報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

国連という玉手箱

2006年06月12日 21時12分11秒 | ■東ティモール暴動
アナン国連事務総長は、東ティモールへの多国籍警察部隊の派遣について協議する方針だ。
http://www.asahi.com/international/update/0610/003.html

しかし、こうした場合、国連の名を冠したからといって、国連がコントロールするというわけでもない。実質的に名義貸しのような場合もある。おそらく、東ティモールに派遣される多国籍警察部隊は、人員も指揮権もオーストラリアが掌握することになるだろう。

99年9月に国連によって組織されたINTERFET:インターフェット( International Force for East Timor )は、実質的にオーストラリアによってコントロールされていた。

1999年9月に国連東ティモール国際軍(INTERFET)が、インドネシア政府の同意を得て設置された。この軍隊は、5,000人を超えるオーストラリア兵と、ブラジル、イギリス、カナダ、デンマーク、エジプト、フィジー、フランス、ドイツ、アイルランド、イタリア、ヨルダン、ケニア、マレーシア、ニュージーランド、ノルウェー、フィリピン、ポルトガル、韓国、シンガポール、タイ、米国など21ヵ国の兵員およそ4,500人で構成された。

http://www.australia.or.jp/gaiyou/gov/defence.html

全部隊の半数をオーストラリアが派遣した。そして司令官は、オーストラリア軍のピーター・コスグローブ将軍だった。

東ティモールでの99年9月の虐殺の詳細な調査は、このINTERFETによって行われた。当然、いつどこで何体の遺体が発見されたかという記録もINTERFETがおこなった。しかし、その調査報告が発表されたという話を聞かない。

後に、UNTAET:ウンタエット(United Nations Transitional Administration in East Timor )のスタッフに「INTERFETから虐殺の資料は、回ってきたのか?」と訊いてみたが、そうした資料はINTERFETからは来ていないということだった。99年9月の虐殺の数字が、1000とも3000とも10,000とも表記され、はっきりしないのはそのためだ。

なぜ、国連の組織したINTERFETは、同じく国連が組織したUNTAETへ、調査資料を提出しなかったのだろうか。その後の、オーストラリアとインドネシアとの関係を見れば、おおよそ見当はつく。歴史的に、オーストラリア政府とインドネシア政府、オーストラリア軍とインドネシア軍とは常に密接な関係を保っている。

実質的にオーストラリア軍がコントロールしていたINTERFETの虐殺調査資料が発表されなかったのは、オーストラリアとインドネシアとの関係を良好に保つためだ。

今回の東ティモールでの一連の暴動で、重大犯罪部に保管されていたインドネシア軍による虐殺や迫害行為の証拠資料が、暴徒によって計画的に略奪された。そして、オーストラリア軍は、そうした略奪行為をまったく阻止しようとはしなかった。これで、永久に、99年9月の虐殺の実行犯を裁くことはできなくなった。

虐殺直後の調査資料を発表しなかったINTERFET。
虐殺の証拠資料の略奪を放置したオーストラリア軍。
今回、国連が組織する多国籍警察部隊もオーストラリアが主体となりコントロールすることになるだろう。
今回もきっと、いい仕事をするに違いない。

疑問のすすめ

2006年06月10日 13時59分02秒 | ■メディア・リテラシー
情報を、”信じられる、信じられない”の二つに分けるべきではない。
選別しようとすると過ちを犯す。

信じるに値する情報など、この世にはないと思っている。なぜなら、情報は人の脳が作るものだからだ。情報が僕のところに届くまでに、無数の脳というフィルターを通ってくる。そのようなものをまともに信じることは、僕には到底できない。

情報の選別は一見合理的なように見えて、実はたいへんな危険を孕んでいる。

2003年3月以前の時点で、「大量破壊兵器」の存在を疑がった人はほとんどいないはずだ。それが実際にあるかどうかは、誰にもわからない。しかし、世界は信じた。いったい、何を根拠に信じたのだろうか。それはメディアの垂れ流す情報だ。あの時点で、どんなに情報の選別作業をしても、「大量破壊兵器」は「ない」という結論には至らない。

情報を選別するというのは、情報の本流を支持するという結果をまねく。つまり、情報選別をしている人は、簡単に情報を使って操ることができるということだ。情報の選別という行為は、自分で自分を縛るようなものだ。

”あらゆる情報に疑問の眼を向ける”という習慣を身につけない限り、永遠に情報にコントロールされてしまう。情報というのは、いまこの時点も、われわれを一定の方向に押し流そうと濁流となって流れている。

ただ、僕が情報を扱う場合、保存する情報とやり過ごす情報がある。確かにここで選別が行われている。しかし、保存した情報を信じているわけではない。あくまで、こころの中の問題だ。

極端に言えば、正しい情報を得る得ないというのは、どうでもよいことだ。情報に正しいも間違ったもない。すべての情報は正しいし、すべての情報は間違っている。

現代社会を生きる上で、情報に疑問を持つという行為そのものが、最も重要な意味を持っていると考えている。

僕は自分の考えや自分の書くものすら、疑うよう努めている。

東ティモールとはイラクだ

2006年06月09日 17時12分43秒 | ■東ティモール暴動
「大量破壊兵器」が、いまだイラクに存在するかもしれないと考える人がいるだろうか。
おそらくそんな人はいないだろう。
「大量破壊兵器」は流行語のように現れ、そして消えていった。
おそらく何の教訓も残さずに。

南海の島で、いま起こっていることなど世界の人々にとってほとんど興味の対象外だろう。しかし、東ティモールで起こっていることは些細なことではない。東ティモールはミニミニ・イラクなのだ。同じことが過去にも起こっているし、これからも起こる。いま、東ティモールで起こっていることが理解できなければ、今後、世界で発生する事件や出来事も理解することはできないだろう。

事件や出来事を正確に把握するためには、何が必要だろうか。ニュースや情報を仔細漏らさず集めることだろうか。それだけではほとんど無意味だ。情報とは質でも量でもない。たいていの人はそこを勘違いしている。いつも言っているように、メディアが垂れ流す情報はカラクリだらけなのだ。はっきり言えば、イラクやアフガニスタン、そして今回の東ティモールにおいて、本当は何が起こっているかをメディアはちゃんと知っている。知っていてメディアは本質を報じないのだ。したがって、メディアが垂れ流す情報をいくら集めても何も見えてこない。

価値ある情報など、どこにもない。価値は情報そのものにあるのではなく、情報との接し方にあるのだ。メディア情報を鵜呑みにしている限り、まったく何も見えない。まず、あらゆるメディア情報を疑うことだ。

今回の東ティモールで言えば、まずメディア情報を遮断して、”オーストラリアは何をしてきたのか?”を調べ、そして”オーストラリアに何のメリットがあるのか?”を考えてみればいい。

オーストラリアは、インドネシアによる不当な東ティモール武力支配を、24年間公式に支援し続けてきた。そして、インドネシアと一緒に東ティモールの天然資源を奪ってきた。東ティモール「独立」後は、国際法を無視して、資源のほとんどを手に入れようと画策し、かつ資源を盗掘してきた。また、オーストラリアはアメリカによるイラク占領に率先して賛同し、実戦部隊を派遣した。

このようなオーストラリアが、親切心で東ティモールに治安維持部隊を派遣するだろうか?東ティモールの資源を奪い続けているオーストラリアが、今回に限っては東ティモールを助けるのだろうか?普通に考えればいいのだ。答えはNOだ。

では、何のためにオーストラリアは来たのか?もちろん、いままで通り東ティモールの資源を奪うためだ。もはや、オーストラリア軍がいなければ、東ティモールは治安が維持できない。ということは、今後オーストラリア政府に逆らえば、すぐに同じような反乱や暴動が勃発するということだ。すでに現時点で、オーストラリアは東ティモールの資源を押さえたようなものだ。

とても単純だ。特殊な情報などまったく必要ない。しかし、メディア情報を鵜呑みにしている限り、この単純すぎる事実も見えない。

誰もが勘違いしているが、情報の量や質を問うなど、ほとんど意味がないのだ。たいせつなのは、情報との接し方だ。ちょっと疑ってみるだけで、世界はまったく違って見える。無価値だと思っていた情報が意味を持ち、価値があると思っていた情報が意味を失う。

疑問を持つというのは、人間なら誰にでもできる。しかし、単純な行為ほど難しい。「疑問のすすめ」的な書物がたくさん出版されているのはそのためだろう。


イラクには「大量破壊兵器」など存在しなかった。
しかし、われわれの周りには、無数の「大量破壊兵器」が存在する。
メディアの垂れ流す情報だ。



オーストラリア軍
1999年12月 ディリ 東ティモール

マッチポンプ

2006年06月07日 18時44分36秒 | ■東ティモール暴動
われわれは、世界で起こる政変や動乱、内乱、内戦に関する情報には十分注意して接する必要がある。

たいていの場合、出来事の原因とされるものは実際には存在しない。
存在しないものを、あるかのように見せかけて火をつける奴がいるのだ。

しかし、もっともらしい理由をつけて報道されると、世界はいとも簡単に信じてしまう。
”湾岸戦争「油まみれの水鳥」”
”ユーゴ、セルビア人による民族浄化”
”イラク、大量破壊兵器”
”東ティモール、東部人と西部人の対立”
すべて、でたらめだ。

戦争が終わるたびに、われわれは、自分が騙されていたことに気づく。
そして、次の戦争が始まるまでは「もう二度と騙されないぞ」と心に誓う。
だが、再び戦争が始まると、われわれは性懲りもなく、また騙されてしまうのだ。

アンヌ・モレリ著『戦争プロパガンダ 10の法則』p9

国連海洋法条約に照らせば、ティモール海の資源は100%東ティモールのものだ。しかし、オーストラリアは18%しか認めようとしない。一方で、領海も定まっていないのに勝手に盗掘を続け、すでに10億ドルの利益をあげている。これは、国際犯罪だ。そんなオーストラリアが、親切心でわざわざ税金を使って東ティモールの危機を救いにやってくるだろうか。

なぜ、誰もこのことを口にしようとしないのだろうか。
オーストラリアは東ティモールの親切な隣人と、本気で信じているのだろうか。
いま、東ティモールで起こっていることは、アフガニスタンやイラクで起こっていることと同じだ。

火をつけた盗人が、武器を持って消火に来ているのだ。
その結果、何が起こるかは目に見えている。
根こそぎ持っていかれるのだ。

ミニミニ・フセインとミニミニ・アメリカ

2006年06月05日 22時30分52秒 | ■東ティモール暴動
いまだ、東ティモールでは騒乱や略奪が続いている。
オーストラリア軍は一個大隊1300人を派遣している。
オーストラリアは、東ティモールの危機を救出にきたのだろうか?
もちろん答えは、NOだ。

すでに、述べてきたように、東ティモールとオーストラリアの間のティモール海には石油と天然ガスが埋蔵されている。オーストラリア政府は、領海を画定しないまま、国際法上の東ティモール領内で石油を採掘し続けている。これは明らかに「盗掘」だ。そんなオーストラリアが、東ティモールの危機を救いにくるだろうか。考えるまでもない。

オーストラリアは東ティモールの治安維持のためにきたのではない。
天然資源を奪いにきたのだ。

そのためにの必須条件が、マリ・アルカティリ首相の追い落としだ。これまで、資源を詐取したいオーストラリアに対して、アルカティリ首相は、驚くほどのタフ・ネゴシエーターぶりを発揮してきた。「独立」以来、彼は、オーストラリア政府と互角に渡り合ってきた。つまり、現時点でオーストラリアは”盗掘油田”以外は、石油開発がほとんど進んでいないのだ。オーストラリアはかなり苛立っている。

オーストラリアが資源を奪うための合言葉はただひとつ。
”アルカティリを引きずり降ろせ!”だ。

しかし、アルカティリ首相は、東ティモールにおいて強大な権力を掌握してきた。彼が書記長を務めるフレテリン党は、国会議席88のうち、55議席を占めている。第二党の民主党は、たった7議席だ。大統領はと言えば、国家の象徴にすぎない。大統領の権限は、軍事と外交の一部に限られている。政治的な強権を持つ首相を、通常の政治的過程で引きずり降ろすのは困難だ。したがって、オーストラリアは通常ではない方法を用いなければならない。

手段さえ選ばなければ、アルカティリ首相を追い落とすことはそれほど難しいことではない。なぜなら、アルカティリ首相は、人物としてはお世辞にも謙虚とはいいがたく、国民の信頼もまったく得ていないからだ。

マリ・アルカティリ首相には、権力に酔ったとしか思えない発言が多い。
「フレテリン党は今後五〇年、政権を握る」
「我々は議会の多数派でやろうと思えば何でもできるが、他の人々とともに働こうとしており極めて寛容だ」
「私は空港や港をいつでも閉鎖できる」
こうした発言は、捜せばいくらでも出てくる。

先月19日に行われたフレテリン党の書記長選でも、かなり強引な手を使った。アルカティリ首相は、投票方法を「無記名投票」から「挙手」へ、独断で変更した。よほど自信がなかったのだろう。「挙手」投票のおかげで”圧倒的多数”で再選されたものの、もはや「独裁恐怖政治」と言われても仕方がない。来年の議会選挙でも、権力維持のためにあらゆる手段を講じることは目に見えている。

このように、人気のない独裁者アルカティリ首相に対してなら、かなり強引で杜撰な手法でもまず失敗するということはないだろう。

実際、この間の成り行きを冷静に観察すれば、不自然なことだらけだ。そもそもの発端が、聞いたこともない”東西対立”だ。外国軍を歓迎する”反乱軍”もはじめて聞いた。暴徒が武装した外国兵士を怖れなかったり、あるいは、暴徒に対して”キャッチ・アンド・リリース”を繰り返す外国治安維持軍。そして、判で押したように誰も彼もが、アルカティリ首相の退陣を口にする。まるで三文芝居だ。

オーストラリアは、アルカティリ首相を追い落し、来年の5月の議会選挙において、親豪政権を東ティモールに樹立するだろう。これで、領海を画定することなく、好きなだけティモール海に油田を掘り、石油を汲み出すことができる。

アルカティリ首相は、ミニミニ・フセインだ。
オーストラリアは、ミニミニ・アメリカだ。

写真 : マリ・アルカティリ

2006年06月04日 15時20分22秒 | ●東ティモール
マリ・アルカティリ東ティモール民主共和国首相
東ティモール警察創立3周年記念式典にて
2004年

マリ・アルカティリ首相は、インドネシア支配時代は、アフリカのモザンビークで亡命生活を送っていた。そのため、闘争の象徴であるシャナナ・グスマンやノーベル平和賞のラモス・ホルタに比べ陰の薄い存在だった。

東ティモール「独立」後、アルカティリ首相は警察力を強化し、グスマン大統領の影響力の強い国防軍に対抗しようとした。

ほとんどの閣僚が出席したこの式典にも、グスマン大統領の姿はなかった。
2004年


東ティモールの治安維持権を国連PKFから、東ティモール国防軍(FDTL)へ移譲する式典。
2004年

そしていま、治安維持権は国際軍に移譲し返された。




長谷川祐弘国連東ティモール支援ミッション副代表(当時)と歓談するアルカティリ首相。
2004年

(長谷川氏は現在、国連東ティモール事務所代表)









グスマン大統領と歓談するアルカティリ首相。
「独立」一周年記念式典にて
2003年

両者が笑顔で向かい合うことはもう二度とないだろう。

写真 : ジョゼ・ラモス・ホルタ

2006年06月03日 12時31分39秒 | ●東ティモール
記者会見中のジョゼ・ラモス・ホルタ東ティモール外務大臣
会見ルームは政府庁舎の庭に建てられたクーラーも壊れたバラック
会見する側も、取材する側も少し辛い
2003年

ホルタ氏は、東ティモール民族抵抗評議会の幹部として、東ティモールの対外活動を精力的に担った。東ティモール独立の平和的解決に尽力した功績を認められ、1996年度のノーベル平和賞を受賞。


1999年12月

ジョゼ・ラモス・ホルタ氏
サッカー大会の開会式に

中央は、INTERFET(インターフェット:多国籍軍)司令官

サッカー大会の予選を観戦するホルタ氏。
いまでは、考えられない光景である。








予選を勝ち抜き、決勝に進んだ東ティモールのチーム。










こちらが対戦相手の”INTERFET”チーム。
つまり、多国籍軍選抜チーム。







ちなみに、この大会の名前は、
”NOBEL CUP”である。





















9月の破壊と虐殺からまだ二ヶ月。
何か異次元的なサッカー大会であった。

1999年12月

写真 : シャナナ・グスマン

2006年06月02日 22時56分01秒 | ●東ティモール
2002年5月
独立式典後、正式に東ティモール民主共和国の初代大統領に就任したシャナナ・グスマン氏


1999年12月
ジャカルタの刑務所を出所してまもない頃のシャナナ・グスマン氏。

独立派ゲリラ・ファリンティルの司令官だったグスマン氏は、インドネシアの治安当局に逮捕され1992年11月から1999年9月まで投獄されていた。

一連の写真は、マーケットの不衛生な生ゴミを清掃しようと呼びかけるグスマン氏。
グスマン氏は、熱帯の暑熱で腐った生ゴミをなんと素手で掃除しはじめた。

焼け跡の東ティモールの街は、極端に衛生環境が悪化していた。



















詰まったドブに手を突っ込んで泥を掻き出すグスマン氏。
三年後に、大統領になる男である。






東ティモールで何が起こっているのか

2006年06月01日 22時36分41秒 | ■東ティモール暴動
2月28日の兵士による待遇改善を要求する抗議行動が、結局三ヵ月後の5月25日には、オーストラリア軍が東ティモールの治安維持を掌握する結果を招いた。
いったい東ティモールで何がおこっているのか。
まず時系列で、ざっとこの間の動きを追ってみよう。

2月28日
404名の兵士が無断外出し、大統領府にて抗議行動を行う。
抗議内容は、”軍内で東部出身者だけが昇進する””独立闘争で主要な役割を果たしたのは東部出身者であると主張する何人かの指揮官がいる”というものだ。

抗議兵士はその後、591名に増加。全員、非武装。

3月16日
ルアク国防軍司令官は、591名全員を正式に解雇。
国防軍は約1600名だが、そのうちの約4割を一度に解雇したことになる。少し異常な気がする。
マリ・アルカティリ首相ら政府首脳は、これを支持。
シャナナ・グスマン大統領は、解雇に遺憾の意を表明。

3月24日
大規模な暴動発生。
この暴動は、反政府グループやギャング団と見られる。
抗議兵士はデモを予定していたが、実際は何も行っていない。

4月28日
抗議兵士グループ、政府庁舎前で抗議活動。
治安部隊と衝突。死者5名、負傷者30名。
抗議兵士グループはアイレウの山へ逃れ、以後山中に留まる。

5月4日
パトロール中の憲兵隊長率いる18名が武装したまま失踪。
この憲兵隊長アルフレド・レイナード少佐が、抗議兵士グループのリーダーだったことが判明。

5月12日
ラモス・ホルタ外相、アルフレド少佐と会見。
アルフレド少佐、グスマン大統領に忠誠を表明。

5月16日
オーストラリア政府、東ティモール近海に兵員輸送船2隻を派遣。

5月19日
与党フレテリン党、書記長選挙開催。
アルカティリ首相の独断で、投票方法が変更される。
無記名投票から挙手へ。
アルカティリ首相が、圧倒的多数で書記長に再選される。

5月22日
ホルタ外相「アルカティリ首相の党首再選は、国内世論を反映したものではない」と発言。

アルフレド少佐、ホルタ外相との和解交渉にほぼ合意。

5月23日
和解協定出席のためディリへ赴いたアルフレド少佐を豪メディアSBSが取材中、政府軍兵士が銃撃、戦闘となる。
ディリは暴徒で騒乱状態となる。

5月24日
東ティモール政府、オーストラリア、ニュージーランド、ポルトガル、マレーシアに正式に支援要請。

5月25日
アルフレド少佐、東ティモール政府には問題解決能力がなく、外国軍の派遣を歓迎すると発言。また、政府を転覆させることが目的ではないとも。

国防軍兵士(抗議兵士ではない)、警察本部を攻撃。警官9名死亡、27名負傷。

オーストラリア軍先遣隊、東ティモールに到着。東ティモール国防軍は基地に戻り、治安維持活動はオーストラリア軍に移譲された。

暴徒の勢いはおさまらず。

5月28日
カトリック教会、アルカティリ首相の辞任を求める。

5月29日
治安会議にて、首相の退陣を検討。
群集、大統領府前で首相の辞任を要求。

5月30日
グスマン大統領、全権掌握を宣言。

5月31日
アルカティリ首相は「国防と治安はまだ政府の一部であり、私が政府の長である」と述べる。グスマン大統領が単独で軍を統帥したとの報道を声明文の誤訳によるものだと否定。

アルフレド少佐、「大統領は過ちを犯した。これでは解決にならない」と、大統領が首相を解任しなかったことを批判。武装解除には応じない構え。

凶悪な暴徒は、なぜかオーストラリア軍に対しては、非常に従順であるとメディアが報告している。


以上のことを、まとめてみると、実に単純な構造が浮かび上がってくる。

マリ・アルカティリ首相
   VS
グスマン大統領
ホルタ外相
カトリック教会
抗議兵士グループ
暴徒、群集
誰も彼もが、アルカティリ首相の退陣に固執している。

反首相派には、与党フレテリン党のメンバーも少なからず加えるべきかもしれない。5月19日の党大会で、アルカティリ首相は書記長に再選されているが、彼は、無記名投票方式を独断で「挙手」による投票に変更した。無記名投票の場合、アルカティリ首相は負ける可能性があったと考えられる。つまり、自党の内部にも少なからぬ反首相派が存在するということだ。

それから、国防軍の大部分は大統領が掌握しているので、国防軍も反首相派に加えるべきだろう。

唯一、警察は首相のコントロール下にあったが、5月25日、警察本部が国防軍に襲撃され、警官9名が死亡、27名が負傷するという大惨事が発生している。なぜ正規軍が警察本部を襲撃したのか、続報はまったくない。ただ、首相はいままで通り警察をコントロールすることはできなくなったと見られる。

アルカティリ首相には、もはや味方がほとんどいない。
彼は、最後の悪あがきをしているところだ。
なぜ、これほどまでにアルカティリ首相は疎まれているのか。
おそらく、自己の権力と利益の拡大にしか興味がないからだろう。
それは、オーストラリアの横暴から、ある程度東ティモールを守った。
しかし、彼は国民の利益にも何の興味もなかった。
そして結局、オーストラリアの奸計にはまって、国の未来を台無しにしてしまった。
今回の一連の出来事はあらかじめシナリオができていたと見ていいだろう。

興味深い事実がいくつか報道されている。
5月25日に、抗議兵士グループのリーダーのアルフレド少佐は「外国軍を歓迎する」と発言している。欧米メディアは、彼らのことを ”rebel :反逆者”と表記している。本来、外国軍は、反乱軍の鎮圧のために来るはずだ。その反乱軍が、外国軍を歓迎するとは不思議なことだ。

実は、アルフレド少佐はオーストラリア軍によって訓練されている。しかも昨年、彼はキャンベラに滞在していた。そもそも、東ティモール国防軍そのものがオーストラリア軍によって訓練されているのだ。要するに彼らは、身内みたいなものだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060529-00000009-nna-int

オーストラリア軍は抗議兵士グループを鎮圧に来たのではないようだ。では、暴徒を鎮圧するために来たのか。いや、そうでもなさそうだ。暴徒はオーストラリア軍に遭遇すると、なぜか抵抗もせず従順に武器を渡しているのだ。そして武装解除された暴徒は解き放たれ、また破壊と略奪に戻っていく。

豪平和維持部隊は土曜、ディリ中心部の治安を確保したのち、自動小銃や山刀で武装し民兵組織を結成した若者らが散発的に衝突を繰り返している周辺部に移動した。同軍将校は、50人からなる集団を一発の銃弾も発することなくたちまちのうちに武装解除した(Lusa、5月27日)。
http://www.asahi-net.or.jp/~gc9n-tkhs/news89.html

そして、一見無秩序で凶悪に見える暴徒だが、実は非常に組織的で統制が取れ、しっかりした目的を持っているようだ。

検察当局の建物に暴徒が押し入り、内部に保管されていた殺人関連の文書が略奪された。モンテイロ検事総長によると、持ち去られた文書の事件について起訴手続きを再び行うことは困難という。文書には、人権侵害で起訴されているインドネシアのウィラント元国軍司令官に関する書類が含まれていた。
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200605310006.html

混乱に乗じた反政府組織や若いギャング団が暴徒化して、たまたま検察局に侵入したところまでは容認しよう。しかし、たまたま暴徒がウィラント元国軍司令官の訴追資料を持ち出すとは到底考えられない。

暴徒は明確な支持に基づいて、役割を分担して行動しているようだ。無秩序に破壊や盗みをしているわけではない。すべてには明確な目的があるのだ。そして、なぜかオーストラリア軍には従順で決して抵抗しない。もちろん、攻撃などしない。

この三ヶ月間の出来事は、たった一つのことに向って進んでいた。
独裁者マリ・アルカティリ首相の退陣だ。
そして、そのあとに残るのは、オーストラリアのよき友人たちばかりではないのか。



「ティモール・ロロサエ情報」ニュース翻訳
http://www.asahi-net.or.jp/~gc9n-tkhs/news89.html
豪軍1,300人、東ティモールに展開
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060529-00000009-nna-int