まちや小(ぐわあー)

その先を曲がったら何があるのだろう、どきどきしながら歩く。そして曲がってみて気がついたこと・感じたことを書く。

挨拶を

2011年12月24日 | Weblog
自分の言葉で言えない。誰かに作ってもらった原稿をその場で読む。
これ、最低。
どういったものであれ、自分で考えて自分の言葉で話さなければダメ。
それが出来ない、それでその人の力のなさが分かる。

で、こういったことは日常茶飯事。
だからこそ、短い言葉でも自分で考え、自分の言葉で話してる、そう思える人がまともに見える。
しかし、祝電を出した人の名前を何度も間違えるのは最低!その位は事前にチェックし、ふりがなふっておけよ!

資金集め

2011年12月24日 | Weblog
研修会の資料代が1人5,000円で、参加者が1,000人だとすると500万円。
で、その研修会の経費内訳は資料(ペーパー)と講演料。

で、資料代なんてたかがしれたもの。
また、講演料なんて自前(職員)だからただ同然。

だから会場使用料をまともに払っても(主は印刷代金)主催者側には400万円前後のお金は入る。

まあ、会場使用料は「免除」ってことにしてる?はず。

となると、研修会にかかる費用は資料の印刷代だけということに。

これ、研修会という名の「活動費集め」でしかない!

なぜ

2011年12月24日 | Weblog
〇和問題の研修会会場で、研修会が始まるまでの間に会場内に『五木の子守唄』をひたすら流し続ける。

これ、五木の子守唄がそういったイメージになってしまったら、あくまでも歌として、曲として慕われてきたものが、そのイメージが変わって&おかしくなってしまう。

おかしい!

研修会の

2011年12月24日 | Weblog
短期間の間に日程がなんども変わる。
これ、一度はあっても二度は普通はない。
でも、主催者側は気にしないで日を変える。それでいいと思ってる。
しかし、講師が急に体調を崩した、とかじゃなければあり得ないこと。
これ、社会的にも最低。
でも、俺たちはいいことをしている。
主催者側はそう思っているから、繰り返し書くが、これ最低!

知らない

2011年12月24日 | Weblog
幸せと知ってる不幸せ。
こういった二つがあるとする。

で、一つ例をあげると、何にも知らないである場所に行った。で、後で聞いたらそこは非常に危ない場所で地元の人たちも行かない場所だった。
これ、典型的な『知らない幸せ』。

それが、例えば〇和問題、この問題は差別・区別しない、それでいいはず。
だが、相手側はそうはではない。
『あなたが分かっていてもあなたの周囲の人たちにも分かってもらわないと!』になる。
人は人。出身地などど付き合うものじゃない。
これで済むはずだが、根強く差別・区別があるのは事実。

差別・区別のない世の中を作る、これは理想としては素晴らしいが現実は難しい。でも、それを少なくするのは可能なはず。
まあ、まともな活動をしてるところならいいがそうでもないものもある。
自治体や企業に対し、対策費として多額の税金をもらったり、また、だからということではないが自治体職員などを対象に研修会などを開く。
これ、真にそう思ってやっているならいいがどうも実績作りだけのように思えて仕方ない。
で、『知ってる不幸せ』。これは研修会を開く方。差別・区別ということを多くの人たちに知らせることが、逆にそれを知らない人た