東京国立近代美術館で開催中の「ぬぐ絵画」「ヴァレリオ・オルジャティ展」を見に行ってきました
(ぬぐ絵画~HPより)
今日も盛んに描かれ続ける、はだかの人物を主題とする絵画。絵といえば、風景や静物とともに、まずは女性のヌードを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
しかし、はだかの人物を美術作品として描き表し、それを公の場で鑑賞するという風習は、実はフランス、イタリア経由の「異文化」として、明治の半ば、日本に入って来たものでした。以後、これが定着するまで、はだかと絵画をめぐって、描く人(画家)、見る人(鑑賞者)、取り締まる人(警察)の間に多くのやりとりが生じることになりました。
「芸術にエロスは必要か」「芸術かわいせつかを判断するのは誰か」にはじまり、「どんなシチュエーションならはだかを描いても不自然ではないのか」「性器はどこまで描くのか」といった具体的な事柄まで、これまで多くの画家たちが、はだかを表現するのに最適な方法を探ってきました。
今日も広く論じられるこうした問いの原点を、1880年代から1940年代までの代表的な油彩作品約100点によってご紹介します。
ネット全盛の現在となってはある意味なんでもアリですが、芸術か猥褻か?というのは、少し前までは写真や映画等の露出で、普通に真面目に論議されていた事柄だと思います。
更に、昔となれば…文明が開花し、西洋の文化が入ってきた時代、芸術としての裸を浸透させようとした人々、芸術性を高めていった人、
色んな過程の絵画や像を見る事が出来て、興味深かったです。
面白かったのは、絵画に描かれた女性の下半身に布を巻いていたら、男性客がステッキで下してしまい困ったとか、
官憲対策として、始めから葉っぱを付けたとか、薄い布なら大丈夫とか、
寝転ぶ被写体だとエロティックだけど、やや斜めならそう感じないとか…
時代が移り人々の価値観も変化してきて、芸術は芸術として鑑賞出来る時代になりましたが、
それでも、なんとなく昔の人の気持ちも分かる気がします。
分かっていても、裸の像とか見るのはちょっと気恥ずかしいし(笑)
(ヴァレリオ・オルジャティ展~HPより)
作品を発表するたびに話題を集める建築家、それがヴァレリオ・オルジャティです。彼が今事務所を構えているのは、グラウビュンデン地方の山里であるフリムス。このことからもわかるように、オルジャティは、時流にとらわれることなく、建築の本質と向き合い続けてきました。
その建物の特徴は、「概念性」と「職人性」と「芸術性」とが高いレベルで融合しているところにあります。篠原一男(1925-2006)や安藤忠雄(1941- )などの影響もうかがえる幾何学的なプラン(平面図)に、時には土着的と思える形や模様を与えていくオルジャティの建築は、過激さと懐かしさとユーモアを同時に備えることに成功しています。そこで求められているのは、新しい建築などではなくて本当の建築である、そう言い換えることもできるでしょう。
建築の事は詳しく分かりませんが、この展示の中の山の中の小学校が素敵だな~と思いました。
外観は殺風景な箱型でしたが、教室や他の施設が、とても個性的なおかつ機能的で、そのギャップに驚きました。
常設展示も、たくさんあり見ごたえがありました
私でも知っている人の作品もあり、見ていて楽しかったです。
今まで知らなかった作家さんの絵でも、面白いな~好きだな~と思う絵もあり行って良かったです
他は、色彩が目をひくものがあり、ベアの作品作りに生かしてみようかな~と思いました
美術館とかは好きで行きますが、混んでいたり立ちっぱなしで疲れてしまい、途中でぐったりしてします事も多いのです
でも、今回は混み具合はほどほどな感じでゆっくり見る事が出来、近代の作品だったので自分の知っている人の作品もあり、
終始、楽しく鑑賞出来て良かったです
常設展示も入れ替わって展示しているとの事なので、また行きたいです
(ぬぐ絵画~HPより)
今日も盛んに描かれ続ける、はだかの人物を主題とする絵画。絵といえば、風景や静物とともに、まずは女性のヌードを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
しかし、はだかの人物を美術作品として描き表し、それを公の場で鑑賞するという風習は、実はフランス、イタリア経由の「異文化」として、明治の半ば、日本に入って来たものでした。以後、これが定着するまで、はだかと絵画をめぐって、描く人(画家)、見る人(鑑賞者)、取り締まる人(警察)の間に多くのやりとりが生じることになりました。
「芸術にエロスは必要か」「芸術かわいせつかを判断するのは誰か」にはじまり、「どんなシチュエーションならはだかを描いても不自然ではないのか」「性器はどこまで描くのか」といった具体的な事柄まで、これまで多くの画家たちが、はだかを表現するのに最適な方法を探ってきました。
今日も広く論じられるこうした問いの原点を、1880年代から1940年代までの代表的な油彩作品約100点によってご紹介します。
ネット全盛の現在となってはある意味なんでもアリですが、芸術か猥褻か?というのは、少し前までは写真や映画等の露出で、普通に真面目に論議されていた事柄だと思います。
更に、昔となれば…文明が開花し、西洋の文化が入ってきた時代、芸術としての裸を浸透させようとした人々、芸術性を高めていった人、
色んな過程の絵画や像を見る事が出来て、興味深かったです。
面白かったのは、絵画に描かれた女性の下半身に布を巻いていたら、男性客がステッキで下してしまい困ったとか、
官憲対策として、始めから葉っぱを付けたとか、薄い布なら大丈夫とか、
寝転ぶ被写体だとエロティックだけど、やや斜めならそう感じないとか…
時代が移り人々の価値観も変化してきて、芸術は芸術として鑑賞出来る時代になりましたが、
それでも、なんとなく昔の人の気持ちも分かる気がします。
分かっていても、裸の像とか見るのはちょっと気恥ずかしいし(笑)
(ヴァレリオ・オルジャティ展~HPより)
作品を発表するたびに話題を集める建築家、それがヴァレリオ・オルジャティです。彼が今事務所を構えているのは、グラウビュンデン地方の山里であるフリムス。このことからもわかるように、オルジャティは、時流にとらわれることなく、建築の本質と向き合い続けてきました。
その建物の特徴は、「概念性」と「職人性」と「芸術性」とが高いレベルで融合しているところにあります。篠原一男(1925-2006)や安藤忠雄(1941- )などの影響もうかがえる幾何学的なプラン(平面図)に、時には土着的と思える形や模様を与えていくオルジャティの建築は、過激さと懐かしさとユーモアを同時に備えることに成功しています。そこで求められているのは、新しい建築などではなくて本当の建築である、そう言い換えることもできるでしょう。
建築の事は詳しく分かりませんが、この展示の中の山の中の小学校が素敵だな~と思いました。
外観は殺風景な箱型でしたが、教室や他の施設が、とても個性的なおかつ機能的で、そのギャップに驚きました。
常設展示も、たくさんあり見ごたえがありました
私でも知っている人の作品もあり、見ていて楽しかったです。
今まで知らなかった作家さんの絵でも、面白いな~好きだな~と思う絵もあり行って良かったです
他は、色彩が目をひくものがあり、ベアの作品作りに生かしてみようかな~と思いました
美術館とかは好きで行きますが、混んでいたり立ちっぱなしで疲れてしまい、途中でぐったりしてします事も多いのです
でも、今回は混み具合はほどほどな感じでゆっくり見る事が出来、近代の作品だったので自分の知っている人の作品もあり、
終始、楽しく鑑賞出来て良かったです
常設展示も入れ替わって展示しているとの事なので、また行きたいです