まちや小(ぐわあー)

その先を曲がったら何があるのだろう、どきどきしながら歩く。そして曲がってみて気がついたこと・感じたことを書く。

人事評価制度

2009年04月05日 | Weblog
勤務評定→(能力主義)→人事評価制度?

共通した問題は評価する側!
「好き・嫌い」や「噂」などで評価をしたりしてしまう、評価側の資質(能力)。

また、される側の職員の職務内容に対する向き・不向きをどう見るか。
「向き・不向き」これは少なからずある。
そこまで見た上(確認した上で)で評価できるか。
そして、そうしたところまで見て、で人事に反映することが出来るか。
ここが上の人たちの1つのポイント。
まあ、これがどこまで出来るか、なんとも?なのだ。

で、人事評価制度の行く先は、職員をランク付けしたあとで本質の部分は脇においておくと、現実的なこととして、来年度あたりの夏のボーナスから、勤勉手当に反映されていくことになるのだろう。

人を評価する。
これは大変なこと。どこに基準を置いて、どういったポイントを見て評価するのか。そして評価する側の基準と考えがどこまで整理・統一されているのか。
繰り返すが、一番問題になるのは、どれだけ個の感情を抑えて人を評価することが出来るのか。
また、評価した人がされた側から見たらどう評価されるのか、今から興味大なのだ。

しかし、現状でもそういった能力があるとは思えない人事が行われている。
例えばあ能力のある人が、その能力を発揮できなそうな部署にいる(そう思える人たちがかなりいる)これは一個人で思っていることではなく、他の人たちに聞いても同じような答えが返ってくるのだから、間違ってはいない。ところがそういった場所で生き生きと仕事をしているかというと、そうでもない。ただ、ほかの人と比べるとほかに人と同等・それ以上の仕事はしている。

こういった人たちの能力を生かすための人事異動があってもいいと思う。ただ年数がたったからとか、そういったことでの人事はこの人たちに当てはめて欲しくない。

こうした能力のある人たちなら、例えば企画力や分析力などに能力があうとして、それならそうした部署で短期・長期にわたってその人が持っている能力を発揮できたら最高なのだ。ところがそんな人たちが能力を発揮すること出来なさそうな、長期的な展望にたって仕事をするのではなく1日(その日)で完結するような、そんな部署にいたりするのは実にもったいないのだ。
これこそ『宝の持ち腐れ』なのだ。

で、そんな人たちはジレンマを抱えて、外から見ると変な言い方だが、なかばいじけているようにも見えて、なので繰り返し書くがそういった能力のある人たちを能力が発揮できる部署に持っていくことも人事評価のひとつではないかと思う。そしてその人たちにある程度の時間(1年や2年では異動させない、また計画的に次の世代も養成していく)をあげ、そこの部分に予算をつける。

それこそ、そういった人たちの持つ能力を発揮させることで、このまちがいいまちになっていく土台を作り上げていくのではないか、真剣にそう思うのだ。

駄目押しのようだが「実にもったいない!」のだ。
そういった人たちの話・提言・意見を聞き、またくみ上げて行政に生かす。これがまちづくりの元になるのだ。

PAC-3

2009年04月05日 | Weblog
正式名称は「patoriot Advanced capability」
防衛省では「ペトリオット能力改善3型(地対空誘導弾)」と呼んでいる、弾道ミサイルを大気圏内で迎撃する能力を持つミサイルを含むシステム全体のことを総称しての云う。

今回は日本海側を中心に配備したのだが、その発射台のボディに『INERT』『MISSILE HOUND TRAINER』と書いてあったら、それは「効果のない訓練弾」であり、実弾は搭載しているものの、単なるデモンストレーション用(防衛費の増額)のものでそれこそ単なる飾り。

今回の問題で、デモ用以外の実戦用の発射台が日本全国にいったい何台用意されたのか?

衛星

2009年04月05日 | Weblog
「大山鳴動して」ではなく「大山鳴動させて…」
最初からミサイルではなく衛星と分かっているのに自衛隊のための予算が欲しいのか、国民を騙して、そして脅かした挙句、誤報を出し、管理体制の甘さを暴露した政府と自衛隊。

衛星写真で「衛星」と確認されたものを、どうしてここまで嘘で塗り固めなければいけないのか、なんとも?だ。

で、鳴動させようとしてある意味では成功したが、実際は肩透かしでしかなかったのが今回の事件(事件にしてしまった)なのだ。

しかし、この国のやり方は太平洋戦争(第二次世界大戦時)当時の大本営発表と何も変わっていないのだ。自分たちの都合のいいことだけを云い、また国民はそれを鵜呑みにする。
なんとも?だな。

レジ袋廃止

2009年04月05日 | Weblog
「CO2の削減」「ごみ減量」
こういった活動をする前に、歩いて行くことの出来る場所(そこにスーパー等があるならば)ならば歩いて行く。歩くには?というなら自転車で!
ところが、現実はこういったキャンペーンをするのに、その場所まで車で行く。
「レジ袋の削減!」といいながら実はレジ袋の何百倍ものCO2を発生していることに気が付いていない。
これは「CO2の削減」「ごみ減量」という運動の中身・本質を全く理解していない証拠。
「上がやるから、一緒に!」ただ、それだけのこと

この意味が分からないで、単に「レジ袋の削減を!」というお題目を何回唱えても「なんなのそれ!」って以前にも書いた。

今回はそんなまちの「仕出しお弁当」について。
このまちの複数のというかほとんどのお弁当やさんが弁当の容器として使っているのが発泡スチロール性の、いわゆる「使い捨て容器」。

これは、ご飯・おかず等をお弁当として盛り付け、輪ゴムで止め、そして配達したらそれで業務は終わり!ということ。だから、容器を回収したり、また回収した容器を洗ったりする手間隙(もちろん、その分の人件費)を省くためなのだろう。
それは分からないでもない。

だが、まちとして環境問題、CO2の削減ということについて取り組んでいるのなら、こういったところにもまちとしての考え方を指示したり、またサポートすることも必要であり、また業者も率先してCO2の削減についても努力することが必要なはず。

ところが隣町のお弁当やさんたちは『使い捨て容器』は使っていない。いったいこの差は何?