだな。靴下を絞る。この銚子の伽藍、下から沢沿いに登り、ここから顔を出す方もいるみたい。あにねこさんの記事でも見かけたような。しかし、これが銚子の伽藍か。まっ、こんなものだろうな。でも、何で伽藍の形容なの?
(つつじが峰通りへの分岐)
(尾根の名前にツツジが付くだけあって、上部はきれいだった)
(そして、さねすり岩)
(向かい側に小峰通りの尾根)
(色合いでは、これが今日の最高だったかな)
(奥に1004mピーク)
白ツツジを愛でながら、つつじが峰通りの分岐に戻る。抜いたはずの2人連れが食事中。あきらめたのかねぇ。赤とピンクのツツジ。予想していた通り、この尾根、下り出しは急だった。そして「さねすり岩」。この岩の名称、当初から隠語からきたものだと思っていた。どんな岩かと、今回のルート上、銚子の伽藍の次に興味があった。傍らに蜀山人の歌碑が置かれていた。蜀山人が実際にここに来て詠んだものかどうかはともかく、「さねすりの岩をまたぎて紅つつじ ふもとの茶屋のたぼのゆもじか 蜀山人」とある(その場ですんなりと読めたわけではない。後で調べた)。やはり、随分とエロい歌だ。当時の女性の着物の下はゆもじだけだったろうし、紅つつじとの掛け合わせもまたおもしろい。これ以上の自分なりの解釈を披露するのはやめておこう。話がえげつなくなる。蜀山人がここに来たとするならば、このつつじが峰通りは江戸時代からあったということだろう。岩を見ている限り、こする程の岩越えではないのだが。「きんすり岩」としても同様。
さて(「さね」ではない)、この尾根、上りに使った小峰通り尾根に比べて幅が狭く、ところどころで崩れている。そういうところは、ロープでガードされている。小峰通りが見える。やはり向こうが高い。ということは、急な部分ももう終わったようだ。ツツジは赤だけになり、やがてしおれてくる。もう終わりだ。先に1004m標高点らしきピークが見えてくる。
(整備はされている。小峰通りよりも、こちらの利用者が多いようだ)
1004m標高点付近に到着。地形図には、ここから東西に破線路が付いている。それを辿って、振り出しに戻るつもりでいた。どこを探しても、道型はなかった。少し戻ってみた。か細い踏み跡を見つけて下ってみたが、すぐに消え、その先は急斜面になる。はてまた、反対の西側にも踏み跡らしきものもない。これは困った。それにしても、今日は、出だしから道探しばかりしているようだ。南の方には、引き続きはっきりした道が続いている。地形図を広げる。大回りになるが、この先で、ゆるやかな感じの尾根が南東に下っている。車道に出られそうだ。そうするか。このまま行ったのでは粕川に下りてしまう。
(ようやく「大猿」標識を確認)
(木の階段)
(林道に出た)
しばらく行くと、「大猿」の標識が出てきた。何だこれ。このままで良かったんじゃないか。「あずま山歩の会」発行の標識だが、同会の標識は、これまでずっと「粕川口→」表記になっていた。標識を置く以上は、大猿の併記もして欲しかったものだ。この尾根を、自分のように下りで使うハイカーもいる。破線路がなければ、不安にもなる。「あずま」だから、高木の関係者もいるはず。高木に意見してもらわんとなぁ。地図読みで下るほどの尾根でないこともまた確かなことだが。
この先でまた分岐。直進でも行けると思うが、左の方が近そうだし、標識もまたそれを誘導している。木の階段が現れ、意味ありげな石を左に見る。この石は歌碑でも石碑でも何でもなかった。階段は歩きづらかったが、脇は通れない。あっさりと林道に出た。この林道はイコール破線路かと思うが…。
(猿の置物)
(鳥居)
おおさる山乃家の裏手に出たようだ。左にフェンスがあって、ショートカットしようとしたら、フェンスにはカギがかかって、中には入れない。そして、大猿像と石祠。像は新しいものだ。この地に大猿の伝説でもあるのかなと思ったが、説明板には触れられていない。
山乃家を過ぎて赤鳥居。脇に「澳比古神社」と記された石柱があって、水たまりでは子供たちが遊んでいた。この神社、「おくひこ」とでも読むのだろうか。わざわざ神社までは行かなかった。マラとホトがご神体のようだ。あんなもの、別に見ても仕方がない。水道を見つけて顔を洗う。メガネをかけたままで水をかぶってしまった。子供の保護者に笑われた。見られていた。
(駐車場に到着)
駐車場に戻って、空き地でラーメンを作って食べる。横浜ナンバーはもういない。このあたり、滝があちこちにあるらしい。それだけを見に来るのも面白いだろうが、やはり、「熊出没」エリアの看板が出ていた。ここにきて、睡眠不足がどっと出てきた。無性に眠い。新里の友人の家に寄って、冷たいビールでも所望し、仮眠させてもらおうかと思ったが、ここは携帯電波の通じないエリアであった。しかたない。ヤツの家に直接出向いてみると、仕事車がなかった。今日も仕事か。睡魔に襲われながらの帰路の運転であった。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
大猿公園駐車場(7:33)……大猿登山口……雨やどり石……岳人岩……追分……茶の木畑峠(9:22)……長七郎山(10:07~10:22)……小沼分岐……おとぎの森標識……茶の木畑峠・再び(11:08)……つつじが峰通り分岐……銚子の伽藍(11:26~11:33)……つつじが峰通り……さねすり岩……1281m標高点……おおさる山乃家……赤鳥居……駐車場(13:40)
以前、「銚子の伽藍」という名を初めて聞いた際、千葉の銚子にでもある寺の伽藍かと思ったことがある。後で、小沼から下る粕川の浸食(?)でできた自然地形であることを知ったのだが、機会があれば行ってみるか程度のままになっていた。最近、あんぱんさんやら、ハイトスさんグループご一行が、銚子の伽藍に行かれたレポを拝見し、自分も行ってみたくなった。あんぱんさんに至っては、ツツジも見放題だったようで、半分期待の楽しみだ。
さて、この「銚子」というのは地名かと思うが、「ちょうし」と読むのだろうか、それとも「ちょうご」?疑問は残ったまま。さらにここで言う「伽藍」とは、何をもっての伽藍なのか…。
※後で知ったことだが、「銚子」とは地名ではなく徳利のことらしい。水が吸い込まれるところは、確かに徳利の感じになってはいる。
昨夜は、仕事で帰りが遅く、寝たのは1時。それでいて、目覚ましもかけず、いつものように4時半には目が覚める。年寄りの身体にはこれが応える。グズグズしながら5時半に家を出た。「おおさる山乃家」にナビをセットする。しかし、おかしなことに、梨木温泉方面に向かわせる。温泉の前を通過して、ガタガタの林道に入ると、ナビから道路は消え、反応しなくなった。地形図を見てもそんな道はないのだが、目の前に続いている。これは何かの間違いじゃないか。梨木温泉に戻ってセットし直すも、同じ方向に誘導する。このナビ、バカじゃないのか。責任感もない。仕方なく、当てずっぽうに桐生カントリーまで行き、そこでセットし直して向かったが、なおもこだわりを続け、結局、案内板を見て、ようやく辿り着いた始末。1時間以上ロスした。
帰宅後に、TrekkingMapEditor地図を見ると、確かに、ガタガタ林道はその先、大猿公園の手前でぶつかっていたが、自分の車では通過が無理だったろう。
(大猿登山口)
(尾根に上がると長七郎山が見えた)
横浜ナンバーの車が1台。オジサンが先行して歩いて行かれた。自分とは逆コース歩きみたい。少し戻って、大猿登山口から尾根に向かう。今日の足はゴム長。特別な理由はない。その方が歩きやすく思っただけ。ササに覆われてはいるが、木の階段が造られたりして、整備はされている。歩くハイカーは少ないようだ。そういえば、みー猫さんが、積雪期にここを歩かれて往生されたのではなかったか。ハイキングコースから、その時期の様子を想像することはできない。尾根に上がると、早速、長七郎山が見えてきた。そして、「梨木方面→」の手書き標識。左植林、右自然林の中を進む。植林帯はじきに終わる。
(勢多東方面)
(ようやく、元気なのが出てきた。密度も増してくる)
くたびれたツツジがいくらか残っている。赤と紫。大方は下に落ちている。やはり、もうおしまいかと思っていたが、上に行くに連れ、花は幾分元気になってきた。「雨やどり石」の標識。後で思うと、この石はどこにあったのだろうか。標識だけ撮っていた。気づかなかったみたい。
この尾根は単調だ。展望には恵まれない。ところどころに開けたところはあるが、右手に臨む景観はさほどのものではなく、勢多東の山並みが見える程度のもの。赤いツツジが次第に密になってきた。一気にペースも落ちてしまった。花見もさることながら、睡眠不足のためか、全身が気だるい。さらに、今さらながらの便意の兆候。
(小峰通りの感じはいい)
(岳人岩)
(みどり市方面。下に、つつじが峰通りの尾根が見える)
岳人岩を右に見て、左の展望が若干開ける。大間々の街並みか。下る予定のつつじが峰通りの尾根が見える。ここよりかなり低い。ということは、上部はかなり急だということか。尾根が広がりなだらかになる。「追分」通過。黒保根からのルートが合流する。ここを歩く人はほとんどいないだろう。やはり、踏み跡程度のものだ。
腹の具合もそろそろ限界になってきた。仕方がない。ヤブを越えて身を隠す。安堵。北海道の山を歩いた時、お持ち帰り用の袋が登山口に備えてあった。そんなことを律儀に守る方もいるようで、専用のポイ捨てボックスも目にした。好学のため、フタを開けて中を覗くと、中身の入った袋がいくつかあった。これとて、持ち帰れる具合のブツならばの話だろう。ここは、事前に軽く穴を掘り、後処理は土をかぶせて、ササの葉を覆う。だれもが本能的に出てくる行動かと思うが、最近は、これすらやらない輩が多い。何とも嘆かわしい。どうしても放置しておきたかったら、紙は使うなと言いたいところだ。手を洗いたいが、水は貴重品。乾いた土で手をこすり、ササの葉になすりつけ、ズボンで拭う。※参考までに、ペーパーは使っている。そのまま拭ったわけではない。誤解のないように。
(間もなく小峰通りも終わる)
(茶の木畑峠)
ツツジが群れてきて「茶の木畑峠」。前橋市発行の「茶ノ木畑峠」の標識が立っている。予定では、山には登らず、そのまま銚子の伽藍に行くつもりでいたが、腹具合が解消したら、少しばかりの欲が出た。直近の長七郎山にでも寄るか。ハイキングコースを歩き続けるのも面白くないので、1466m標高点経由の市境線に沿って行くとする。標高差はせいぜい100mだ。
(結構なヤブだが)
(わざわざ見に行く)
(長七郎山。下が鞍部)
(鞍部からは、さしたる障害もない)
(山頂直下。ピンクが目に付くようになる)
入りこんで間もなく後悔した。獰猛な細木の枝ヤブだった。メガネを2回飛ばされた。なかなか先に進まないが、盛りのツツジをわざわざ見に行く余裕はある。何とかヤブ帯を切り抜け、下る。物好きもいるようで、黄色いテープを目にする。こんなところ、テープは必要ないと思うが。一旦、開けた鞍部に出る。ここからのヤブはたいしたことはなく大人しい。適当に歩きやすいところを拾って上を目指す。長七郎山に到着。
(長七郎山山頂)
(霞んで、眺望はよろしくない)
(一旦、小沼方面に下る)
だれもいなかった。正面に地蔵岳。富士山は見えない。周囲は霞んでいる。15分ほど休憩する。その間、3人組と単独氏が上がって来た。下る。この先、ハイキング道のままに西に下り、オトギの森方面に向かい、適当なところから粕川の河原に下り、上流から銚子の伽藍に出るつもりでいる。小沼方面へのルートは昭文社マップには出ていないが、明瞭なハイキングコースになっている。間もなく、小沼とオトギの森分岐。オトギの森分岐は2本ある。川に出るには右だろう。
(おとぎの森の中)
(結局、こんなところを歩くことになってしまった)
川沿いにどんどん下る。2人連れとすれ違う。まだまだ川床までは高い。滝が流れていたり、崩れたりで、下れる適地が見つからない。道がカーブし始めた。地図を見ながら、そろそろだなと思っていたら、運悪く、入り込もうとするヤブの手前で、2人連れがシートを広げて食事中。ここでうろうろと川に下る踏み跡を探すのは計算のうちに入れていたのだが、うろうろができなくなった。不審に思われるだけだ。それでなくとも、こちらはゴム長のサングラス。仕方がない。迂回するか。石ころだらけで、何とも歩きづらい林道もどきの道を茶の木畑峠に向かう、というか戻る。川はどんどん離れ、とうとう、川音は聞こえなくなってしまった。熊棚を散見。
(横引き尾根を銚子の伽藍方面に)
(白も出てくる)
茶の木畑峠からは「横引き尾根」という尾根のようだ。先を2人連れが歩いている。つつじが峰通りの分岐では3人組が食事中。反対側から登って来る単独氏と出会い、2人連れを追い越す。ピンクのツツジを目にし、今度は白が出てきた。標識に従って河原に下る。ここでまた単独氏が上がって来る。河原には5人グループが食事中。随分と、集中的にハイカーに出会うものだ。ちなみに、往復の尾根ではだれとも会わなかった。ここが、ハイトスさんグループご一行の自己紹介の場か。なるほど。一人で伽藍相手に自己紹介してもしょうがないか。
(銚子の伽藍)
(近づいて覗く)
銚子の伽藍を見る。穴のようなところに、水が流れ落ちていた。つまり、ここは滝なのだろう。もっと真上から覗こうと、川に入ったら、いきなり、右のゴム長に水が入った。見ると、10センチほど裂けていた。まるきし気づかなかった。あの林道もどきでだな。靴下を絞る。この銚子の伽藍、下から沢沿いに登り、ここから顔を出す方もいるみたい。あにねこさんの記事でも見かけたような。しかし、これが銚子の伽藍か。まっ、こんなものだろうな。でも、何で伽藍の形容なの?
(つつじが峰通りへの分岐)
(尾根の名前にツツジが付くだけあって、上部はきれいだった)
(そして、さねすり岩)
(向かい側に小峰通りの尾根)
(色合いでは、これが今日の最高だったかな)
(奥に1004mピーク)
白ツツジを愛でながら、つつじが峰通りの分岐に戻る。抜いたはずの2人連れが食事中。あきらめたのかねぇ。赤とピンクのツツジ。予想していた通り、この尾根、下り出しは急だった。そして「さねすり岩」。この岩の名称、当初から隠語からきたものだと思っていた。どんな岩かと、今回のルート上、銚子の伽藍の次に興味があった。傍らに蜀山人の歌碑が置かれていた。蜀山人が実際にここに来て詠んだものかどうかはともかく、「さねすりの岩をまたぎて紅つつじ ふもとの茶屋のたぼのゆもじか 蜀山人」とある(その場ですんなりと読めたわけではない。後で調べた)。やはり、随分とエロい歌だ。当時の女性の着物の下はゆもじだけだったろうし、紅つつじとの掛け合わせもまたおもしろい。これ以上の自分なりの解釈を披露するのはやめておこう。話がえげつなくなる。蜀山人がここに来たとするならば、このつつじが峰通りは江戸時代からあったということだろう。岩を見ている限り、こする程の岩越えではないのだが。「きんすり岩」としても同様。
さて(「さね」ではない)、この尾根、上りに使った小峰通り尾根に比べて幅が狭く、ところどころで崩れている。そういうところは、ロープでガードされている。小峰通りが見える。やはり向こうが高い。ということは、急な部分ももう終わったようだ。ツツジは赤だけになり、やがてしおれてくる。もう終わりだ。先に1004m標高点らしきピークが見えてくる。
(整備はされている。小峰通りよりも、こちらの利用者が多いようだ)
1004m標高点付近に到着。地形図には、ここから東西に破線路が付いている。それを辿って、振り出しに戻るつもりでいた。どこを探しても、道型はなかった。少し戻ってみた。か細い踏み跡を見つけて下ってみたが、すぐに消え、その先は急斜面になる。はてまた、反対の西側にも踏み跡らしきものもない。これは困った。それにしても、今日は、出だしから道探しばかりしているようだ。南の方には、引き続きはっきりした道が続いている。地形図を広げる。大回りになるが、この先で、ゆるやかな感じの尾根が南東に下っている。車道に出られそうだ。そうするか。このまま行ったのでは粕川に下りてしまう。
(ようやく「大猿」標識を確認)
(木の階段)
(林道に出た)
しばらく行くと、「大猿」の標識が出てきた。何だこれ。このままで良かったんじゃないか。「あずま山歩の会」発行の標識だが、同会の標識は、これまでずっと「粕川口→」表記になっていた。標識を置く以上は、大猿の併記もして欲しかったものだ。この尾根を、自分のように下りで使うハイカーもいる。破線路がなければ、不安にもなる。「あずま」だから、高木の関係者もいるはず。高木に意見してもらわんとなぁ。地図読みで下るほどの尾根でないこともまた確かなことだが。
この先でまた分岐。直進でも行けると思うが、左の方が近そうだし、標識もまたそれを誘導している。木の階段が現れ、意味ありげな石を左に見る。この石は歌碑でも石碑でも何でもなかった。階段は歩きづらかったが、脇は通れない。あっさりと林道に出た。この林道はイコール破線路かと思うが…。
(猿の置物)
(鳥居)
おおさる山乃家の裏手に出たようだ。左にフェンスがあって、ショートカットしようとしたら、フェンスにはカギがかかって、中には入れない。そして、大猿像と石祠。像は新しいものだ。この地に大猿の伝説でもあるのかなと思ったが、説明板には触れられていない。
山乃家を過ぎて赤鳥居。脇に「澳比古神社」と記された石柱があって、水たまりでは子供たちが遊んでいた。この神社、「おくひこ」とでも読むのだろうか。わざわざ神社までは行かなかった。マラとホトがご神体のようだ。あんなもの、別に見ても仕方がない。水道を見つけて顔を洗う。メガネをかけたままで水をかぶってしまった。子供の保護者に笑われた。見られていた。
(駐車場に到着)
駐車場に戻って、空き地でラーメンを作って食べる。横浜ナンバーはもういない。このあたり、滝があちこちにあるらしい。それだけを見に来るのも面白いだろうが、やはり、「熊出没」エリアの看板が出ていた。ここにきて、睡眠不足がどっと出てきた。無性に眠い。新里の友人の家に寄って、冷たいビールでも所望し、仮眠させてもらおうかと思ったが、ここは携帯電波の通じないエリアであった。しかたない。ヤツの家に直接出向いてみると、仕事車がなかった。今日も仕事か。睡魔に襲われながらの帰路の運転であった。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
参考までに…ですか。後で読み直ししてみて、誤解を受けそうだなと思って追記したのですけど。やりすぎですかね。私、加減がよく分からなくて。
私の記述を参考にされても、みー猫さんの再履行は、雪の時期でしょうから、あまり参考にならないのではないですか。
自己解釈は披露しなくて無難かと。(笑)
長七郎への登りは自分らは鞍部からだったのでほとんど薮はなかったのですが、茶の木峠からこの様なルートだと少しは楽しめるのですね。
銚子の伽藍は粕川の沢登りの終点の様ですが、あの落ち口に顔を出して終了らしいです。
沢のどの程度のランクかは知りませんが、今度Mさんに聞いて見たいと思います。
厳しいところが1箇所有るらしいですが。
みー猫さんは登られているかも・・です。
みー猫さんは、あの釜から顔出したことあるんですか。覗き込んで、脚立は立てられないなと思ったりもしていたのですけど。猫どころか河童ですね。夏なんか、それも気持ちがいいでしょうね。
長七郎への登りですけど、ハイトスさんのおっしゃるように、「少しは」楽しめますね。でも、本当に少しですね。ヤブを抜けて、テープを見れば、満足どころか、後悔しかありませんわ。
何か恐ろしげな感じもしますけど・・・記念写真中に釜から顔が出たらちょっとした・・・いや、かなりパニックでしょうか?沢の最後は登頂感が欲しいと勝手に思っています。場所は違いますが、安達太良山の石筵沢なんか行ってみたいなと思ってます。難しくないみたいですが最後ヤブ?・・・いかがでしょうか。
石筵沢?いかにも一筋縄ではいかない名前のニュアンスですよ。私あたりは、松木沢のゴーロを沢靴で滑って歩いているのが関の山というものです。
この界隈は赤城山の一部なのですね。
私は子供の頃には数回赤城には行っていると思いますが、山登りはしたことがないので今年中には行ってみたいです。あくまでも一般ルートですけどね。
北海道でのお話、面白いですね。専用ボックスを開ける好奇心と探究心には恐れ入ります。
最近は幸いにも山の中ではいたしておりませんが、やはり穴を掘っていたすのが常道かと存じます。
ですよね。常道ですよね。指導を受けなくとも、そうしますよね。
あの好奇心ですけど、やはり、お持ち帰りがいるものなのかと、確認したくなります。自分なら、いくら持ち帰り可能であっても、ザックの中でオニギリと同居はさせたくないですよ。律儀な方もいるものです。方や、放置も目にしたのは確かなのですがね。
赤城山はそれほどの山でもありませんよ。今回ルートも、一般ルートとはいえますが、ヤブをこいで登るほどの山ではありませんね。一般ルートで十二分に楽しめます。