報道写真家から

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続・99年9月、虐殺を放置したオーストラリア政府

2006年06月15日 21時00分08秒 | ■東ティモール暴動
オーストラリア国立大学・戦略防衛研究センターのデス・ボールという教授が、2000年に次のような報告をしている。


(東ティモールで)何が起ころうとしていたかを、もし世界が知り、そして、もしオーストラリアが隣人による殺戮を止めることを強要されたら、インドネシアとの貴重な同盟関係が砕けてしまうであろうことを政府は恐れていた。オーストラリア政府は、殺害と蛮行の冷徹な報告を無視し続けたので、諜報筋は東ティモールからの報告に手を加えた。その報告に政府は満足した。それによって情報機関と外務省には亀裂が広がって行った。

「政府の望まない、正確な予測情報」を、情報機関が生み出したので、政策立案者は不快な情報を無視し、情報当局の専門技術を無力化したのだ。
http://www.etan.org/et2000c/december/24-31/24silent.htm


オーストラリア政府は、非常に優秀な情報機関を持っていたようだが、東ティモールの住民投票に関しては、都合の悪い正確な情報ばかりがもたらされたため、自国の情報機関の能力を無力化してしまった、ということだ。

もしオーストラリアが得た情報がもれれば、インドネシアが国際社会から悪の烙印を押され、インドネシアとの関係が悪化してしまう。それは、オーストラリアの安全保障を揺るがす問題となる。

かくしてオーストラリア政府は、情報機関からもたらされる虐殺計画に関するレポートを無視し、情報機関を無力化し、虐殺の発生をみすみす許した。

軍情報部の職員は虐殺が発生後も、、東ティモールの状況をモニターし続けた。殺戮の真っ最中のインドネシア軍の無線を傍受し、殺戮の生中継を記録した。そうした報告も、オーストラリア政府首脳はいっさい聞こうとはしなかった。

オーストラリア軍が、東ティモールに上陸した後も、部隊は虐殺の証拠や痕跡を隠滅し、虐殺の規模をできるだけ小さく記録するよう命令された。かつその記録もオーストラリア政府によって封印された。

オーストラリア政府は、インドネシアと友好関係を保ち、互いの安全保障体勢を強固にするために、すべての情報を握りつぶし、東ティモールの何千人という住民の命を犠牲にしたのだ。