みなさん、おひさしぶりです。
カブールより、お送りします。
8年ぶりのカブールです。
その第一印象は、
「ここは本当にアフガニスタンなのだろうか・・・」
というものです。
もちろん前回訪れたのは、タリバーン政権下の鎖国時代でしたから、様変わりしているのは当然ですが、それにしても変わりすぎではないかという気がしてなりません。
米軍の空爆とタリバーン政権の崩壊からまだ3年ほどです。パキスタンやイランに滞在していた多くの難民が帰還して人口が増えたのは理解できます。しかし、道路にあふれる車、くるま、クルマ。軒を連ねる商店にあふれかえる物、もの、モノ。3年あれば十分、人や車や物があふれるのかもしれません。しかし、東ティモールは3年でこんなにも変化しませんでした。
多くの国と国境を接するアフガニスタンと島国の東ティモールとを比較するのは適切ではないかもしれませんが、それにしてもアフガニスタンの変化はあまりにも急速すぎるような気がします。
すでにモバイルなどもやは当たり前という社会になっています。おしゃれなモバイル・ショップがそこらじゅうにあります。通りで中古モバイルを手にぶら下げて売っている人もいます。中古は20~30ドルくらいです。
こうした急速な変化がいいことなのか悪いことなのかを、外国人の僕が判断するべきではありませんが、何かアフガニスタンの人々を物質漬けにしているような気がしないでもありません。自足的な社会ではなく、消費型の社会を押し付けようとしているような・・・。商店には、日用雑貨から加工食品、コンピュータ関連機器、化粧品まで、ありとあらゆるものが並んでいます。いったい誰がこんなものを買えるというのか、理解に苦しみます。産業もほとんどなく高失業率のいまのアフガニスタンでは、消費者層などまだ形成されているとは思えません。
いまのところアフガニスタンには関税がないようなので、富裕層がいまのうちにできるだけ輸入しておこうとしているのかもしれません。
鎖国から転じて、急速な消費型社会への移行は、そこから取り残される多くの人々を輩出していくことになると思います。ごく一部の富裕層と圧倒的大多数の貧困層です。途上国が歩まされる典型的なパターンとなるのでしょう。あくまで西欧主導による復興援助ですから。
しかしいまのところ、何がなんだかよく分からないというのが正直なところです。
アフガニスタンでの写真撮影は、問題もなく快適です。アフガニスタンの人々の応対は極めて好意的で、安心して撮影ができる環境にあります。カブール市内の治安もいまのところ良好です。ただし、いたるところに武装警官が配置されているということは、その必要があるからでしょう。欧米人の泊まるゲストハウスには、民間の武装警備員がいます。お金持ちは武装ガードマン付で食事や買い物をしています。夜は出歩かないことにしています。
そこらじゅうを歩き回って撮影していますが、人とクルマの洪水の街中を歩くのはとても疲れます。あまりにもすべてがせわしなく、落ち着いて腰を下ろせる場所さえない。たいていのイスラム社会には、チャイハネでチャイをすすり、うだうだ話をして時間を過ごす”文化?”のようなものがありますが、カブールからはそうした”文化”は消えてなくなっています。
僕が見つけた安息の地は、山の斜面の住居群です。ブラジルのファベーラを彷彿とさせる光景ですが、入ってみたいという衝動を抑えられずに、上ってみました。こういう不便な場所に住んでいる人たちは間違いなくもっとも低所得の人々か、所得のない人々でしょう。カブールにいる間は頻繁に通うことになりそうです。
< 写真 >
ムジャヒディン勝利記念式典。
周囲一帯を完全閉鎖し、隔離された敷地での式典。
アフガニスタンに来て、まさかカルザイ大統領を撮ることになるとは思わなかった。
米兵とISAF(国際治安支援部隊)のドイツ兵。
彼らは警備とは関係がなく、のんきにしていた。
カブール市内のおもだった通りはどこもクルマの洪水。
歩いた方が早い。
旧市街のオールド・バザール。
バザールは広いエリアに広がっているが、
いつも人でごった返している。
どこの国でも市場やバザールは活気があり、一番好きな場所だが、
カブールのバザールは活気とは違う何か別の空気を感じる。
普通は、売り手と買い手の攻防が発する熱気が
バザールの活気と魅力を生むのだが、
ここには、売り手ばかりが存在するような気がする。
カブール市内には山がふたつほどそそり立つ。
その麓には山肌に張り付くように家屋が建っている。
カブール市内のたいていの場所から見える。
ブラジルのファベーラ(スラム)を彷彿とさせる光景だ。
毎日見ているうちに上ってみたくなった。
リオだったら、身ぐるみ剥がされる。
しかし、カブール市街の喧騒に辟易して、恐る恐る上ってみた。
そして、こんな人たちに出会った。
中司達也
カブールにて
カブールより、お送りします。
8年ぶりのカブールです。
その第一印象は、
「ここは本当にアフガニスタンなのだろうか・・・」
というものです。
もちろん前回訪れたのは、タリバーン政権下の鎖国時代でしたから、様変わりしているのは当然ですが、それにしても変わりすぎではないかという気がしてなりません。
米軍の空爆とタリバーン政権の崩壊からまだ3年ほどです。パキスタンやイランに滞在していた多くの難民が帰還して人口が増えたのは理解できます。しかし、道路にあふれる車、くるま、クルマ。軒を連ねる商店にあふれかえる物、もの、モノ。3年あれば十分、人や車や物があふれるのかもしれません。しかし、東ティモールは3年でこんなにも変化しませんでした。
多くの国と国境を接するアフガニスタンと島国の東ティモールとを比較するのは適切ではないかもしれませんが、それにしてもアフガニスタンの変化はあまりにも急速すぎるような気がします。
すでにモバイルなどもやは当たり前という社会になっています。おしゃれなモバイル・ショップがそこらじゅうにあります。通りで中古モバイルを手にぶら下げて売っている人もいます。中古は20~30ドルくらいです。
こうした急速な変化がいいことなのか悪いことなのかを、外国人の僕が判断するべきではありませんが、何かアフガニスタンの人々を物質漬けにしているような気がしないでもありません。自足的な社会ではなく、消費型の社会を押し付けようとしているような・・・。商店には、日用雑貨から加工食品、コンピュータ関連機器、化粧品まで、ありとあらゆるものが並んでいます。いったい誰がこんなものを買えるというのか、理解に苦しみます。産業もほとんどなく高失業率のいまのアフガニスタンでは、消費者層などまだ形成されているとは思えません。
いまのところアフガニスタンには関税がないようなので、富裕層がいまのうちにできるだけ輸入しておこうとしているのかもしれません。
鎖国から転じて、急速な消費型社会への移行は、そこから取り残される多くの人々を輩出していくことになると思います。ごく一部の富裕層と圧倒的大多数の貧困層です。途上国が歩まされる典型的なパターンとなるのでしょう。あくまで西欧主導による復興援助ですから。
しかしいまのところ、何がなんだかよく分からないというのが正直なところです。
アフガニスタンでの写真撮影は、問題もなく快適です。アフガニスタンの人々の応対は極めて好意的で、安心して撮影ができる環境にあります。カブール市内の治安もいまのところ良好です。ただし、いたるところに武装警官が配置されているということは、その必要があるからでしょう。欧米人の泊まるゲストハウスには、民間の武装警備員がいます。お金持ちは武装ガードマン付で食事や買い物をしています。夜は出歩かないことにしています。
そこらじゅうを歩き回って撮影していますが、人とクルマの洪水の街中を歩くのはとても疲れます。あまりにもすべてがせわしなく、落ち着いて腰を下ろせる場所さえない。たいていのイスラム社会には、チャイハネでチャイをすすり、うだうだ話をして時間を過ごす”文化?”のようなものがありますが、カブールからはそうした”文化”は消えてなくなっています。
僕が見つけた安息の地は、山の斜面の住居群です。ブラジルのファベーラを彷彿とさせる光景ですが、入ってみたいという衝動を抑えられずに、上ってみました。こういう不便な場所に住んでいる人たちは間違いなくもっとも低所得の人々か、所得のない人々でしょう。カブールにいる間は頻繁に通うことになりそうです。
ムジャヒディン勝利記念式典。
周囲一帯を完全閉鎖し、隔離された敷地での式典。
アフガニスタンに来て、まさかカルザイ大統領を撮ることになるとは思わなかった。
彼らは警備とは関係がなく、のんきにしていた。
式典上空を警戒するアパッチ攻撃ヘリ。
第一級の警備体制だった。
記者団は狭い囲いの中に閉じ込められた。
記者団専属のセキュリティが5、6人いた。
もちろん記者団を守るのではなく、
記者団の中に変なそぶりをする人物がいたら即座に撃つためである。
第一級の警備体制だった。
記者団は狭い囲いの中に閉じ込められた。
記者団専属のセキュリティが5、6人いた。
もちろん記者団を守るのではなく、
記者団の中に変なそぶりをする人物がいたら即座に撃つためである。
歩いた方が早い。
旧市街のオールド・バザール。
バザールは広いエリアに広がっているが、
いつも人でごった返している。
どこの国でも市場やバザールは活気があり、一番好きな場所だが、
カブールのバザールは活気とは違う何か別の空気を感じる。
普通は、売り手と買い手の攻防が発する熱気が
バザールの活気と魅力を生むのだが、
ここには、売り手ばかりが存在するような気がする。
その麓には山肌に張り付くように家屋が建っている。
カブール市内のたいていの場所から見える。
ブラジルのファベーラ(スラム)を彷彿とさせる光景だ。
毎日見ているうちに上ってみたくなった。
リオだったら、身ぐるみ剥がされる。
しかし、カブール市街の喧騒に辟易して、恐る恐る上ってみた。
そして、こんな人たちに出会った。
カブールにて
一部の富裕層と大多数の貧困層というのは、本当にたくさんの国で見ることが出来そうで、悲しいです。
大多数の人が、普通に笑って買い物をして、仲間と趣味の話で盛り上がることが出来たら良いですよね。
写真の子供たちは、平和な生活が出来るようにと思います。
貧富の差は確実に発生していくのでしょうが、殺し合いは無くなっているようで前進なのでしょうね。
山の写真は、とても良いです。なんだかいかなる状況でも自分たちの居場所をしっかり見つけて、たくましく生きる人々って、生命力を感じます。ホント、ブラジルの裏山みたいですね。(ファーべラ、って言うのですか?この前あのブラジルのスラムはどこにあるの?とブラジル人に聞いたら、「ホシーニャ」だと言われました)
最近のカーブルは誘拐が流行っていると現地の者に聞きました。気を抜かず旅をされてください。