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第71回ノーベル物理学賞 ガーボル・デーネシュ「ホログラフィーの発明および発展」

2020年03月11日 | ノーベル賞

 ホログラフィーとは何か?

 ホログラフィー(holography)とは、光の干渉を利用して、立体的な映像の情報をフィルムなどの平面上の記録媒体に記録し、必要に応じてこれを空間的に3次元の立体像に再生する技術のこと。イギリスのガーボル・デーネシュが発明した。

 身近な例として,お札がある。5千円札や1万円札の左下のキラキラと虹色に輝く部分を見てみると、平面であるはずの部分に3つの絵が浮かび上がってくる。5000の数字と桜(ソメイヨシノ)と日本銀行のマーク(行章)が共存している。見る角度を変えると、見える絵も見える色も変わる。これはまさに回折格子でありホログラムである。

 私たちは平面は2次元であり、一つの絵でしか表現できないと信じているが、光のあたり方(干渉)の違いを平面に記録できれば、複数のものが共存させることができる。これは、日常では気づきにくいに感覚である。この"立体的写真"のことを ホログラム(hologram) という。

 

  スクリーンに映し出される映画のワンシーン。この映画が平面ではなく、あるがままの立体的な画像として再生されることは、まだ夢のお話。だが、ホログラフィーはこの夢のお話を現実のものとしてくれる可能性を持っている。ちょっと考えただけでも面白い。

 現在ホログラフィーは、偽造防止のために紙幣・有価証券に使用されている。自動車のフロントガラスに投影するヘッドアップディスプレー(HUD)、小さな物質の立体像を観察するための”ホログラフ顕微鏡”にも使われている。こうした視覚関連の用途だけでなく、光コンピューターや高密度の記憶媒体としても応用されている。

 ホログラフィーの仕組み

 ホログラフィーとは、3次元の像を記録し再生する技法。では、3次元の像を記録するとは、どういうことだろうか?

 私たちは、ある物体から反射される光が目に入ることによってその物体を見ることができる。そして、そのときは物体はもちろん立体的に見える。つまり、この物体からの光を情報として記録することが、3次元の像を記録するということにつながる。

 記録に使うのは干渉性のよい、コヒーレントなレーザー光が使われる。“コヒーレント”という性質を光を例にとって簡単に言うと、赤色レーザー青色レーザーのように、光が単色でひとつの波長の成分を持ち、位相がそろった、どこまでも平行に進む光の性質のことである。

 ちなみに私たちの身のまわりの光(自然光)である、太陽光や蛍光灯の光はこれらの条件を全く満たさない、干渉を起こさない性質を持っており、この性質のことをインコヒーレントと言う。

 レーザー光を、ビームスプリッターで二手に分け、それぞれを対物レンズで広げる。 一つは物体に照射して反射光を生じさせ、ひとつは記憶材料に照射させる。すると、二つの光の波は干渉し、記録材料上では干渉縞が発生する。この干渉縞を記録材料に記録すれば、ホログラムが完成する。

 このように作ったホログラムは、そのまま自然光などに照らして見たのでは干渉縞しか見えない。(といっても,肉眼で見ないくらい細かい)。

 では,そんな干渉縞を記録しただけのホログラムからどうやって3次元の像を見るのか?

 記録された記録材料表面は回折格子になっている。つまり,この記録材料に光を当てれば、光は直進するほかに回折して進むものがある。

 ホログラムを再生するためには,記録したときの参照光と同じ光をホログラムに当ててやる。すると,ホログラムは参照光と物体光が干渉してできた干渉縞を記録しているので、回折光の中に物体光とまったく同じ形をしたものが出てくるしくみである。

 ホログラフィーの歴史・種類

 ホログラフィーは1947年にハンガリーの物理学者ガーボル・デーネシュによって発明された。彼は1971年にノーベル物理学賞を受賞しており、この発明に関する特許権も保有した。

 この発見はイギリスのウォリックシャー州ラグビーにあったブリティッシュ・トムソン・ヒューストン社にて電子顕微鏡を改良する研究をしていたときの思わぬ結果によるものだった。

 しかし、レーザーが1960年に発明されるまでは研究があまり進歩することはなかった。 最も初期のホログラムは透過型ホログラムと呼ばれる。これは、レーザー光をホログラムの裏側から照射しないと観察できなかった。

 その後改良が進み、表側に白色光をあてれば観察できるレインボーホログラム(体積ホログラム)が作られるようになった。レインボーホログラムは裏面の金属めっきによって反射された光が像を再生する。

 ただし、「レインボー」の名の通り虹のようにさまざまな色の縞模様となる。クレジットカードや紙幣に見られるホログラムで偽造防止に利用されている。日本の紙幣では、現在発行中の10000円券及び5000円券に採用されている。

 ほかに白色光反射型ホログラムがある。ガブリエル・リップマンの天然色写真と原理がよく似ているため、日本ではレインボーホログラムと区別してリップマンホログラムと呼ばれる。

 レインボーホログラムと同様、観察者と同じ側から自然光をあてることによって再生することができる。レインボーホログラムとは異なり、金属めっきの反射を利用するのではなく、ホログラムそのものの回折(構造色)によって反射させる方式である。

 白色光反射型ホログラムの中にはフルカラーの3次元像が観察できるものがあり、実物と見分けがつかないほど精巧なものもある。ゼラチンを使用している場合には経年変化によって劣化するが近年では屈折率の高い光硬化樹脂が利用されるようになつつあり、耐久性が向上している。

 以前から、一部の愛好家や教育の一環としてホログラフィーの製作が試みられてきた。以前は大きくて高価な気体レーザーがホログラフィーに必須とされたが、DVDなどにさまざまな応用がなされている安価で小さい半導体レーザーでもホログラフィーの製造が可能になってきている。そのため、研究費の乏しい研究者や芸術家、熱心な愛好家でも手が出せるようになっている。

 2015年には、筑波大学・東京大学・名古屋工業大学の共同研究チーム)が、フェムト秒レーザーを用いて触れる事が出来るホログラム投影システム「Fairy Lights in Femtoseconds」を発明しSIGGRAPHで発表、将来的に建築・医療分野での利用が期待されている。

 ガーボル・デーネシュ

 ガーボル・デーネシュ(Gábor Dénes、1900年 6月5日 - 1979年 2月9日)はハンガリー系イギリス人の電気工学者・物理学者。有名な業績としてホログラフィーの発明があり、それにより1971年のノーベル物理学賞を受賞した。 受賞理由は「ホログラフィーの発明」である。 

 オーストリア=ハンガリー帝国のブダペストで、ユダヤ人一家の長男 Günszberg Dénes として生まれる。1902年、一家は姓を Günszberg から Gábor に変える許可を得た。第一次世界大戦中は北イタリアでハンガリー軍の砲兵として働いた。

 1918年からブダペスト工科大学で学び、その後ドイツに渡ってシャルロッテンブルク工科大学、現在のベルリン工科大学に進学した。そこで陰極線管オシログラフを使って高圧送電線の解析を行い、電子光学に興味を持つようになる。オシログラフの基礎原理を学んだガーボルは、電子顕微鏡やテレビなどの陰極線を応用した機器へと興味を広げていった。1927年、ブラウン管についての論文でPh.D.を取得。その後はプラズマランプを研究した。

 1933年、ユダヤ人であるガボールはナチス・ドイツから逃れてイギリスに渡り、ウォリックシャーのラグビーにあるブリティッシュ・トムソン・ヒューストン(英語版) (BTH) の開発部門に招かれた。

 ラグビー時代にマージョリー・バトラーと出会い、1936年に結婚。1946年、イギリス市民権を取得[6]。1947年、BTHで勤務中にホログラフィーを発明した。電子顕微鏡の解像度を向上させる研究の中で水銀灯光源に何重にもフィルターをかける実験をしていて発見した。

 このホログラフィーはインライン型ホログラフィーと呼ばれる像を鮮明に観察できない形式のものであった。これは当時レーザーがなかったため、コヒーレント長の短い光源を利用せざるを得なかったからである。そのため1960年にレーザーが発明されるまでこの発明が注目を集めることはなかった。

 ガボールは電子の入力と出力の着目した研究をすすめ、再ホログラフィーの発明に到達した。基本的な考え方は、完全光学イメージングのためには全ての情報を利用する必要があり、通常の光学イメージングで活用する振幅だけでなく位相も利用する必要がある。そうして完全ホロ空間写真を得ることができる。ガボールは1946年から1951年にかけてこの再ホログラフィーの理論に関する一連の論文を発表した。

 また人間のコミュニケーションと聴覚についても研究し、グラニュラーシンセシス(英語版)の理論を生み出した。ただし、これを実際にシンセサイザーの技法として発明し実用化したのはギリシャ人作曲家ヤニス・クセナキスとされている。この研究や関連分野の研究が時間周波数解析(英語版)発展の基盤となった。

 1948年、インペリアル・カレッジ・ロンドンに移り、1958年から1967年に引退するまで、応用物理学の教授を務めた。引退後は主にイタリアで過ごしたが、シニア研究フェローとしてインペリアル・カレッジとも繋がりを保ち、またコネチカット州スタンフォードにあるCBS研究所(英語版)のスタッフになった。

 そこで生涯の友人となったCBS研究所長ピーター・C・ゴルトマルク(英語版)と協調し、通信と表示の新方式を数多く研究した。その後は社会を分析することに関心を持つようになり、1972年に The Mature Society: a view of the future(成熟社会 新しい文明の選択)を出版。

 レーザーが急速に発展し、様々なホログラフィーの応用(芸術、情報の格納、パターン認識など)が生まれ、ガーボルは生前に世界的に注目され成功を収めた。ノーベル賞を頂点として様々な賞を受賞している。

参考 Wikipedia: ガーボル・デーネシュ

  

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