アナン国連事務総長は、東ティモールへの多国籍警察部隊の派遣について協議する方針だ。
http://www.asahi.com/international/update/0610/003.html
しかし、こうした場合、国連の名を冠したからといって、国連がコントロールするというわけでもない。実質的に名義貸しのような場合もある。おそらく、東ティモールに派遣される多国籍警察部隊は、人員も指揮権もオーストラリアが掌握することになるだろう。
99年9月に国連によって組織されたINTERFET:インターフェット( International Force for East Timor )は、実質的にオーストラリアによってコントロールされていた。
1999年9月に国連東ティモール国際軍(INTERFET)が、インドネシア政府の同意を得て設置された。この軍隊は、5,000人を超えるオーストラリア兵と、ブラジル、イギリス、カナダ、デンマーク、エジプト、フィジー、フランス、ドイツ、アイルランド、イタリア、ヨルダン、ケニア、マレーシア、ニュージーランド、ノルウェー、フィリピン、ポルトガル、韓国、シンガポール、タイ、米国など21ヵ国の兵員およそ4,500人で構成された。
http://www.australia.or.jp/gaiyou/gov/defence.html
全部隊の半数をオーストラリアが派遣した。そして司令官は、オーストラリア軍のピーター・コスグローブ将軍だった。
東ティモールでの99年9月の虐殺の詳細な調査は、このINTERFETによって行われた。当然、いつどこで何体の遺体が発見されたかという記録もINTERFETがおこなった。しかし、その調査報告が発表されたという話を聞かない。
後に、UNTAET:ウンタエット(United Nations Transitional Administration in East Timor )のスタッフに「INTERFETから虐殺の資料は、回ってきたのか?」と訊いてみたが、そうした資料はINTERFETからは来ていないということだった。99年9月の虐殺の数字が、1000とも3000とも10,000とも表記され、はっきりしないのはそのためだ。
なぜ、国連の組織したINTERFETは、同じく国連が組織したUNTAETへ、調査資料を提出しなかったのだろうか。その後の、オーストラリアとインドネシアとの関係を見れば、おおよそ見当はつく。歴史的に、オーストラリア政府とインドネシア政府、オーストラリア軍とインドネシア軍とは常に密接な関係を保っている。
実質的にオーストラリア軍がコントロールしていたINTERFETの虐殺調査資料が発表されなかったのは、オーストラリアとインドネシアとの関係を良好に保つためだ。
今回の東ティモールでの一連の暴動で、重大犯罪部に保管されていたインドネシア軍による虐殺や迫害行為の証拠資料が、暴徒によって計画的に略奪された。そして、オーストラリア軍は、そうした略奪行為をまったく阻止しようとはしなかった。これで、永久に、99年9月の虐殺の実行犯を裁くことはできなくなった。
虐殺直後の調査資料を発表しなかったINTERFET。
虐殺の証拠資料の略奪を放置したオーストラリア軍。
今回、国連が組織する多国籍警察部隊もオーストラリアが主体となりコントロールすることになるだろう。
今回もきっと、いい仕事をするに違いない。
http://www.asahi.com/international/update/0610/003.html
しかし、こうした場合、国連の名を冠したからといって、国連がコントロールするというわけでもない。実質的に名義貸しのような場合もある。おそらく、東ティモールに派遣される多国籍警察部隊は、人員も指揮権もオーストラリアが掌握することになるだろう。
99年9月に国連によって組織されたINTERFET:インターフェット( International Force for East Timor )は、実質的にオーストラリアによってコントロールされていた。
http://www.australia.or.jp/gaiyou/gov/defence.html
全部隊の半数をオーストラリアが派遣した。そして司令官は、オーストラリア軍のピーター・コスグローブ将軍だった。
東ティモールでの99年9月の虐殺の詳細な調査は、このINTERFETによって行われた。当然、いつどこで何体の遺体が発見されたかという記録もINTERFETがおこなった。しかし、その調査報告が発表されたという話を聞かない。
後に、UNTAET:ウンタエット(United Nations Transitional Administration in East Timor )のスタッフに「INTERFETから虐殺の資料は、回ってきたのか?」と訊いてみたが、そうした資料はINTERFETからは来ていないということだった。99年9月の虐殺の数字が、1000とも3000とも10,000とも表記され、はっきりしないのはそのためだ。
なぜ、国連の組織したINTERFETは、同じく国連が組織したUNTAETへ、調査資料を提出しなかったのだろうか。その後の、オーストラリアとインドネシアとの関係を見れば、おおよそ見当はつく。歴史的に、オーストラリア政府とインドネシア政府、オーストラリア軍とインドネシア軍とは常に密接な関係を保っている。
実質的にオーストラリア軍がコントロールしていたINTERFETの虐殺調査資料が発表されなかったのは、オーストラリアとインドネシアとの関係を良好に保つためだ。
今回の東ティモールでの一連の暴動で、重大犯罪部に保管されていたインドネシア軍による虐殺や迫害行為の証拠資料が、暴徒によって計画的に略奪された。そして、オーストラリア軍は、そうした略奪行為をまったく阻止しようとはしなかった。これで、永久に、99年9月の虐殺の実行犯を裁くことはできなくなった。
虐殺直後の調査資料を発表しなかったINTERFET。
虐殺の証拠資料の略奪を放置したオーストラリア軍。
今回、国連が組織する多国籍警察部隊もオーストラリアが主体となりコントロールすることになるだろう。
今回もきっと、いい仕事をするに違いない。