勤務評定→(能力主義)→人事評価制度?
共通した問題は評価する側!
「好き・嫌い」や「噂」などで評価をしたりしてしまう、評価側の資質(能力)。
また、される側の職員の職務内容に対する向き・不向きをどう見るか。
「向き・不向き」これは少なからずある。
そこまで見た上(確認した上で)で評価できるか。
そして、そうしたところまで見て、で人事に反映することが出来るか。
ここが上の人たちの1つのポイント。
まあ、これがどこまで出来るか、なんとも?なのだ。
で、人事評価制度の行く先は、職員をランク付けしたあとで本質の部分は脇においておくと、現実的なこととして、来年度あたりの夏のボーナスから、勤勉手当に反映されていくことになるのだろう。
人を評価する。
これは大変なこと。どこに基準を置いて、どういったポイントを見て評価するのか。そして評価する側の基準と考えがどこまで整理・統一されているのか。
繰り返すが、一番問題になるのは、どれだけ個の感情を抑えて人を評価することが出来るのか。
また、評価した人がされた側から見たらどう評価されるのか、今から興味大なのだ。
しかし、現状でもそういった能力があるとは思えない人事が行われている。
例えばあ能力のある人が、その能力を発揮できなそうな部署にいる(そう思える人たちがかなりいる)これは一個人で思っていることではなく、他の人たちに聞いても同じような答えが返ってくるのだから、間違ってはいない。ところがそういった場所で生き生きと仕事をしているかというと、そうでもない。ただ、ほかの人と比べるとほかに人と同等・それ以上の仕事はしている。
こういった人たちの能力を生かすための人事異動があってもいいと思う。ただ年数がたったからとか、そういったことでの人事はこの人たちに当てはめて欲しくない。
こうした能力のある人たちなら、例えば企画力や分析力などに能力があうとして、それならそうした部署で短期・長期にわたってその人が持っている能力を発揮できたら最高なのだ。ところがそんな人たちが能力を発揮すること出来なさそうな、長期的な展望にたって仕事をするのではなく1日(その日)で完結するような、そんな部署にいたりするのは実にもったいないのだ。
これこそ『宝の持ち腐れ』なのだ。
で、そんな人たちはジレンマを抱えて、外から見ると変な言い方だが、なかばいじけているようにも見えて、なので繰り返し書くがそういった能力のある人たちを能力が発揮できる部署に持っていくことも人事評価のひとつではないかと思う。そしてその人たちにある程度の時間(1年や2年では異動させない、また計画的に次の世代も養成していく)をあげ、そこの部分に予算をつける。
それこそ、そういった人たちの持つ能力を発揮させることで、このまちがいいまちになっていく土台を作り上げていくのではないか、真剣にそう思うのだ。
駄目押しのようだが「実にもったいない!」のだ。
そういった人たちの話・提言・意見を聞き、またくみ上げて行政に生かす。これがまちづくりの元になるのだ。
共通した問題は評価する側!
「好き・嫌い」や「噂」などで評価をしたりしてしまう、評価側の資質(能力)。
また、される側の職員の職務内容に対する向き・不向きをどう見るか。
「向き・不向き」これは少なからずある。
そこまで見た上(確認した上で)で評価できるか。
そして、そうしたところまで見て、で人事に反映することが出来るか。
ここが上の人たちの1つのポイント。
まあ、これがどこまで出来るか、なんとも?なのだ。
で、人事評価制度の行く先は、職員をランク付けしたあとで本質の部分は脇においておくと、現実的なこととして、来年度あたりの夏のボーナスから、勤勉手当に反映されていくことになるのだろう。
人を評価する。
これは大変なこと。どこに基準を置いて、どういったポイントを見て評価するのか。そして評価する側の基準と考えがどこまで整理・統一されているのか。
繰り返すが、一番問題になるのは、どれだけ個の感情を抑えて人を評価することが出来るのか。
また、評価した人がされた側から見たらどう評価されるのか、今から興味大なのだ。
しかし、現状でもそういった能力があるとは思えない人事が行われている。
例えばあ能力のある人が、その能力を発揮できなそうな部署にいる(そう思える人たちがかなりいる)これは一個人で思っていることではなく、他の人たちに聞いても同じような答えが返ってくるのだから、間違ってはいない。ところがそういった場所で生き生きと仕事をしているかというと、そうでもない。ただ、ほかの人と比べるとほかに人と同等・それ以上の仕事はしている。
こういった人たちの能力を生かすための人事異動があってもいいと思う。ただ年数がたったからとか、そういったことでの人事はこの人たちに当てはめて欲しくない。
こうした能力のある人たちなら、例えば企画力や分析力などに能力があうとして、それならそうした部署で短期・長期にわたってその人が持っている能力を発揮できたら最高なのだ。ところがそんな人たちが能力を発揮すること出来なさそうな、長期的な展望にたって仕事をするのではなく1日(その日)で完結するような、そんな部署にいたりするのは実にもったいないのだ。
これこそ『宝の持ち腐れ』なのだ。
で、そんな人たちはジレンマを抱えて、外から見ると変な言い方だが、なかばいじけているようにも見えて、なので繰り返し書くがそういった能力のある人たちを能力が発揮できる部署に持っていくことも人事評価のひとつではないかと思う。そしてその人たちにある程度の時間(1年や2年では異動させない、また計画的に次の世代も養成していく)をあげ、そこの部分に予算をつける。
それこそ、そういった人たちの持つ能力を発揮させることで、このまちがいいまちになっていく土台を作り上げていくのではないか、真剣にそう思うのだ。
駄目押しのようだが「実にもったいない!」のだ。
そういった人たちの話・提言・意見を聞き、またくみ上げて行政に生かす。これがまちづくりの元になるのだ。