六枚目のコイン

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生死の彼方に(三)

2019年01月02日 17時16分50秒 | 未来
(続きです)
死者は、そこ(冥界)が一応、安らぎを得られる場所であることを、
本能的に知っている。

この世の終極の土地を離れて、冥界へ行かぬかぎり、
死者は一分一秒も安らぐことができない。

「なんとしても、この断層を飛び越えねばならぬ!」

こうしている間も、
そこここで、断層を飛び越えようとする姿が見える。
そのたびに、その周辺からどっと歓声があがるが、
その声はすぐに、魂消るような悲痛な叫びと呻きに変わる。

死者は肉体がないから軽いので、絶壁のふちから空間に躍り出ると、
風に吹き上げられて、虚空に舞い上がり、
そのまま対岸に着くかと思われた。

がそれも瞬時、
あっという間に、石のように落下して、霧の中に姿を消すのである。

断層の下は急流になっていて、そのまま地獄の底になっている。
死者は生前になした悪業の重さにより、
この空間を飛び越えることができないのである。

ちなみに、業には三種類ある。一には、身体による業。
ニには、言葉による業。三には、心(意識)による業。
この三つにより、様々な業が形成される。

(業とは、一般的にはカルマと訳されている。
行為一般を指していう言葉である。)

それらの業によって、人は様々な報いを受けて、
死後の世界がどこに赴くことになるかを決定されるという。

そして、心には重量がある。
悪い心は死者に浮力を与えないのである。
いつも悪い心を抱いていると、
死んだ後、賽の広場から飛び越えて対岸に行こうとしても、
その悪念のために、急流を落下してしまうのである。

正月早々、こんな話をしなくてもならないほど、
今年はさらに大きな変動運に見舞われるのは、
アクエリアスの時代の洗礼である。
当然の動きであるから、
これはやむを得ない避けることのできない浄化作用である。

少なくとも、
私達は生きているうちに、少しでも行いを改めることが大事である。

コメント
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