池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

憧憬

2011年05月01日 | 昔の事
およそ30年前初めて就職した会社が大阪市中央卸売市場本場に
本社がある漬物の卸売り会社であった。
大卸問屋で日本全国の漬物の取扱をしていて
その数量と販売金額は相当な物流量を誇っていた。
当然、大阪府内で消化されるも毎日の入荷と出荷量も相当なもので、
午前中の早い時間から入荷が始まり、
その日のうちにそれら全てが販売されて在庫が消化されるスピードは
目を見張るほどの今思い出しても驚きである。

又その中で、届く産物に季節感が感じられて
「ああ、この季節の頃になったな~。」と感じる事も多かった。

特に、夏場の北海道産の沢庵漬に関してはその数が莫大で
毎日、国鉄コンテナ(現 JR貨物扱い)で沢庵漬が
コンテナ内にドライアイスを天井にぶら下げた状態で
入荷していたのは思い出が深い。
毎日5トンを販売するネットワークもすごかったが
又その沢庵漬が北海道に多数の生産メーカーが有って製造していたというのが
今、思い出すとすごかった。

また、長野県和田村産の野沢菜漬も毎日1500袋詰製品と、
15キロの樽入りが100丁ほども入荷していた。
この野沢菜は、納品場所が決まっていて、確か、イズミヤと近鉄百貨店が
メインの納品先であったように記憶している。

生姜は大阪府南部の生産者がありこれもほぼ毎日12キロ入りで100缶ほどが入荷し
自社でも奈良漬と浅漬けの製造を行っていた。
すごい会社であった様に記憶がよみがえる。

大阪商人の商いの流儀というか、薄利で毎日の利益を販売の数量で稼ぎ出す。
当然、薄利であるが故にその在庫管理は厳しく毎日棚卸しを行い(在庫調べ)
明日に何を販売をするべきかが、営業担当の手腕の見せ所である。
当然、そのような会社であるので、省力機械化は行われていて
フォークリフトでの荷役作業はいち早く行われていたし
冷蔵保存や冷凍保存の方法も当時から確立していた。
また、
西日本各地に卸売りする地方の卸売り会社があり九州北部や西部には
特に産地からの直送販売で伝票が大阪本社を経由するだけで売り上げが立ち
商品は手元を通過しない効率のよい販売方法もその中心にあった。
で、
現在、その私が勤めた会社は問屋事業を大幅に縮小して
量販店向けの漬物製造と卸売り業務に専門化してより巨大化している。

物流と販売の形態がこの30年で全く変わってしまったことを意味している。
小売販売店が買出しに来る中央卸売市場での卸売りという構造自体が機能しなくなった。
変わりに卸売り販売と輸送保管事業が一体化したベンダーと呼ばれる、
食品総合商社が量販店に対して効率化と一括納品を主力にした営業を確立したからである。

これでは構造的に小売店には仕入れ存続はできにくくなる。

シャッター通りになってしまった商店街や小売業の活性化を謳う行政が多いが
根本、この仕入れの状況に関して、現況に対しての考察ができているのであろうか?
何か違うように思えてならない。

その修行時代に目にしたことは今となっては過去の商流の形態であり今には通用しないが
大阪流儀の薄利で多数を販売して利益を得る方法も今後通用していくとは考えられない。
購買意欲の沸かないこの頃の世情に沿ってみても将来への希望が薄氷の上を歩くがごとく
に感じて仕方ない。

その当時の若き多感な時代の私はいつも将来を常に悩んでいた。
この歳になってからも常に将来を悩んでいる。
夢中になるものがあった時はその悩みが消えているのであるが、
今又、将来の20年間を悩みだしてしまった。

今、夢中のなれるものに憧憬を具現化する努力を残りの20年で
目標にするのも良い時に来ているのかもしれない。

その夢は・・・・・・・・・・・・・・・。


TSサニー 1300  50


なんとなくこの業界の知り合いも多いしできそうな気がするが・・・・・・・・・。
二輪では草レースで前の方で何度か走ってるし・・・・・・・・・・・・。
街中や峠ではこれに似たような走り方が今でもできるし・・・・・・・。
私の体型に合うレーシングスーツとバケットシートがあれば良いがなぁ・・・・・・。
やはり、最難関はお金やねぇ~。
トヨタのKP47(クワハラ自動車!分かる人には分かる。)いいねぇ~。





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