報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

ジャパン・バッシングから構造改革へ

2005年09月06日 20時16分43秒 | □年次改革要望書
我々の住む日本が、いまどのような状態にあるかを知りたければ、どうしてもアメリカと日本、アメリカと世界という視点から見る必要がある。日本の国内問題と見えるものが、すべからくアメリカの国益問題でもある。


アメリカ政府は常に、日本をアメリカの国益のために利用しようとしてきた。一昔前は、言うことを聞かない日本に、「バッシング」を行った。しかし「ジャパン・バッシング」を繰り返してもほとんど効果はなかった。たいていの国はそれで屈服するのに。なぜか日本にはバッシングの効果がなかった。

当然、アメリカ政府はその原因を徹底的に研究した。その結果、アメリカ政府は、日本のおどろくべき実態を知る。日本の首相は権力の頂点ではなかったのだ。では、権力の中枢はどこにあるのか。実は、日本には権力の中枢などなかった。そんなものは、日本のどこにもみあたらない。首相でも議会でも官界でも財界でもない。またこれらが全体として権力を形作ることもない。バラバラなのだ。バッシングも、脅しもすかしも通用しないのは、最初からバラバラで命令を下す者がいないからだった。

アメリカ政府は、日本を民主主義国であり、資本主義経済国だと見誤っていたのだ。つまり、自分たちと同じシステムの国と思い込んで対処していた。しかしながら日本とは、中世的ムラ社会であり、共産主義的な統制経済国家なのだ。まさか「同盟国」に、そんな国家が存在するとは、アメリカ政府は夢にも思っていなかった。しかも、自分たちが一度占領し、近代国家としての基礎を築いてやった国が、だ。

かくして、アメリカの頭脳は日本の正体を解明した。ジャパン・バッシングが鳴りを潜めたのはそのためだ。一部の議員の間にはいまだに名残があるかもしれないが、政策としてはもはやない。では、ジャパン・バッシングのかわりに、アメリカ政府があらたに執った政策とは何か。

「構造改革」だ。
日本の構造をアメリカとまったく同じシステムに造り替えることだ。
政治や経済、社会のシステム、そして文化までもアメリカ型にしてしまえば、もはや日本においてアメリカ国内と同じように展開すればいいだけだ。アメリカに都合の悪いあらゆる規制を撤廃させ、あらゆる市場を開放させる。もちろん制度そのものも造りかえる。

その改造計画書が「年次改革要望書」だ。日本のあらゆる分野に「要望」を突きつけている。どこからどうみても、内政干渉だ。したがって、これを突きつけただけでは、今まで同様日本が動くわけがない。1994年以来、歴代首相はアメリカの圧力により「金融ビッグバン」など少しずつ実行はしてきた。

しかし、「年次改革要望書」に沿って日本をすばやく改造するためには、日本国内にもっと忠実な協力者が必要になる。まず何よりも、権力の中枢が存在しなかった日本に、強権を発動する首相を据えなければならない。そこで弱小派閥の長だった小泉純一郎氏に白羽の矢があたった。小泉首相は、中身はまるでないが、決まったフレーズを繰り返して猪突する強引さと冷酷さがある。独裁政治の長には、そういう人物が最適だ。ただ、複雑な政策を忠実に実行するには、もっと頭のいい男が必要になる。竹中平蔵氏だ。その経歴は実に輝かしい。小泉首相自身は、ただ叫ぶだけで、実務はすべて竹中大臣に丸投げしている。

小泉首相を、ヒットラーになぞらえる人もいるが、それは妥当ではない。ヒットラーはアメリカに奉仕などしていない。小泉首相は、朴正煕、スハルト、モブツ・セセ・セコ、フェルディナンド・エドラリン・マルコスらと肩を並ぶべき人物だ。みな、自国民の生活を踏み潰し、自己とアメリカの国益にだけ奉仕してきた人物だ。そして、その末路もみな同じだ。

小泉首相の言う「構造改革」とは、アメリカの国益のための日本改造以外の何物でもない。