まちや小(ぐわあー)

その先を曲がったら何があるのだろう、どきどきしながら歩く。そして曲がってみて気がついたこと・感じたことを書く。

緊張感

2008年06月22日 | Weblog
何かをしているとき、いつも緊張感を持っていたい。
例えば「そういったものなら大丈夫。他のものに変えれば」とか、なんてことなく対応したとする。
ところが、それが何年かたって人の体に健康被害を及ぼすことになったり、その対策(対応)に何十億というお金や、何十年もの月日がかかったりしてしまう。
それは取り返しが付かないこと。事実を緊張感を持たずに対応することの恐ろしさを、知っているのか、知らない振りをするのか、それとも何かをすることが面倒くさいから「それが限度だった」と開き直るのか。

こういったこと(問題)は大小ある。
ただ、その時々に緊張感を持って対応に当たっているか、そして、努力をしているかが問題になってくる。で、どこまで頑張るかによる。
頭を使い、また体も使う。資料がなかったら探す、どこまでも。
自分で、自分たちで解決できないのなら、これも繰り返し書くが応援を求める。
そうして問題の究明(解決)をする。
問題を問題のまま残しておかない。

それを「知らなかった」とか「限度」と云って、じつは何もしないで済まされるものではない。また、大小の問題でもない。
いい加減に済まそうとか、そういった気持ちがどこかにあって、で、そうしてしまうのだろうが、それではいけない。常に疑問を持ちながら、そしてその疑問を何とか解明しようとすることが必要。なのにそれをしないでいる(いた)。

気にしていたら、自分たちの力で何とかしようとする。ところが限度がある。それならいろいろなところ(研究機関・大学等)に応援を求めることも必要。そして、最大限努力し、その問題を究明してみようとし、することが大事。
それを最初から諦めていたら、問題は大きくそして長期間になる可能性がある。
それを防ぐのは緊張感と探究心が必要。そしてその緊張感と探究心を持ちながら、目の前の問題にどう対応していこうか、考え、そして繰り返しになるが1人じゃ解決できない場合は他の人・部署に応援を求めること。で、問題を究明していく。
そして、問題が大きくならないうちに対処する。

そのためには、いつも心のどこかに「緊張感」を持っていなければならない。

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