(続きです)
死者は、そこ(冥界)が一応、安らぎを得られる場所であることを、
本能的に知っている。
この世の終極の土地を離れて、冥界へ行かぬかぎり、
死者は一分一秒も安らぐことができない。
「なんとしても、この断層を飛び越えねばならぬ!」
こうしている間も、
そこここで、断層を飛び越えようとする姿が見える。
そのたびに、その周辺からどっと歓声があがるが、
その声はすぐに、魂消るような悲痛な叫びと呻きに変わる。
死者は肉体がないから軽いので、絶壁のふちから空間に躍り出ると、
風に吹き上げられて、虚空に舞い上がり、
そのまま対岸に着くかと思われた。
がそれも瞬時、
あっという間に、石のように落下して、霧の中に姿を消すのである。
断層の下は急流になっていて、そのまま地獄の底になっている。
死者は生前になした悪業の重さにより、
この空間を飛び越えることができないのである。
ちなみに、業には三種類ある。一には、身体による業。
ニには、言葉による業。三には、心(意識)による業。
この三つにより、様々な業が形成される。
(業とは、一般的にはカルマと訳されている。
行為一般を指していう言葉である。)
それらの業によって、人は様々な報いを受けて、
死後の世界がどこに赴くことになるかを決定されるという。
そして、心には重量がある。
悪い心は死者に浮力を与えないのである。
いつも悪い心を抱いていると、
死んだ後、賽の広場から飛び越えて対岸に行こうとしても、
その悪念のために、急流を落下してしまうのである。
正月早々、こんな話をしなくてもならないほど、
今年はさらに大きな変動運に見舞われるのは、
アクエリアスの時代の洗礼である。
当然の動きであるから、
これはやむを得ない避けることのできない浄化作用である。
少なくとも、
私達は生きているうちに、少しでも行いを改めることが大事である。
死者は、そこ(冥界)が一応、安らぎを得られる場所であることを、
本能的に知っている。
この世の終極の土地を離れて、冥界へ行かぬかぎり、
死者は一分一秒も安らぐことができない。
「なんとしても、この断層を飛び越えねばならぬ!」
こうしている間も、
そこここで、断層を飛び越えようとする姿が見える。
そのたびに、その周辺からどっと歓声があがるが、
その声はすぐに、魂消るような悲痛な叫びと呻きに変わる。
死者は肉体がないから軽いので、絶壁のふちから空間に躍り出ると、
風に吹き上げられて、虚空に舞い上がり、
そのまま対岸に着くかと思われた。
がそれも瞬時、
あっという間に、石のように落下して、霧の中に姿を消すのである。
断層の下は急流になっていて、そのまま地獄の底になっている。
死者は生前になした悪業の重さにより、
この空間を飛び越えることができないのである。
ちなみに、業には三種類ある。一には、身体による業。
ニには、言葉による業。三には、心(意識)による業。
この三つにより、様々な業が形成される。
(業とは、一般的にはカルマと訳されている。
行為一般を指していう言葉である。)
それらの業によって、人は様々な報いを受けて、
死後の世界がどこに赴くことになるかを決定されるという。
そして、心には重量がある。
悪い心は死者に浮力を与えないのである。
いつも悪い心を抱いていると、
死んだ後、賽の広場から飛び越えて対岸に行こうとしても、
その悪念のために、急流を落下してしまうのである。
正月早々、こんな話をしなくてもならないほど、
今年はさらに大きな変動運に見舞われるのは、
アクエリアスの時代の洗礼である。
当然の動きであるから、
これはやむを得ない避けることのできない浄化作用である。
少なくとも、
私達は生きているうちに、少しでも行いを改めることが大事である。