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歌舞伎とクラウス・ノミ

2007-11-19 23:46:03 | Event
昨、日曜日は いつも太陽のように晴朗なちづこさんのお誘いで
素敵なマダムたちとご一緒に歌舞伎鑑賞。
観劇して帰宅後、翌月曜昼まで睡魔と闘いながらノンストップで原稿書きを
していたためちょっとねぼけ気味ですが(“遊びは別腹”なのでなんのその)。

↑昭和20年に大空襲で消失後、昭和26年に復活した歌舞伎座。
地方のロードサイドに時々こんな歌舞伎座風うどん屋さんとかがあったりしますが。。

歌舞伎しかり、能・狂言しかり、文楽しかり、いわゆる“日本の伝統芸能”と呼ばれるものに
触れる機会があると、いつも驚くのは、それらが実に「新しい」こと。

たまにしか触れないものだから新鮮に感じる、というのとは少し違って、
表現として実にアヴァンギャルドなのだ。
それでいて、扇子の柄やさばき方ひとつにも、
連綿と受け継がれている“様式美”が息づいている。

お囃子のイマジネイティブなグルーヴ、衣装の恐ろしくクリエイティブな造形や色彩、
霊妙な身体パフォーマンスや台詞回し、突飛でエスプリの効いた小道具や舞台美術…。
歌舞伎が、最先端を行くという意味の「かぶく」から生まれたというのも、納得である。

物語も古典とはいえ、ぶっ飛んだ話が多い。オペラにも大仰で荒唐無稽な話が多いが
古今東西、エンタテイメントには物語をやんや盛り上げるシュールな展開がつきもの。
しかし、そんな破綻など芥にしか思えぬほど絢爛あるいは幽玄な表現世界こそが、
歌舞伎の真骨頂なのかもしれない。

私は、伝統芸能に特別明るいわけでも、贔屓の役者などがいるわけでもないが、
思いつくまま、昨日の演目の感想をメモってみることに。。

★宮島のだんまり
「暗闘、暗争、暗挑」などとも書く「だんまり」とは、
登場人物全員が海辺などの暗闇で、ゆっくり動きながら宝を奪い合うさまをみせるという
歌舞伎演出のひとつで、今回のような顔見世公演に多い演目。
さまざまな意匠を凝らしたいでたちの役者たちが、舞台総出で優雅に振舞うさまは
さながらファッションショーのクライマックスのような贅沢さ。
オールスターが練り歩く花道も、さながらキャットウォークのごとし。

★仮名手本忠臣蔵 九段目 山科閑居
忠臣蔵のサブストーリー的な恋愛フィクションドラマ。
登場人物の巧みな言葉の応酬と、互いの思惑が右往左往する心理描写が絶妙。
白無垢姿の菊之助が発する凛と澄んだソプラノ声と、
一挙手一投足にまで染み付いた可憐さには驚愕。

★土蜘蛛
能の演目が元になった舞踊劇だけに、能を彷彿する衣装や動きなどの表現が面白い。
歌川国芳や月岡芳年も土蜘蛛を題材としたグロテスクな浮世絵を多数描いているが、
土蜘蛛とは平安時代に奈良県の大和葛城山に棲んでいたとされる大蜘蛛で、
時代と共に妖怪伝説化していったものとか。舞台でも、土蜘蛛役の菊五郎は不気味さ満点。
無数の糸が放たれるシーンは、まるで糸一本一本までもが演技しているようだった。
この演目でも、女形の菊之助が手先から足の爪先まで隙のない舞を演じて周囲を圧倒。

久しぶりの歌舞伎鑑賞であらためて感じ入ったのは、女形のオーラについて。
ある種、トランスジェンダーな女形という存在は、舞台の空気を一変させる
凄絶なオーラを秘めている。性差を超越した存在にしかゆるされない何かがある。
女性と近似値になればなるほど、女性でも男性でもない何かに転位する。

性差越境といえば、奇しくも先日スカパーでクラウス・ノミのドキュメンタリー映画
『ノミ・ソング』(2005年製作)を観た。
1983年にAIDSで没したドイツのニューウェイヴ怪人クラウス・ノミの
テクノなソプラノヴォイスと奇抜なパフォーマンスからも凄まじいオーラが放たれていた。
アンドロイドじみた独自のスタイルにも、歌舞伎の要素が取り入れられていた。
生前、彼はメディアに「性別なき生きもの、地球外生命体の身体」とも例えられた。

テクノオペラのディーバも、歌舞伎の女形も、性別を超えた存在は どこか天使に近い。

BGM♪ Klaus Nomi/Simple Man
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