神経細胞とシナプス
神経細胞はどのようにして外界からの刺激や脳からの命令などを伝えるのだろうか?
その一つは生体内の電気信号による。ガルバーニは銅と亜鉛を接触させたピンセットをカエルの神経に接触させると筋肉が収縮することを発見した。これが化学電池の始まりだったのは有名な話である。
もう一つ情報伝達物質を伝える方法がある。それが1970年ノーベル生理学・医学賞の受賞理由になった。受賞理由の「液性伝達物質」はいわゆる情報伝達物質のこと。神経抹消部(シナプス)の情報伝達物質の種類は多数ある。
情報伝達物質はシナプス前細胞で合成されその受容体はシナプス後細胞にある。この年のノーベル賞は、アセチルコリンとノルアドレナリンの作用に関する研究に対して贈られた。
アセチルコリンに関する研究は、1936年のノーベル生理学・医学賞の授賞対象研究だった。ヘンリー・デールとオットー・レーヴィが受賞している。
レーヴィが迷走神経から出ていた物質をカエルの心臓を使って調べたものであったが、デールがこの物質がアセチルコリンであることを発見している。
今回の研究は、アセチルコリンのはたらきを詳しく調べたことに意義がある。
シナプス小胞と情報伝達物質
1911年ドイツで生まれたユダヤ人医学研究者ベルンハルト・カッツは、ナチスの迫害を逃れて1935年2月にイギリスに渡った。アセチルコリンの発見者ヘンリー・デールの研究拠点、ロンドン大学で研究を引き継いだ。
彼はシナプスの基本的な性質を解明。シナプスが神経細胞間の信号伝達に重要な役割を持つことを明らかにした。アセチルコリンがシナプス前細胞の小胞に包まれ、後細胞に放出する時、カルシウムが重要な役割をするという仮説を立て、これを実証した。
フォン・ユーレアは1946年にノルアドレナリンを発見した。さらにノルアドレナリンが神経細胞に蓄積されるとその神経細胞が臓器や組織の働きを支配することを示した。
アクセルロッドは、ニューヨーク市立大学で修士号を取得。後に国立衛生研究所の心肺血管研究所で研究を開始、ここで始めたノルアドレナリンなどカテコールアミン系神経伝達物質(アドレナリン、ボーパミンなど)の神経細胞からの放出と再吸収が行われリサイクルされることを発見した。
シナプスの働き
細胞生物学において、シナプス(synapse)は、神経細胞間あるいは筋繊維(筋線維)、神経細胞と他種細胞間に形成される、シグナル伝達などの神経活動に関わる接合部位とその構造である。
化学シナプス(小胞シナプス)と電気シナプス(無小胞シナプス)、および両者が混在する混合シナプスに分類される。シグナルを伝える方の細胞をシナプス前細胞、伝えられる方の細胞をシナプス後細胞という。
化学シナプスとは、細胞間に神経伝達物質が放出され、それが受容体に結合することによって細胞間の情報伝達が行われるシナプスのことを指す。
化学シナプスは電気シナプスより広範に見られ、一般にシナプスとだけ言われるときはこちらを指すことが多い。
化学シナプスの基本的構造は、神経細胞の軸索の先端が他の細胞(神経細胞の樹状突起や筋線維)と20nm程度の隙間(シナプス間隙)を空けて、シナプス接着分子によって細胞接着している状態である。
シナプス間隙は模式図では強調されて大きな隙間をあけて描かれることが多いが、実際にはかなりべったりと接合している。 情報伝達は一方向に行われ、興奮がシナプスに達するとシナプス小胞が細胞膜に融合しシナプス間隙に神経伝達物質が放出される。
そして拡散した神経伝達物質がシナプス後細胞に存在する受容体に結合することで刺激が伝達されて行く。
化学シナプス
化学シナプスにおける典型的な情報伝達機序は以下のように進む。 前シナプス細胞の軸索を活動電位が伝わり、末端にある膨らみであるシナプス小頭に到達する。
活動電位によりシナプス小頭の膜上に位置する電位依存性カルシウムイオンチャネルが開く。 するとカルシウムイオンがシナプス内に流入し、シナプス小胞が細胞膜に接して神経伝達物質が細胞外に開口放出される。
神経伝達物質はシナプス間隙を拡散し、後シナプス細胞の細胞膜上に分布する神経伝達物質受容体に結合する。 後シナプス細胞のイオンチャネルが開き、細胞膜内外の電位差が変化する。
化学シナプスは、興奮性シナプス、抑制性シナプス(シナプス後抑制性とも呼ばれる)、シナプス前抑制性の3つに分けられる。
興奮性シナプスは信号を受け取ると、興奮性シナプス後電位(EPSP; Excitatory PostSynaptic Potential)という信号を発生させる。
EPSPは神経細胞の分極状態が崩れる電位となるため、脱分極と呼ばれる。 抑制性シナプスは信号を受け取ると、抑制性シナプス後電位(IPSP; Inhibitory PostSynaptic Potential)という信号を発生させる。
IPSPは神経細胞の分極状態が強化される電位となるため、過分極と呼ばれる。 シナプス前抑制性は、興奮性シナプスが起こす興奮性シナプス後電位(EPSP)を減少させる働きを持つ。
シナプスの活動状態などによってシナプスの伝達効率が変化するシナプス可塑性は、記憶や学習に重要な役割を持つと考えられている。 シナプス前細胞とシナプス後細胞がともに高頻度で連続発火すると、持続的なEPSPによりシナプスの伝達効率が増加する。
これを長期増強(LTP; Long Term Potentiation)という。また、低頻度の発火や、抑制性シナプス後細胞の連続発火によるIPSPの持続によって、シナプスの伝達効率が低下する現象を長期抑圧(LTD; Long Term Depression)という。
近年では、シナプス前細胞とシナプス後細胞の発火時間差のみによっても結合強度に変化が見られることが分かっている。これをスパイクタイミング依存シナプス可塑性(STDP; Spike Timing Dependent Plasticity)という。
また、一旦LTPやLTDを起こしたシナプスに対して適切な刺激を与えると、そのLTPやLTDが消失する事も知られており、それぞれ脱増強 (Depotentiation)、脱抑圧 (Dedepression) などと呼ばれる。
電気シナプス
電気シナプスとは、細胞間がイオンなどを通過させる分子で接着され、細胞間に直接イオン電流が流れることによって細胞間のシグナル伝達が行われるシナプスのことを指す。網膜の神経細胞間や心筋の筋繊維間などで広範に見られる。 化学シナプスのように方向づけられた伝達はできないが、それよりも高速な伝達が行われ、多くの細胞が協調して動作する現象を引き起こす。
電気シナプスは無脊椎動物の神経系では一般的にみられるが、長らく脊椎動物の中枢神経系では見出されておらず、脊椎動物の脳での神経伝達は化学シナプスのみによるものと考えられていた。 後になって海馬や大脳皮質の抑制性介在神経細胞の樹状突起間で発見され、重要な伝達手段となっていることが見出された。
電気シナプスは一般に、コネクソンというタンパク質6量体が2つの細胞の細胞膜を貫通し、ギャップ結合と呼ばれる細胞間結合を形成している構造を持つ。コネクソンはコネキシンというタンパク質が六角形に配列した6量体構造で、中央に小孔が存在する。この小孔はカルシウムイオン濃度によってコネクソンが変形することで開閉する。
小孔が開いているときには分子量が1000程度以下の分子を通過させ、濃度勾配圧などによって拡散する。 化学シナプスが数十 nm の間隔を持つのに対して、電気シナプスではコネクソンが両細胞膜の間隔を数 nm まで接近させており、極めて近接している。
発生過程でのシナプスの形成は、伸長する軸索の先端に存在する成長円錐が標的に到達した時に開始する(軸索誘導、シナプス形成、神経回路形成)。神経終末の末端(神経終末球)に神経インパルスが到達すると、神経伝達物質であるアセチルコリンが、筋形質膜と神経終末球の間に広がるシナプス間隙に放出される。
筋形質膜の凹凸部を運動終板と呼ぶ。運動終板上にはアセチルコリン受容体が位置し、アセチルコリンを受け取ると、ナトリウムイオンチャネルが開き、ナトリウムイオンが流れ込む。すると筋活動電位が発生し、筋肉が収縮する。アセチルコリンはアセチルコリンエステラーゼによって急速に分解される。
ベルンハルト・カッツ
1970年ノーベル生理学・医学賞受賞者。受賞理由「神経末梢部における伝達物質の発見と、その貯蔵、解離、不活化の機構に関する研究 」
ベルンハルト・カッツ(Bernhard Katz)あるいはサー・バーナード・カッツ(Sir Bernard Katz, 1911年3月26日 - 2003年4月20日)は、ドイツ出身のイギリスの生理学者。
ライプツィヒ出身。ライプツィヒ大学医学部卒業。アドルフ・ヒトラーによるユダヤ人弾圧を避けて、1935年2月にイギリスに渡った。1952年にユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン教授に就任し、王立協会の会員に選ばれた[1]。
神経末梢部における伝達物質の発見と研究により、1970年ジュリアス・アクセルロッド、ウルフ・スファンテ・フォン・オイラーと共にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー
ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー(Ulf Svante von Euler、1905年2月7日 - 1983年3月9日)は、スウェーデンの生理学者で薬理学者。神経伝達物質の研究で、1970年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。
ウルフはストックホルムで、化学教授のハンス・フォン・オイラー=ケルピンと植物学・地質学教授のアストリッド・クレーベという、二人の著名な科学者の間に生まれた。父のハンスはドイツ人で、1929年にノーベル化学賞を受賞している。母方の祖父のペール・テオドール・クレーベもウプサラ大学の化学教授で、ツリウム、ホルミウムという元素の発見者である。
このような由緒ある家柄に生まれ、幼い頃から科学、教育、研究に触れて育ったことから、ウルフが科学者を目指したのも驚くことではなく、彼は1922年にカロリンスカ研究所の医学部に進んだ。彼は赤血球沈降速度とレオロジーの専門家であるロビン・ファーレウスの下で、血管収縮物質の病態生理学の研究を行った。彼は1930年に博士号を取得し、同年、薬理学の助手に採用された。1930年から31年にかけて、ウルフはロチェスター大学のフェローとなり、外国でポスドクとして研究を行う機会に恵まれた。
彼はイギリスに行き、ロンドンのヘンリー・ハレット・デール、バーミンガムのバーグ・デールの下で研究を行い、次いで大陸に渡ってベルギー・ヘントのコルネイユ・ハイマンス、ドイツ・フランクフルトのグスタフ・エムデンの下でも研究を行った。
さらに1934年にはロンドンに戻り、アーチボルド・ヒルについて生物物理学を学び、1938年にはG.L.ブラウンについて神経-筋肉間の情報伝達について学んだ。1946年から47年にかけてはブエノスアイレスでバーナード・ウッセイにより設立された生物学・医学研究所のエドゥアルド・ブラウン・メネンデスの研究室で働いた。
優秀な研究者を嗅ぎ分ける彼の嗅覚が優れているということは、デール、ハイマンス、ヒル、ウッセイがみな後に、ノーベル生理学・医学賞を受賞していることからも伺い知ることができる。1973年王立協会外国人会員選出。
ウルフは第二次世界大戦後に、ケーニヒスベルクのラジオ局で働いていたダグマー・クロンステッドと結婚した。
シナプスの研究
ポスドクとして短期間、デールの研究室に滞在していた間は、彼にとって実りの多い期間であった。1931年、彼はジョン・ギャダムとともに神経伝達物質としても働く重要なペプチドであるサブスタンスPを発見した。ストックホルムに戻っても彼はこの研究を続け、4つの重要な、内因性活性化物質を発見した。1935年にプロスタグランジンとベシグランジン、1942年にピペリジン、1946年にはノルアドレナリンを発見している。
1939年に彼はカロリンスカ研究所の生理学教授になり、1971年に退官した。また、ゲラン・リルジェストランドとの共同研究で、肺の酸素の局地的な減少に対して生理学的に動脈にシャントを形成するという、オイラー=リルジェストランド機構という、重要な発見をした。
しかし、ノルアドレナリンが発見された1946年以降、ウルフらは病的な状態にある生物の組織と神経系の研究に没頭し始めた。
そして、ノルアドレナリンはシナプスの末端に貯まるという画期的な発見をした。1970年、彼はベルンハルト・カッツ、ジュリアス・アクセルロッドとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。彼はノーベル財団でも1953年以降、ノーベル委員会の生理学・医学部門の委員として、また1965年からは委員長として働いていた。
彼は、1965年から67年にかけて国際病理学会の会長を務めている。またノーベル賞以外にも様々な賞を受賞している。1961年にはガードナー賞、65年にはジャーレ賞、67年にはストーファー賞、53年にはカール・ルードヴィッヒメダル、69年にはシュミードバーグ・プラケット、70年にはラ・マドニーナを受賞し、さらに世界中の大学から名誉博士号を贈られ、多くの学会の会員に選ばれている。
ジュリアス・アクセルロッド
ジュリアス・アクセルロッド(Julius Axelrod, 1912年5月30日 – 2004年12月29日)はアメリカの生化学者である。1970年度ノーベル生理学・医学賞をベルンハルト・カッツおよびウルフ・スファンテ・フォン・オイラーとともに受賞した。受賞理由はカテコールアミン系神経伝達物質(アドレナリン、ノルアドレナリンや後に発見されたドーパミンなど脳内で機能する一群の物質)の放出および再取り込みに関する研究業績であった。アクセルロッドはまた睡眠周期に対する松果体の調節機能についても重要な業績を残した。
アクセルロッドはポーランドからのユダヤ系移民の子としてニューヨーク市に生まれた。1933年にニューヨーク市立大学シティカレッジで生物学学士号を取得した。彼は医師になることを希望していたが受験したいずれの医科大学も不合格であった。
しばらくニューヨーク大学で実験技術者として働いたのち、1935年にニューヨーク市衛生局に職を得て、食物に添加したビタミンの試験を行った。しかし実験室でアンモニア瓶の破裂事故に遭い左眼を負傷した。それ以後一生の間左目に眼帯をつけることになる。衛生局で働きながら夜学で学び、1941年にニューヨーク大学から科学修士号を取得した。
鎮痛剤の研究
アクセルロッドは1946年にゴールドウォーター記念病院のバーナード・ブローディ Bernard Brodie のもとに職を得た。ブローディの研究指導によって彼は研究者としてのキャリアを開始する。ブローディとアクセルロッドの研究テーマは鎮痛剤がどのように働くのかということであった。 1940年代には非アスピリン鎮痛剤使用者にメトヘモグロビン血症という血液疾患が発生していた。アクセルロッドとブローディは、これら鎮痛剤の主成分であるアセトアニリドが原因であることを発見し、代りにアセトアミノフェン(既にタイレノールとして知られていた)を用いることを推奨した。
カテコールアミンの研究
1949年にアクセルロッドは国立心臓研究所National Heart Institute(国立衛生研究所National Institutes of Health (NIH)に属する)で研究を始めた。ここで彼はカフェインの作用機構解明に取り組み、これによって交感神経系とその主要な神経伝達物質であるにアドレナリンとノルアドレナリンに関心を持った。
この間彼はまたコデイン、モルヒネ、メタンフェタミンそしてエフェドリンの研究も指導し、LSDに関する最初の研究にも取り掛かった。博士号がないとキャリアを進められないと実感し、彼は1954年にNIHを休職してジョージ・ワシントン大学大学院に入学した。これまでの研究の一部を学位の対象とすることが認められたため翌年には修了した。
1955年にNIHに戻り彼の最も重要な研究に取り掛かった。アクセルロッドは神経伝達物質アドレナリンとノルアドレナリンの放出、再取り込みおよび貯蔵に関する研究に対してノーベル賞を授与された。
1957年にモノアミン酸化酵素阻害薬の研究過程で彼は、カテコールアミン系神経伝達物質はシナプスから放出された後単に働かなくなるわけではなく、シナプス前膜に再び取り込まれ、その後の使用にリサイクルされるということを示した。
アドレナリンは不活性な形で組織に貯留され必要なときに放出されるという理論を彼は打ち立てた。この研究により後のセロトニン選択的取り込み阻害薬(SSRI、抗うつ薬で代表的なものにプロザックがある)の基盤が作られたのである。またアクセルロッドは酵素カテコール-O-メチルトランスフェラーゼ(カテコールアミンの分解に関与する)を発見し研究した。
松果体の研究
そののちアクセルロッドの研究は松果体に集中された。彼と共同研究者たちはメラトニンが松果体を生物時計として機能させることで中枢神経系に絶大な影響を与えることを明らかにした。メラトニンは神経伝達物質のセロトニンが変換されて生ずること、また松果体はセロトニンの分泌を制御することで体のサーカディアンリズムを進めることが、彼によって証明された。彼はNIHで研究を続け1984年に退職した。
1970年にノーベル賞を受賞した後、アクセルロッドはいくつかの科学政策問題の支持者として活躍した。1973年にリチャード・ニクソン大統領ががん治療だけを目標とする機関を創設したが、アクセルロッドはノーベル賞受賞者マーシャル・W・ニーレンバーグ、クリスチャン・アンフィンセンとともに、この新機関に反対する科学者たちの嘆願書を取り纏めた。
がんだけに注目しては他のもっと有望な医学研究に公的資金を使えなくなるというのがその主旨であった。またアクセルロッドはソビエト連邦における科学者の投獄に抗議する声明に名を連ねている。
参考 Wikipedia: ジュリアス・アクセルロッド ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー ベルンハルト・カッツ