《湾岸戦争・イラク戦争編》
日々洪水のように垂れ流されるニュース。
しかしこれらは、単なる「事実の断片」にすぎない。
「事実」が『真実』を語っているわけではない。
「事実」は慎重に加工されている。
メディアは、国民に奉仕する機関ではなく、国家権力に奉仕する機関にすぎない。
──油にまみれた水鳥──
メディアが大騒するニュースは、たいてい相当な悪巧みが隠されている。
代表的な例が、湾岸戦争のときの「油にまみれた水鳥」の映像だ。
石油の海と化した波打ち際に、全身石油まみれの真っ黒の水鳥が弱々しく立っていた。いや、呆然と立っていたといった方がいいかもしれない。
当時、メディアはサダム・フセインの「環境テロ」だと大騒ぎした。フセインがわざと油田の油を海に「放出」していると報道された。環境は破壊され、海の生物が犠牲になっていると。油にまみれた水鳥の映像は、大きな訴求力を持った。水鳥の映像は世界中をかけめぐり、繰り返し放映された。世界中がフセインを「狂気の極悪人」として認識した。このたったひとつの映像が、永遠にフセインのイメージを世界に決定づけたのだ。
しかし、後の検証によって、原油が海に流出したのは、米軍の爆撃が原因であることが明らかになった。アメリカは自らの爆撃の結果を、フセインの環境テロにすり替えたのだ。当時、世界のメディアは、油まみれの水鳥の映像を何ら検証することもなく、アメリカの大本営発表を世界に垂れ流した。
水鳥の命をダシに、イラク市民は爆撃された。
──証言──
湾岸戦争時、もうひとつアメリカが仕組んだ大ウソがあった。
クウェートから逃げてきたとされる少女の証言だ。そのクウェート人少女は、アメリカ議会の公聴会でこう証言した。
「私は病院でボランティアとして働いていましたが、銃を持ったイラクの兵隊たちが病室に入ってきました。そこには保育器の中に入った赤ん坊たちがいましたが、兵士たちは赤ん坊を保育器の中から取り出し、保育器を奪って行きました。保育器の中にいた赤ん坊たちは、冷たいフロアに置き去りにされ、死んで行きました」
ナイーラは「何百人」もの赤ん坊にたいして行われたと、涙ながらに説明した。
『メディアコントラール』P187 前坂俊之著 旬報社
ところが、この公聴会での少女の証言は、真っ赤なウソだった。
事前にアメリカの広告代理店(ヒル・アンド・ノウルトン社)が綿密なシナリオをつくり、何度もリハーサルをした上での証言だった。ナイーラの父親は駐米大使であり、ナイーラはクウェート現地にはいなかったのだ。
──大量破壊兵器とアルカイダ──
イラク戦争でも、このウソによるイメージ戦略は大いに発揮された。
イラク戦争開戦の最大の理由は、
「大量破壊兵器の存在」
「フセインとアルカイダのつながり」
だった。
この二つの「事実」が、世界中のメディアを使って大宣伝された。狂人フセインを打倒しなければ、世界の安全は脅威に晒される、というように。フセインは世界の脅威、世界の敵になった。すでにフセインのイメージは湾岸戦争で定着している。
しかし、「大量破壊兵器の存在」も「アルカイダとの関係」も、ウソだった。
今年のアメリカ大統領選挙の数ヶ月前に、パウエル国務長官(当時)は、「イラクには大量破壊兵器はなかった。今後も発見されないだろう」と公式に発言した。ラムズフェルド国防長官は、「フセインとアルカイダの関係はなかった」と口を滑らせた。
──永遠のイメージ──
これらは、メディアが騙されて「誤報」をしてしまったのではない。
ウソを捏造する側とウソを報道する側とは、いつもグルなのだ。
そしてすべてが終わった後、メディアは正義漢づらして「ウソ」を暴くのだ。
ここで最も問題なのは、「ウソ」を暴いたあとだ。
人はメディアの「ウソ」には簡単に騙され、簡単に煽られるが、それが「ウソ」だと発覚しても、ほとんど無関心なのだ。
そして「ウソ」で植えつけられたイメージは、その後も残り続ける。
つまり、「ウソ」を捏造する側にとっては、あとでバレても一向にかまわない。ウソがバレても、効果は半永久的に保たれるからだ。それこそが重要なのだ。フセインは永遠に狂気の独裁者として歴史に名を連ねる。そして、アメリカの行為も半永久的に正当化される。
日々洪水のように垂れ流されるニュース。
しかしこれらは、単なる「事実の断片」にすぎない。
「事実」が『真実』を語っているわけではない。
「事実」は慎重に加工されている。
メディアは、国民に奉仕する機関ではなく、国家権力に奉仕する機関にすぎない。
──油にまみれた水鳥──
メディアが大騒するニュースは、たいてい相当な悪巧みが隠されている。
代表的な例が、湾岸戦争のときの「油にまみれた水鳥」の映像だ。
石油の海と化した波打ち際に、全身石油まみれの真っ黒の水鳥が弱々しく立っていた。いや、呆然と立っていたといった方がいいかもしれない。
当時、メディアはサダム・フセインの「環境テロ」だと大騒ぎした。フセインがわざと油田の油を海に「放出」していると報道された。環境は破壊され、海の生物が犠牲になっていると。油にまみれた水鳥の映像は、大きな訴求力を持った。水鳥の映像は世界中をかけめぐり、繰り返し放映された。世界中がフセインを「狂気の極悪人」として認識した。このたったひとつの映像が、永遠にフセインのイメージを世界に決定づけたのだ。
しかし、後の検証によって、原油が海に流出したのは、米軍の爆撃が原因であることが明らかになった。アメリカは自らの爆撃の結果を、フセインの環境テロにすり替えたのだ。当時、世界のメディアは、油まみれの水鳥の映像を何ら検証することもなく、アメリカの大本営発表を世界に垂れ流した。
水鳥の命をダシに、イラク市民は爆撃された。
──証言──
湾岸戦争時、もうひとつアメリカが仕組んだ大ウソがあった。
クウェートから逃げてきたとされる少女の証言だ。そのクウェート人少女は、アメリカ議会の公聴会でこう証言した。
「私は病院でボランティアとして働いていましたが、銃を持ったイラクの兵隊たちが病室に入ってきました。そこには保育器の中に入った赤ん坊たちがいましたが、兵士たちは赤ん坊を保育器の中から取り出し、保育器を奪って行きました。保育器の中にいた赤ん坊たちは、冷たいフロアに置き去りにされ、死んで行きました」
ナイーラは「何百人」もの赤ん坊にたいして行われたと、涙ながらに説明した。
『メディアコントラール』P187 前坂俊之著 旬報社
ところが、この公聴会での少女の証言は、真っ赤なウソだった。
事前にアメリカの広告代理店(ヒル・アンド・ノウルトン社)が綿密なシナリオをつくり、何度もリハーサルをした上での証言だった。ナイーラの父親は駐米大使であり、ナイーラはクウェート現地にはいなかったのだ。
──大量破壊兵器とアルカイダ──
イラク戦争でも、このウソによるイメージ戦略は大いに発揮された。
イラク戦争開戦の最大の理由は、
「大量破壊兵器の存在」
「フセインとアルカイダのつながり」
だった。
この二つの「事実」が、世界中のメディアを使って大宣伝された。狂人フセインを打倒しなければ、世界の安全は脅威に晒される、というように。フセインは世界の脅威、世界の敵になった。すでにフセインのイメージは湾岸戦争で定着している。
しかし、「大量破壊兵器の存在」も「アルカイダとの関係」も、ウソだった。
今年のアメリカ大統領選挙の数ヶ月前に、パウエル国務長官(当時)は、「イラクには大量破壊兵器はなかった。今後も発見されないだろう」と公式に発言した。ラムズフェルド国防長官は、「フセインとアルカイダの関係はなかった」と口を滑らせた。
──永遠のイメージ──
これらは、メディアが騙されて「誤報」をしてしまったのではない。
ウソを捏造する側とウソを報道する側とは、いつもグルなのだ。
そしてすべてが終わった後、メディアは正義漢づらして「ウソ」を暴くのだ。
ここで最も問題なのは、「ウソ」を暴いたあとだ。
人はメディアの「ウソ」には簡単に騙され、簡単に煽られるが、それが「ウソ」だと発覚しても、ほとんど無関心なのだ。
そして「ウソ」で植えつけられたイメージは、その後も残り続ける。
つまり、「ウソ」を捏造する側にとっては、あとでバレても一向にかまわない。ウソがバレても、効果は半永久的に保たれるからだ。それこそが重要なのだ。フセインは永遠に狂気の独裁者として歴史に名を連ねる。そして、アメリカの行為も半永久的に正当化される。
ようこそおいでくださいました。
アル・ジャジーラは非常にすぐれた報道機関でしたが、それがゆえに支局への爆撃や記者の逮捕という攻撃を受けました。BBCもたいへんよくやったと思いますが、やはり強力な圧力を受けました。いまでもこの二社はけっして死んでいないと思いますが、公正な報道の環境はいまの世界情勢の中で失われていると言えます。
したがって、ひとり一人が情報の正しさを検証しなければならない時代だと思います。インターネットは情報の精査には非常に有効な手段です。いい時代になったと思います。
ただ、ネットの情報の中には根拠の薄いものや、意図的なディスインフォメーションも多量に存在するため、情報の質に関しては厳しく採点する必要があります。
情報操作は日常的に行われています。それに振り回されないことが、自分の人生を歩む条件だとさえ思っています。
私が新聞やテレビの報道の全てが、誰かの意見だということに気がついたのは大人になってからでした。私たちは誰かのフィルターを通してしか出来事を見られない、ということに気がつかないまま、出来事を見ている気になっているのは恐ろしいことだと思います。
今の子どもたちはインターネットに触れているので、全てのことが正しいと鵜呑みにすることはないと思いたいのですが、どうなんでしょうね。
アルジャジーラの「ひとつの意見、そしてもうひとつの意見」というモットーはとてもすばらしいと思うのですが、現在の日本のメディアは、局がいくつあっても「ひとつの意見」でしかないように思えます。
マスメディアは権威にあぐらをかいて、すき放題してきましたが、そのメッキもどんどん剥がれてきているように思います。
多くの方が、メディアの報道に、違和感を感じているのではないでしょうか。それが、はっきりとした形になっていなくても、こころの底で人間は本質を見抜いているものだと思います。
「違和感」とは、こころの発する警告です。
これをあなどると、海外では命取りになることもあります。
僕も、普段から、とても大事にしております。
たとえばデフレが進行しているのにまったくデフレを止める対策をとらない政府にとても違和感を感じていました。デフレが進めば不良債権が増えるのに止めようとしなかったからです。そのことの本質に触れるマスコミがいませんでした。
郵政民営化の報道の仕方も今でもおかしいですね。年次改革要望書の報道もまったくされません。
最近では千葉県市川市の建築設計事務所の耐震構造計算書の偽造に関する報道も異常に大きく報道されています。もちろん生命に関わることですから重要なことなのですが報道の仕方が大きすぎます。この報道の隠れた意図は何なのか知りたいと思っています。
報道が少ないと思っているのは生保や損保の不払いです。内容としては重大な問題なのですがマスコミでは扱いが小さいですね。
とにかくマスコミ報道は鵜呑みにしないよう注意してゆきたいと思います。