goo blog サービス終了のお知らせ 

まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

交際範囲1;カトー・ユリさんの場合

2005-03-20 10:47:37 | いろんな人がいるよ。
ここ一ヶ月のうちに、自分の交際範囲がここ最近なかった勢いで広がっています。
それは、金曜日に一緒に演奏した、カトー・ユリさんが家に出没するようになってからです。

よくこのブログでコメントをしてくださるTAKAMIさんもかなり交際範囲の広い方ですが、カトー・ユリさんも同じような勢いがあります。
うちにいろんな人を連れて来ては、「あー、彼とはこの前バスの中で会ってー・・・」とか、「彼とは空港で一緒になったのー」などと紹介してくれるのですが、今まで知っている人たちに比べ、友達になった経緯があまりにも唐突です。
初対面の人と話すのにここまで抵抗がない人も珍しい。

大体うちによく来るようになったのは、彼女の校舎が我が家の目の前で、子供を連れた妻の買い物袋が重そうだったので、手伝いましょうかと声をかけてくれたのがきっかけです。

彼女の素晴らしいところは、全く気さくで、分野、学歴、国籍、性別、年齢など全く問わないところです。
「だって、せっかく人と出会えるのに躊躇してたらもったいないじゃん。」
ということだそうです。

Tシャツ騒動のその後

2005-01-28 02:31:28 | いろんな人がいるよ。
しばらくご無沙汰していたらいろいろコメントを書いてくださり、有難うございました。
懐かしい名前もあったりして、嬉しかったです。
ちょーっと今立て込んでいるので、週末にはまとめてコメントさせていただきます!

さて、1月21日掲載のTシャツ騒動のその後ですが、本人と話をする機会があったので訊いてみました。

怒られた後、大学側に、「もう一度登って取って来ますから許してください。」
と謝ったそうなのですが、大学としては危険を伴うことを公に許可するわけにはいかないということで、彼に200ポンド(約4万円)の罰金を科しました。
大学はその罰金で業者を頼み、Tシャツを脱がせたそうです。

彼の友人が行ったさらに過激ないたずらの話も聞いたのですが、また次回ということで。

こんなことやってはいけないけど、スゴイ!

2005-01-21 03:41:59 | いろんな人がいるよ。
学生のころ、若さに任せてアホなことに挑戦したことはありませんか?
僕たちは、そういえば皇居から中央線の武蔵境にある大学まで歩きましたね。
夜10時に集まって、朝8時過ぎに着いたんじゃなかったかな。
パブで、そんなことを思い出させる話を聞きました。

入学した次の日、学生自治会のボランティアに連れられて、1時間ほどの学校見学ツアーに参加しました。参加者は20人ほどだったでしょうか。

ツアーの締めくくりは、歴史の長いエディンバラ大学の中でも、建学当初からあるOld Collegeでした。100年以上前に書かれたエディンバラの絵の中にも、この建物は出てきます。卒業生のチャールズ・ダーウィンもこの荘厳な建物の尖塔を見つめていたことでしょう。

ここでボランティアの学生は面白い話をしました。
尖塔の一番高いところに、金色の像が立っていますが、この像にイタズラでTシャツを着させた学生がいたとか。大学側はこれに対して憤慨し、学生に謝罪を求めた上、今後このイタズラが続いてもし事故が起こったとしても一切の責任は負わない、という看板を出しました。

この体を張ったアホさ!写真を見てください。はしごがついているわけではないし、遠くからも目立つ高い建物です。

そんな話も忘れていたついこの前、この伝説の男を発見しました。しかも同じ熱帯獣医学センターで学んでいる先輩だったのです。
彼は獣医師で、今ザンビアでの研究をしています。

ステワート2

2005-01-16 01:44:46 | いろんな人がいるよ。
エディンバラには、「ネパール・スコットランド家族と友達の会」という集まりがあります。
この会は、グルカレストランというネパール料理屋を経営するライさん一家を中心としています。
またライさんの話も濃くなるので置いときますが、ステワートは若手の中心的存在です。若手といっても、彼以外は全員ネパール人(我が家を除き)ですが、いい関係を築いています。

彼は、カトマンドゥのタメル地区にある服やさんで、3年ほど輸出の仕事をしていました。
そこで奥さんのメリナさんと知り合いました。

彼のアパートに行くと、懐かしい(僕にとって)ネパールの品々がたくさん飾られています。
ネパールの雑貨店を開くのが彼の夢です。店舗を探すのにかなり時間がかかったようですが、とうとう見つかり、夢が現実になる日が近づいてきました。この春オープンの予定です。これからも、ちょくちょくネパールを往復して、あのリラックスした雰囲気に囲まれて過ごすのでしょう。いいなあ。
南米、ヨーロッパ、アジアを旅した末に、ネパールにたどり着いたということです。

もう一つ良い知らせがあります。
結婚して4年目、奥さんはとうとう身ごもりました。初めて他人にもらしたのが我が家族ということで、ステワートは「もう、おしゃべりなんだから。」とメリナをつついていました。微笑ましい・・・。
面白いのが、電話で僕と話をするときは英語、メリナが入ると2対1の割合で英語、我が妻子が入ると完全にネパール語の会話になります。
昨日の写真は、彼らと一緒に撮った写真でした。

ステワート

2005-01-15 06:58:27 | いろんな人がいるよ。
いろんな人がいるよ。
と、与那国島の民宿のおばちゃんが、新婚旅行の時に口癖のように言いました。
本当にそうだなあ、と旅をするとよく思います。

こちらに来て、言葉も土地勘も不慣れな僕を助けてくれたのは、こちらに出稼ぎに来ているネパール人達でした。自分の国の言葉を話す日本人に、非常に親近感を覚えたようで。
実は僕は、青年海外協力隊としてネパールで活動していたのです。
こちらのネパール人たちは、ただでアパートに泊めてくれたばかりか、食事もしばらく食べさせてくれました。

ある日一人のネパール人から、友達を紹介したいから今から行ってもいいか、と電話がありました。電話口でその友達と挨拶し、家で待っていましたが、ベルが鳴ってドアを開けると、背の高いスコットランド人が立っています。

「ナマステー!ハハハー!」
と、いきなりそのトムクルーズ似の男はネパール語で話し始めました。
後ろで電話をかけてきたネパール人が笑っています。
あまりの出来事に一瞬ポカンとしましたが、大笑い。
その日から彼とは仲良くなったのでした。
続く。