報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

イスラエルによるガザ、レバノン攻撃とは何だったのか

2006年08月20日 01時17分25秒 | ■時事・評論
イスラエル軍によるレバノン攻撃で、1000人以上の犠牲者が出た。その3分の1は12歳未満の子供だと報告されている。

頻繁に誤爆を繰り返すほど、イスラエル軍は無能な軍隊ではないはずだ。イスラエル軍は、明らかに住宅地区や戦闘員でない人々をわざと攻撃した。

そこには明確な理由があるはずだ。

6月10日、ガザ北部でパレスチナ人の家族連れの海水浴客のいる海岸に、イスラエル軍の発射した砲弾が着弾した。子供や女性を含め8人が殺害された。

この事件に対してハマスは停戦を破棄し、イスラエル側に向けて攻撃を開始した。6月25日、秘密裏に掘られたトンネルを通って、パレスチナの戦闘員がイスラエル軍の基地を攻撃し、イスラエル軍兵士1人を拉致した。イスラエル軍は、ガザ地区に対して無差別的攻撃をはじめた。

7月12日、今度はレバノン南部において、ヒズボラによってイスラエル軍兵士2人が拉致された。これに対して、イスラエル軍はレバノンの空港、道路、港湾、発電所、携帯電話塔などのインフラを爆撃した。イスラエル軍は、先に住民の逃げ道を塞いだ。そして、ヒズボラとは関係のない住宅地域まで爆撃した。この1ヵ月でレバノンでの犠牲者は、1000人を越えた。

8月14日、イスラエルは、国連の停戦決議を受け入れ、1ヵ月に及ぶレバノン攻撃はひとまず終わった。

イスラエルは、ガザとレバノン攻撃でいったい何を望んでいたのか。

一般的な予測としては、ヒズボラはイラン、シリアに支援されているため、アメリカのイラン攻撃に備えた先制攻撃ではないか、と言われている。したがって、アメリカのイラン攻撃が近いとも言われた。

しかし、アメリカのイラン攻撃は現実的ではない。イラクとアフガニスタンの混乱に対応するだけでも米軍は手いっぱいだ。そこへイランまで加わると、もはや米軍の展開能力を越えてしまうだろう。アメリカによるイラン攻撃があるとすれば、イランが石油取引所を開設し、決済通貨をユーロとしたときだけだ。

また、ヒズボラはイランから経済援助と武器援助を得ているが、主従関係にはなく、ヒズボラはイランの指揮命令下にあるわけではないようだ。

イスラエルによるレバノン攻撃が、イラン攻撃に備えたヒズボラの弱体化が目的でないとしたら、本当の理由はいったい何だろうか。


19日付けの東京新聞電子版に、興味深い記事が載っていた。
オルメルト内閣窮地 イスラエル西岸撤収困難
イスラエルのオルメルト首相が最大の公約に掲げていたパレスチナ自治区・ヨルダン川西岸から一方的に撤収し、国境を画定する計画が見直しを余儀なくされている。
一方、閣僚らのスキャンダルが続出。西岸からの撤収計画は、風前のともしびだ。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20060819/mng_____kok_____001.shtml

興味深いのは、閣僚のスキャンダルだ。どこの国でもそうだが、政府要人の「セクハラ・スキャンダル」や「インサイダー取引」などが露見する場合、それはほぼ間違いなく政争だ。

イスラエル北部地区は、ヒズボラのロケット攻撃で53億ドル相当の被害を受けた。オルメト首相は、その責任を取らねばならないが、首相を支えるべき側近は、スキャンダルで無力化されている。

その結果、パレスチナ自治区・ヨルダン川西岸からの撤収というオルメルト首相の公約はつぶれる公算が高くなった。ここにすべての答えがあるように思う。

昨年おこなわれたガザ地区からのイスラエル人入植者の強制撤収は、イスラエル世論を二分した。イスラエル政界には、オルメルト首相の政策に反発する勢力が存在することは間違いない。ガザに続いて、ヨルダン川西岸からの撤収が強行されれば、さらにイスラエル国内が分裂するだろう。

今回のレバノン攻撃にいたる一連の出来事は、オルメルト首相の入植地撤収政策をつぶすための右派勢力の計略であったと考えられる。右派勢力は、イスラエル軍に強い影響力を持っている。イスラエル軍は、首相や国防相ではなく、右派勢力にコントロールされていたようだ。今回のガザ攻撃とレバノン攻撃は、イスラエル政界の内紛によって引き起こされたと言える。

合計3人の拉致兵士奪還のために、1000人以上のパレスチナ人とレバノン人の命が奪われた。拉致兵士奪還など、無差別攻撃のための言い訳にすぎない。無差別攻撃は、イスラエルに対する激しい反撃を生む。イスラエル北部は多大な損害を受け、民間人も多数命を落している。右派勢力は、ハマスやヒズボラに反撃させ、イスラエルに甚大な損害を与えて欲しかったのだ。そうすれば、オルメルト首相の政治生命を絶つことができる。そしてそれは達成されたと言えるだろう。


すべては、海水浴客の中に撃ち込まれた一発の砲弾からはじまった。
その砲弾が意図的に撃ち込まれたことは間違いなかった。
しかし、なぜ海水浴に来た家族を殺さなければならないのか。
その時は理解できず、行き場のない憤りだけが残された。
二ヶ月たって、真相は理解できたが、憤りはつのるばかりだ。





ヒズボラとは何か
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/
オルメルト内閣窮地 イスラエル西岸撤収困難
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20060819/mng_____kok_____001.shtml
イスラエルのレバノン侵攻における軍事広報戦
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2006/08/post_9798.html
レバノン、犠牲者1000人超に
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060807NT002Y65007082006.html
アメリカvsイラン=ドルvsユーロ
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/abbd497f5acb5294a7cd3fb2bb75655d

HIV感染者に悲劇をもたらすWTOの知的所有権保護

2006年07月25日 21時32分27秒 | ■時事・評論
世界の途上国のHIV感染者を治療してきたのは、インド製の安いエイズ治療薬だ。

これは「ジェネリック(コピー)治療薬」と呼ばれている。インドの特許法では、製法が異なれば、同じ成分・効能を持つ医薬品を製造することができた。

欧米の製薬会社は、インド製のジェネリック薬は粗悪で危険であると主張してきたようだが、世界保健機構は、インド製のジェネリック治療薬に高い評価を与えている。

インドのジェネリック治療薬は、途上国で使われるエイズ治療薬の約50%を供給していると報告されている。

それまでは、患者1人当たり年間1万ドルの費用が必要であったが、ジェネリック治療薬の登場で200~250ドル程度すむようになった。

ところが、インドでは今後、ジェネリック治療薬の製造には高いロイヤリティが必要になる。近い将来、途上国でエイズ治療薬を手にできる人はいなくなってしまうかもしれない。

WTO(世界貿易機関)のTRIPs協定(1995年)は、「南側の諸国の政府に対して自国で(医薬品の)コピー製品を製造したり分配したりすることを禁止している。」(『WTO徹底批判!』スーザン・ジョージ著p34)

昨年3月、インド議会は、WTOのTRIPs協定を踏まえた特許法の修正案を可決した。今後開発される新しい治療薬に関しては、ジェネリック治療薬を製造することはできない。

ただし、現在製造されているジェネリック薬は、TRIPs協定以前のものか、特許権が放棄されたものなので製造を続けることができる。

問題は、今後新しく開発されるエイズ治療薬だ。現在使用されている治療薬に対する耐性ウィルスが出現した場合、耐性ウィルス用の治療薬のジェネリック薬の製造は実質的にできなくなる。ロイヤリティを支払えば、もはや途上国に供給できる安い薬を製造することはできない。

年間、数千ドルから1万ドルもする治療薬を、途上国の患者が手にすることなどできない。

ニューヨーク・タイムスは、インドの法改正には、「WTOの強い圧力がその背景にある。」と書いている。WTOは、欧米の製薬会社の利益を守るために、途上国のエイズ患者には死ねと言っているに等しい。

近年、エイズ問題に対する取り組みの流れが変わってきたように思う。その典型は、やはりアメリカだろう。HIV/AIDS対策として、コンドームの使用から”禁欲”を重視する政策を執るというのは、あまりにも非現実的だ。このような計画に5年間で150億ドルを拠出するという。

WTOもアメリカも、HIV感染者を増加させたいのだろうか。



グローバル・エイズ・アップデート
http://blog.livedoor.jp/ajf/
●特集:インド特許法改正とジェネリック・エイズ治療薬
http://blog.livedoor.jp/ajf/archives/2005-03.html#20050317
インドで、エイズ治療薬の特許申請に初の異議申し立て
http://www.msf.or.jp/access/a_news.php?id=2006033101
WTO-安いエイズ治療薬が生産停止に!
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/wto/wto_no_more_cheap_medicine_2005_3.htm
途上国のエイズ患者に打撃 インドがジェネリック薬品製造を規制
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200503251613125
世界保健機構がインド製のHIV治療薬を承認する
http://www.janjan.jp/world/0508/0508301738/1.php
『WTO徹底批判!』スーザン・ジョージ著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4878934743/250-1991737-7990664?v=glance&n=465392

本当の交通事故死亡者数

2006年04月28日 23時21分27秒 | ■時事・評論
今日は、ある数字をネットで探していた。
日本の年間交通事故死亡者数だ。
そんなもの簡単に見つかると思われるだろうが、そうはいかなかった。

平成8年から、交通事故死亡者数というのは1万人を割ったということになっている。しかし警察発表の数字というのは、事故発生から24時間以内の死亡者の数字だ。

いろいろ検索してみて、厚生労働省が事故発生から1年以内の死亡者数の統計を出していることがわかった。実際は、警察発表よりも3000人以上も多いことが分った。

平成15年の警察発表(24時間以内の死亡者数)は、7702人。
しかし、厚生労働省の統計(1年以内の死亡者数)は、10913人。(+3211人)

平成16年は、警察発表が7358人に対して、厚生労働省の統計は、10480人。(+3122人)

実際は、年間の交通事故死亡者数が1万人を割ったことなどないのだ。
人間の心理として、目安となる数字を下回る(あるいは上回ると)と成果と感じる。警察は、1万人という数字を目標としたが、1年以内の死亡では、1万人を割れないと考えたのかもしれない。そこで、最低単位の1日、つまり24時間以内で統計を取ることにしたのではないだろうか。警察のメンツにかけて1万人を割りたかったのだろう。

数字というのは、統計の仕方によっていかようにも操ることができる。身近なところにも、こんな統計のマジックが存在するのだから、いたるところに存在すると考えた方がいいだろう。

交通事故死亡者数は着実に減少しているのだから、本当の数字を発表してもいいと思うのだが。
本当の数字は、厚生労働省の統計の中にひっそりと存在している。


平成16年
厚生労働省 人口動態統計月報年計(概数)の概況
第5表  死亡数・死亡率(人口10万対),死因簡単分類別
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai04/toukei5.html

トンネル国家、アメリカ

2006年04月08日 23時35分24秒 | ■時事・評論
ここのところ、さんざんアメリカ、アメリカと書き散らしているが、、「アメリカ」と表記するたびに、一種の居心地悪さを感じる。

「ブッシュ大統領」と表記するときも似たようなものを感じる。というのもブッシュ氏がアメリカをコントロールしているわけではないからだ。あくまで彼は利益代表にすぎない。当然アメリカの最高司令官などでもない。彼は所詮パペットにすぎない。

いまアメリカの政治経済軍事の影響力から自由な国家は存在しない。しかし、そのアメリカという国家も、さまざまな勢力から成立っており、一口に「アメリカ」という言葉では括れない側面がある。

アメリカの政治経済を実際に動かしているのは、複雑に入り組んだ多数の勢力だ。「ネオ・コンサーバティブ:新保守主義」もそのうちのひとつだし、軍需産業や石油業界もそうだろう。そしてウォール街に代表される金融界。それから宗教界も巨大な勢力だ。しかし、こうしたさまざまな勢力の総体や駆け引きだけで、アメリカの政治経済が動いているわけでもない。他にも役者がいる。

「多国籍企業」と「国際金融資本」だ。

この両者は、従属する国家を持たない。書類上はどこかの国家に属しているが、実際には国家から独立した存在だ。多国籍企業は必要なら本社機能を出身国から他国へいつでも移転させるだろう。国際金融資本のほとんどは、タックス・ヘイブン(租税回避地)のバージン諸島やバハマにペーパー本社を置いて、国家の影響力から離脱している。つまり、多国籍企業や国際金融資本は「無国籍」であり、自己の利益だけを追求する存在なのだ。

多国籍企業は世界に6万社以上あるが、上位500社(アメリカ、ヨーロッパ、日本の企業)で世界の貿易の三分の一を占めている。こうした多国籍企業はWTOによりその利益を保証されている。WTO(世界貿易機関)は途上国の関税障壁を取り除き、途上国の産業と市場を多国籍企業に差し出した。WTOの前身であるGATTはアメリカによって設立された。

国際金融資本は、グローバリゼーションというマヤカシを提唱し、世界の金融市場の規制を撤廃させ、まんまと世界の金融市場を手中に収めた。その尖兵となったのがIMFと世界銀行だ。IMFと世界銀行もアメリカによって設立された。国際金融資本には、日本やヨーロッパ、産油国の資本が多数参加している。

世界の多国籍企業や国際金融資本は、アメリカの利益共同体と言って間違いない。つまりアメリカ国内の勢力や産業だけがアメリカを動かしているのではない、ということだ。世界の企業や資本も直接間接にアメリカに影響を与え利用しているのだ。

アメリカというのは巨大なトンネル国家と言えるかもしれない。ドルや軍事力を利用してアメリカが吸い上げた世界の富は、多国籍企業や国際金融資本の懐にも流れているのだ。もちろん、その中には日本の企業や資本が数多く含まれている。

僕が「アメリカ」と表記するとき、一抹の居心地悪さを感じるのはそのためだ。アメリカだけを諸悪の根源のように書くのは決してフェアではない。ただ便宜上どうしてもそう表記することになってしまうのだ。

アメリカというトンネルを利用して多国籍企業や国際金融資本が、世界の富を貪っているということも念頭においていただきたいと思う。

ファイブ・タイム・プレイヤー

2006年03月28日 18時16分55秒 | ■時事・評論
一般的にイスラム教徒は一日に五回お祈りをすると理解されている。しかし、イスラム圏にいても、一日五回お祈りをしている人を見ることは少ない。確かにモスクでお祈りをしている人はいるが、その何百倍もの人がモスクを素通りしている。

もし、すべてのイスラム教徒が戒律どおりに従えば、イスラム諸国の経済活動というのは著しく阻害されるかも知れない。彼らが戒律どおりに生活していないからといって敬虔なイスラム教徒ではないとは言えない。ものごと形ではない。

パキスタンの被災地では、モスクのほとんどが破壊されたこともあって、お祈りをしている人の姿を見たことはない。日々のお祈りをしなくても金曜日にはお祈りをするのだよ、とも言われた。その知人に、「君は金曜にお祈りにいってたっけ?」と訊くと、”いや、オレはいいんだよ”と眼で返事がかえってきた。

ある時、
「この人はファイブ・タイム・プレイヤーなんだ」
という言葉で人を紹介されたことがあった。
つまり、一日五回お祈りをする人ということだ。
そして、こう付け加えた。
「この人は、オサマ・ソルジャーなんだ」
オサマとはオサマ・ビン・ラディンのことだ。
もちろん彼の言葉は冗談だ。
しかし、そんな冗談を言うほどファイブ・タイム・プレイヤーは少なく、特殊な人とみなされている。

こうした冗談の背景には、外国の原理主義武装勢力が、このアザード・カシミール州からインド側のカシミールへ潜入して、テロ攻撃をおこなってきた歴史があるからだ。アザード・カシミールの人々は原理主義武装勢力を「オサマ・ソルジャー」「テロリスト」と呼んでいる。そして、原理主義武装勢力はもちろんファイブ・タイム・プレイヤーだ。

「カシミール人はピースフル・ピープルだ。我々はテロリストを憎んでいる」
僕が被災地で知り合った人はほとんどが山間部の村人で、一千年のあいだ土地を守り、作物を育ててきたピースフルな人々だ。インドやアメリカへの攻撃を支持している人には会ったことがない。

そんなアザード・カシミールへ外国の武装勢力が勝手にやってきて、インドへ潜入しテロを行うことで、アザード・カシミールの人々が世界から野蛮なテロリストだと見なされてしまう。彼らにしてみれば、たまったものではない。武装勢力は、とっととカシミールから出ていって欲しいというのが誰しもの思いだ。

しかし、彼らの思いとは裏腹に、震災がこうした過激団体の勢力を拡大する結果になった。被災者の救援や援助を理由に一気に表舞台で堂々と活動するようになった。ほとんど報道されることはないが、現地に滞在するメディアならどこでも知っている。いままでは地下で活動していた過激団体が、表の世界で勢力を定着させないか、カシミールの人々はひどく危惧している。

こうした原理主義過激団体について、現地の多くの人が”アメリカにバックアップされている”と見ている。僕も同じ意見だ。一見、イスラム原理主義団体や武装勢力は、アメリカと対峙しているように見えるが、こうした団体の拡大や行動が誰に利益をもたらしているかを考えれば、その背景は明らかになってくる。

最大の利益を得ているのはアメリカなのだ。原理主義過激団体の拡大とテロによって、アメリカの存在価値は高まっている。世界はアメリカの保護や情報力、軍事力を必要とする結果になっている。何度も述べているように、「共産主義の脅威」がなくなったいま、アメリカは新しい「世界的脅威」を必要としている。「脅威」のない平和な世界は、アメリカの価値を半減させるのだ。

原理主義の拡大とその過激な言動が、多くのイスラム教徒にファイブ・タイム・プレイを敬遠させる結果になっているのかもしれない。

汚職条項

2006年03月13日 05時20分00秒 | ■時事・評論
12日のニッケイネットにちょっと気になる記事があった。

日本の援助、「汚職禁止」にトルコ猛反発
「日本はトルコが汚職だらけだと思っているのか。失礼ではないか」。親日国として知られるトルコで珍しく日本批判が噴出している。トルコの考古学博物館建設に充てる2億8000万円の無償援助を巡り、日本側が「収賄・贈与に使われないようトルコ政府は必要な措置を講じる」と合意文書に書き込んだことがきっかけだ。

この項目は「汚職条項」といわれ、在トルコ日本大使館によると、日本政府のあらゆる対外援助に盛り込まれている。だが、トルコ政府から合意文書の承認を求められた議会外交委員会が猛反発。承認を拒否し、政府に文書を突き返した。トルコ外務省は10日夕、汚職条項を削除した。(カイロ=森安健) (07:01)

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060312AT2M1100711032006.html


「汚職条項」とは、96年にOECD/DAC(開発援助委員会)において採択された確認事項だ。内容は、援助関連文書へ汚職防止条項を導入するというものだ。

これを受けて日本も98年度より、交換公文の付属文書に「汚職条項」を盛りこむことになった。当該国が同条項に違反すれば、援助資金の一部返金や契約そのものの撤回を求めることもある。

トルコは日本と共にOECDの加盟国である。そのトルコがOECD/DACが採択した条項に対して憤慨するというのも少し見当違いのような気がする。

国際援助金というものが、被援助国で適正に使用されてきたならば、DACもこのような採択をすることはなかったはずだ。この採択は、さまざまな国で援助金がたどってきた歴史の結果だと言える。援助金の相当部分が不正に使用されたり、行方不明になってきたことの証左だ。

しかし、被援助国ばかりを責めるのもフェアーではない。援助金の額が巨額になればなるほど、先進国からもさまざまな団体や業者が援助金に群がってくる。当該国に透明性を要求するならば、援助金に群がってくる外国団体の実態も明らかにすべきだ。




http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2002_14575/slides/12/2.html

日本に帰って

2006年03月09日 21時17分47秒 | ■時事・評論
日本に帰ってはや一週間。
この二ヶ月間の日本の出来事などをナナメ読みにすばやく閲覧している。
多少興味をそそられる出来事は、堀江貴文氏の逮捕と民主党永田議員の勇み足。
堀江氏逮捕による小泉首相と自民党の苦境を、民主党のありえない”チョンボ”がみごとに相殺している。
うまくできすぎてはいないだろうか。
この二つの出来事はコインの表裏のように思う。
前原党首と小泉首相が表裏一体を成していることの表れだろう。
小泉氏の危機は、前原氏が救う。
前原氏は徒党を連れて、早く自民党に合流するべきだ。

堀江貴文氏の事件については、森永卓郎氏の「ライブドア事件の原点はここにあった!」がたいへん参考になった。小泉竹中改革の申し子=堀江氏はいったい何を目指し、なぜ蹉跌を踏んだのかがよくわかる。
http://nikkeibp.jp/sj2005/column/o/20/

小泉首相が進めている「改革」がもたらす結果に警告を発している原田武夫氏(元外交官)の【日本資産乗っ取り計画】もなかなか面白かった。タイトルは多少いかがわしいが、内容はしっかりしている。
http://gendai.net/?m=list&g=syakai&c=020&s=87

ノーマークの人物

2005年12月13日 19時47分17秒 | ■時事・評論
この情報過多の時代に、いったい誰の言葉を信用すれがいいのか、その判断はとても難しい。

僕は、ある金融アナリストのサイトを昨年あたりから、欠かさず読んでいた。とても大胆な分析で、参考になることが多かった。分析が正しいかどうかというよりも、大胆不敵な発想が挑戦的で楽しかった。そして、このアナリストは小泉首相の政策をコテンパンに批判していた。

しかし、911の選挙直前、彼はいきなり「転向」した。しばらくは唖然としたものの、有名であればあるほど、圧力や恫喝も激しいのだろうと理解した。恫喝に屈しないというのはよほどの人物にしかできない。以後、このアナリストのサイトの見出しくらいはたまに見るのだが、以前と違って、タイトルに精彩がない。かつては、タイトルにも気迫があったものだが。

逆に、いままでまったくノーマークだった人もいる。
評論家の森永卓郎という人がいる。オタク系グッズなんかを集めている人。テレビでたまに見たことがあるだけで、どういう人かは知らなかったし、興味もなかった。その森永氏のサイトを、少し前に偶然読んだのだが、こういう人だったのかと、驚きを持って読んだ。


 だが、転向したのは造反議員だけではない。

 テレビに登場する評論家たちを見るといい。総選挙前には、あれほど小泉首相の批判をしていたというのに、自民党が圧勝するや、まるで雪崩のように小泉応援団に変わってしまった。

 私が注目しているのは、ある女性評論家である。総選挙前は歯切れのいい小泉批判をして人気があったのだが、いつのまにか小泉応援団にまわってしまった。

 その結果、何が起きたか。不思議なことに、その直後から彼女がテレビに登場する回数が激増したのである。

 一方で、私は相変わらず小泉首相の政策を批判し続けている。そして、これまた不思議なことに、私に対するテレビの出演依頼は、小泉内閣の支持率に反比例して急激に減っているのである。

http://nikkeibp.jp/sj2005/column/o/07/


僕のブログでリンクしている森田実氏も、テレビ出演等がなくなったということを書いておられる。小泉首相とその政策を批判する者はそういう運命にある。それでも、批判すべきを批判し続ける人こそ信念の人だ。

さっそく、森永卓郎氏のコラムもリンクさせていただいた。森永氏は、いま小泉政権の政策を批判している評論家は、10人ほどしかいないと述べている。実に、お寒い現実だ。

逆の見方をすれば、いまテレビに出て、威勢のいいことを言い放っている人たちの言葉は、ほとんど信用するに値しないと言える。僕は、そのように彼らを見ている。


小泉改革をどう生きるか 森永卓郎氏コラムサイト
http://nikkeibp.jp/sj2005/column/o/index.html

救われる耐震偽装マンション住民、見捨てられる中越地震被災者

2005年12月06日 20時26分13秒 | ■時事・評論
本日は、ニッカン・ゲンダイから重要な話題を。
 12月5日

ニッカン・ゲンダイというのは、清々しいほどはっきりものを言い切る。まさに、その通りなのである。欠陥マンションを建設した「犯人」が分かっているのに、その購入者を「公費」で救済するというのは理屈がおかしい。「犯人」には一定の賠償能力があるはずだからだ。

中越地震の被災者は冷遇され、なぜ、欠陥マンションの購入者は厚遇されるのか。違うのだ。欠陥マンションの建設販売者たちが、公費で救われるのだ。これでは、デタラメ業者が得をし、国民が損をすることになる。

本来、まずデタラメ業者たちに全資産(個人、法人とも)を供出させ、それで足りなければ、国が業者にカネを貸せばいい。デタラメ業者は、百年かけてもきちんと国に返済する。そうすれば、住民も救われ、業者は罰せられ、税金も無駄に使われることはない。このままでは、デタラメ業者が一番得をしてしまうではないか。国は腹が痛まず、国民だけが損を強いられる。

こんな救済措置を許せば、欠陥マンションは今後も建て放題になる。業者にして見れば、建てるだけ建てて、欠陥がバレたら公費でシリをぬぐってもらえばいいわけだ。そういうことになる。

なぜ、国はこんな筋違いの救済策を打ち出しているのか。
それが、本題だ。
答えは、とても簡単だ。

ニュースを見ない僕だが、国会の喚問は少しだけ見た。ヒューザーの社長の国会での態度は、一見の価値ありだった。そして、そこにすべては語られている。

彼は、国会の場やそこにいる政治家のことを屁とも思っていなかった。なぜなら、そこにいる政治家たちにカネをばら撒いてきたのは、自分であり、自分の業界だからだ。政治家など、自分たちにカネをたかりに来るだけの卑小な存在としか見ていないのだ。彼の態度は彼の品格を語っているのではなく、彼(業界)と政治家の関係を物語っているのだ。業界が主で、政治家は従だ。

建築土木業界から政界に流れるカネは巨大だ。それによって政治家は不必要な公共事業を全国にばら撒く。必要もないダム、道路、トンネル、公共施設で日本の美しい自然がどんどん破壊されていく。そして、こうした無駄なダムや道路、公共施設などの無駄な維持費もまた公費で賄われる。巨大な無駄のリサイクルだ。最低の構造だ。そして、そこには巨大なカネがグルグル回っているのだ。ヒューザーのような会社も、この流れの中にカネを投入しているのだ。

早い話が、ヒューザーを追い詰めていくと、彼や彼の属する団体から政治家へ流れたカネが、明らかになってしまうということだ。もしかすると、欠陥マンションを造って浮いたカネは、日本のずっと高い政治の中枢まで流れているかもしれない。おカネというのは、毛細管現象のように高いところに吸い上げられていくようだ。

デタラメ業者の犯罪を暴く前に、欠陥マンションの公費での救済を打ち出したのは、建築業界と政治家の癒着が明るみになることを防ぐためにほかならない。それだけの話なのだ。

今回の事件で問題になった欠陥マンションの住民は救済されるかもしれない。しかし、全国の欠陥マンションの被害者が救済されることはない。もちろん、中越地震の被災者が救済されることもない。


不動産は安全な資産か?

2005年11月25日 21時49分37秒 | ■時事・評論
バブル崩壊以降、政府やメディアは何度となく、「地価は下げ止まった」「底を打った」と繰り返してきた。
はたして、本当なのだろうか。
不動産は、買っても安全な資産なのだろうか?

24日、こんなニュースがあった。

復興住宅値下げ「当然」 神戸地裁、住民の訴え棄却
2005年11月25日
 兵庫県住宅供給公社が阪神大震災後に震災復興住宅として建てた同県芦屋市のマンションを、分譲開始から3年で半額に値下げしたため、資産価値が不当に下がったとして、マンションの住民が同公社に総額6億3200万円の損害賠償を求めていた訴訟の判決が24日、神戸地裁であった。下野恭裕裁判長は「値下げの可能性は市場原理からいって当然で、値下げ後の価格も相場からかけ離れていたとは認めがたい」などとして住民側の請求を棄却した。

 訴えていたのは、同市陽光町のマンション「マリナージュ芦屋」(鉄筋12階建て、203戸)の住民ら96人。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200511250015.html

このマンション(203戸)は震災復興住宅として、1998年10月から、被災者を優先に分譲を始めた。平均販売価格は約3400万円だった。しかし、2003年に売れ残った70戸を半額で販売することを決定。それに対して、住民側は資産価値が下がったとして損害賠償請求を起こしていた。

この裁判の判決文の中に「市場原理からいって当然」という表記が出てくるが、裁判長は、日本の不動産価格が「市場原理」で決定されていると本気で思っているのだろうか。いや、おそらくそんなことはないだろう。裁判長は、日本の不動産価格の仕組みを知っているはずだ。カラクリを知っていて、こうした判決を下したのだ。

日本の不動産価格には、「市場原理」などほとんど働いてはいない。

「日本の地価は不動産鑑定士が鉛筆をなめながら国土交通省や国税庁のお役人の思いを忖度(そんたく)しながら決めている。事実上の官製相場だ。」
(『負け組のスパイラルの研究』105P 立木信著 光文社)

現在の地価は、バブル以前の1980年代の水準とほぼ変わらない。つまり、もとに戻っただけだ。しかもこれは、決して適正な水準ではない。日本の不動産価格は、官民ぐるみで意図的に高値に設定されている。

バブルの崩壊で、日本の「土地神話」も崩壊したが、「土地本位制」が崩壊したわけではない。というより、今後も「土地本位制」を維持しなければならない。そのためには、国民にどんどん不動産を購入させて、「土地本位制」を支えてもらわなければならない。したがって、不動産価格は実勢価格よりも高いほどよい。そして、不動産購入を促進するため、メディアには「地価は下げ止まった」「底を打った」と宣伝させる。

「銀行や役所は、庶民に事業のカネをなかなか貸さないが、住宅だけはふんだんに長期融資してくれる。おかしいと気づかないか。(中略)地価をあげるために、必要以上に貸し込むからだ。(中略)庶民の借金で地価を支え、ゼネコンなどに貸したカネのクズ土地担保の価格を何とか上げたい一心なのだ。」
(同 『負け組のスパイラルの研究』100P)

そう、日本の地価が下がればゼネコン所有の土地がさらに価値を失う。融資している銀行の不良債権も増していくのだ。とにかく、国民に不動産を購入させて、不動産価格を維持しなければならないのだ。

日本の賃貸住宅の家賃が、非常に高く設定されているのもこのためだ。同程度の物件なら、家賃を払うよりも住宅ローンの方が安い。同じカネを払うなら、賃貸よりも、買った方が得と考えるのは当然だ。こうして多少無理をしてでも不動産を買ってしまうのだ。しかし、それは、不動産価格が変動しない、建物は老朽化しないという前提で成り立っている。しかし、日本の地価は、これからも確実に下がる。しかも、建物はローンが終わる頃には、建て替えが必要なほど痛んでいる。

いまは、国民にあの手この手で不動産を購入させて、「土地本位制」を無理に維持している。しかし、もはや「土地神話」は再来しない。神話は、あくまで神話でしかなかったのだ。

では、日本の地価の実際の価値はいったいどれくらいなのだろうか?

「日本の土地不動産の評価額(実質価値)は現在でもGDPの2倍から3倍程度だ。つまり1000兆円超の架空市場だ。(中略)米国では不動産の価格はGDPとほぼ等価なので、資本主義のグローバル化がさらに進み国際的な評価を強いられると、日本の土地は少なくとも半値になる。」
(同 『負け組のスパイラルの研究』103P)

神戸の震災復興住宅の価格が半額になったのは、それが本来の「市場価値」だったからだ。裁判長は、「市場原理からいって当然」と判決しているが、それは、被災者が「不当な価格」で購入させられたという事実を無視している。これが、日本の不動産と司法の実態なのだ。

また、今回の「耐震強度偽装事件」でも、賃貸マンションは取壊して再建すればカタがつくが、分譲マンションはそうはいかない。誰もそんなところに住み続けたくないが、払い戻しや、再建がなされる見込みはない。あまりにも額が巨大すぎるからだ。業者は、涼しい顔で「公的資金での救済」などと口にしているが、これも無理な話だ。

これから住民は、長い裁判闘争に入ることになるだろう。しかし、国家ぐるみで「土地本位制」を維持しようとしている現状で、住民に勝ち目があるとは思えない。日本の司法は、被災者にでさえ、背を向けるのだから。

「土地本位制」の維持は遠からず崩壊するだろう。
いま、不動産を購入することはけっしてお薦めできない。

顧客情報流出と景気

2005年11月21日 22時00分47秒 | ■時事・評論
ワコール、ECサイトの顧客情報4,757名分が流出~カード情報も含まれる
 ワコールは19日、同社が運営するECサイトの顧客情報4,757名分が流出したことを明らかにした。うち1,899名分はクレジットカード情報が含まれていた。18日までにクレジットカードの不正使用が10件報告されているが、金銭的な被害は発生していないという。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2005/11/21/9926.html

カード社会の今日、こうした事件が頻発している。
普段、聞き流してしまいがちなニュースだが、実は、今回クレジットカードを不正使用された10件の中に、僕の知り合いが含まれていた。

ワコールのニュースが流れる二日前、知人のクレジットカードが使用不能になった。カード会社に問い合わせると、同一場所で一日に数十回もカードが使用されたため利用を停止した、ということだった。

カードは本人が持っているので、カード情報が流出したことは間違いない。いったいどこから漏れたのか。スパイウェアでパソコンに不正侵入されたのか。さっぱりわからない。数十回も使用されたということは、被害金額はいったいいくらになるのか。まったく青天の霹靂である。本人にとっては、こんなに不安なことはない。こちらも気が気ではなかった。

そして、19日にワコールの顧客情報流出のニュースが流れた。ワコールは、地元京都の優良企業なので、ちょっと驚きだった。しかし、そのときは、まさかそのワコールの流出事件が、知人の被害と関係があるなどとは夢にも思わなかった。ニュースで見たワコールの事件だったと知って、二重に驚きだった。

顧客情報流出による不正使用なので、本人が損害を被ることはなかった。流出元が判明したことで、本人も回りの我々も一応一安心した。しかし、流出した個人情報は元にはもどらない。その精神的苦痛と不安は他人には推し量れない。カード社会の中で、顧客情報を管理する企業の責任は非常に重いと感じる。

こうした不正アクセスによる顧客情報の流出は防ぐことができないのだろうか。セキュリティというのは、そんなに簡単に破られるものなのだろうか。そんなに脆いものだとしたら、もっと事件が頻発してもおかしくはない。

こうした方面には門外漢なのだが、これを機に少し調べてみたい気もする。セキュリティというのは、破られてしまうものなのか、それとも、破られる側に何らかの落ち度があるのか。いまのところ、僕には何とも言えないのだが、ワコールについて、こんな記事を見つけた。

ワコール、個人情報保護ガイドラインに違反
下着メーカーのワコールが、1986年から2004年初期の間にわたり、同社の商品を贈り物として受け取った受取人の個人情報を、カタログ送付の目的で、依頼主や本人に無断で個人情報データベースに登録していたことが明らかとなった。ワコールの行為は、同社が加盟している日本通信販売協会の個人情報保護ガイドライン(1998年制定)に違反する。
http://www.privacyexchange.org/japan/japanese/nf0407.html#pds1

ワコールは、顧客情報管理という点で”前科”があったと言えなくもない。こうしたワコールの認識不足の体質が今回の不正アクセスを生む、情報管理やセキュリティ対策の甘さにつながったのかもしれない。

カード社会というのは、情報を管理する側と顧客との信頼関係の上に成り立っている。信頼というのは非常に脆いものだ。こうした事件が頻発すれば、全体の信用が失われることにもなりかねない。消費者に不安が広がれば、経済全体に影響がおよぶことにもなる。情報を管理する企業に、そこまでの認識があるだろうか。

僕は、かねてから書籍販売のアマゾンで本を購入したいと思っているのだが、いまだに決意できない。パソコンの画面にパスワードを打ち込む勇気がないのだ。結局、書店に足を運んで、まとめ買いをしている。

すぐれた商品を作ることも大切だが、消費者に安心を提供できなければ、これからはモノは売れないのではないだろうか。そんなことを考えさせられた事件である。

類型化される日本人

2005年11月10日 22時16分56秒 | ■時事・評論
僕は文系出身で、ほとんど理系的素養がない。本棚には生物学の本が少しはあるが。そんな僕ではあるが、ちょっと待ってくれと言いたいことがある。血液型による性格分類だ。いくらなんでも、血液型で人の性格が分類できるわけがないだろう。

これについては、実際に調べたことがある。教育実習で講義するためだ。社会に広範に流布している概念でも、科学的根拠のないことはいくらでもある、安易に信用してはいけない、ということを生徒に示すためにとりあげた。

しかし、あれからいったいどれくらいの年月が経っただろうか。いまだに、血液型性格分類は不動の地位を日本人の心の中に占めている。まったく不気味ですらある。もちろん、現代日本でも、さまざまな迷信はある。迷信が社会においてことさら害があるとは思わないし、それらを一掃することに、意味があるとも思わない。

しかし、人間の性格ほど複雑で不可解なものはない。精神科医や心理学者でさえ、人のこころなど読めない。現代医学も、いまだ人のこころの深奥までさぐってはいない。人のこころや性格を明らかにしようというのは、宇宙の成り立ちを解明するのと同じくらい、途方もない試みだ。

その未知なる人間のこころをたった4つの血液型で分類するなどというのは、当然科学ではない。単なる遊びだ。しかし、遊びというには、すでに度を越しているように思う。現代日本人は、現実を歪めて、無理やり簡素化・類型化しなければ、恐くて人間関係を築けないのだろうか。

確かに、組織や企業内では、あまりにも対人関係が複雑であると、組織活動にも影響がでる。組織は、その構成員をできるだけ類型化しようとしてきた。”出る杭は打たれる”という言葉が象徴的だ。就職活動は、個性を消したドブネズミ色のスーツと相場が決まっている。組織は、個性を嫌う。もし、人間の性格が4種類しかなければ、組織にとって非常に都合がよろしい。

こういう研究報告がある。
「血液型性格分類が流布されていることで、各人の行動様式に告げられた性格が織り込まれてしまっている影響が指摘されている」
(血液型ステレオタイプによる自己成就現象)

要するに社会に広範に流布されることにより、自己暗示がおこる可能性を示唆している。「血液型による類型化された性格」に、本当の性格が近づいていくということだ。実際ににそうした影響があるかないかは別として、社会にとってはそうあってほしい現象だろう。

日本社会は個性の発揮を忌み嫌う。この現代に、まったく非科学的な血液型性格分類なるものが一定の地位を保ち続けているのは、なるべく個性のない人間を量産したいという日本社会の願いのように思われる。

第3次小泉改造内閣について

2005年11月02日 19時58分32秒 | ■時事・評論
第3次小泉改造内閣が発足したようだが、顔ぶれについては特に興味はない。
小泉首相は、
「しがらみ(派閥)がないから選びやすかった」
「改革に励んで欲しい」
とコメントしている。

自分の思い通りに「改革」に励んでくれる人物を選んだということだろう。つまり、ここでも大臣に「改革競争」をさせて楽しむというようにも聞こえる。これから大臣諸氏は、何でもかんでも「改革」と叫び、デタラメなことをしだすのではないか。とにかく小泉首相を喜ばせれば地位は安定する。それに失敗すれば切り捨てられる。独裁者に対するゴマスリ・ニセ改革合戦が始まるのだろう。もはや、小泉首相に諫言する者などどこにも存在しない。

これまでの「改革」を見れば明らかだが、小泉改革とは、旧利権構造の温存・強化にすぎない。本当の改革など何一つ行われていない。本来、とっくに消えてなくならなければならない旧利権構造や企業群はいまでも存在し続けている。郵便貯金は「民営化」と言いながら、りそな銀行には2兆円も投入して「国有化」している。まったく矛盾している。

腐敗し硬直化した官僚機構にはまったく手が付けられていない。「民営化」によって、天下り先は減るどころかさらに増えている。ゾンビ企業もこのまま永遠に生き、国民の生活を脅かし続ける。憲法が「改正」されれば、自衛隊は米軍の傭兵と化すだろう。

小泉首相の「構造改革」はいっさい「構造」には手をつけていない。それは、腐敗した旧利権構造を温存したいからにほかならない。こうした構造が日本経済をガタガタしたのに、本質的な問題には手をつけず、できるだけ先送りにして誤魔化そうというのが、小泉改革の実体だ。

そして、腐った構造を温存するためにかかるコストは、すべて「増税」で国民に押し付けてしまう、というのが小泉流だ。「障害者自立支援法」なども形を変えた「増税」だ。大臣諸氏は、これからその「改革競争」を行うことになる。小泉政権のウソやデタラメ、ゴマカシがさらに加速していく。

ベンジャミン・フルフォード氏は、「本当に国を滅ぼすのは、経済や政治ではない。為政者たちのウソやゴマカシである」と述べている。

「共産党独裁だったソ連も、為政者たちはウソやゴマカシで自国民と世界を騙し続けた。その結果、滅んだのである。太平洋戦争中の日本も、負けている事実を国民にひた隠しにし、『勝った、勝った』と言いながら、やがては大敗した」
(『ヤクザ・リセッション』光文社)


小泉首相も、「改革、改革」と叫びながら、いっさい改革などしていない。旧利権構造をさらに温存強化し、そのツケをすべて国民にまわしている。まさに戦中の日本と変わりない。それが、われわれの目の前で、いままさに現在進行中なのだ。小泉改革の、行き着く先も、当然明白だ。

第3次小泉改造内閣について、コメントを求められた亀井静香氏は「日本は滅びるよ・・・こんなことは言いたくないけど・・・」と言葉少なかった。亀井氏も、はっきり言って腐敗した政治家の一人だ。過去幾度となく収賄の噂がたっている。それをうまく乗り切ってきた、裏社会に通じた大物だ。しかし僕には、政争に敗れた将の単なる負け惜しみには聞こえなかった。とても、リアリティをもって響いた。

フルフォード氏の言葉をもう少し続けよう。

「民主主義というシステムは、人類の歴史上もっとも腐敗から遠いシステムのはずだ。歴史を見れば明らかだと思うが、腐敗がある国ほど、経済はうまくいかず、国民は貧しくなる。アジア、アフリカの多くの国が、民主主義政権を樹立し、資本主義経済を導入したにもかかわらずうまくいかなかったのは、もともとの支配階級の腐敗を断ち切れなかったからだ。共産主義国家でもこれは同じだ」

日本人なら誰でも、日本に潜む腐敗の構造をなんとなくでも理解しているはずだ。そしてそれを「仕方のない」こととして受け入れてしまっているのではないだろうか。いくら小泉改革にNOと言っても、この構造を「仕方ない」で受け入れてしまっては、日本は本当に破滅するしかない。倒すべきは、小泉改革によって温存されている腐敗しきった利権構造だ。

信頼に値する政党なし

2005年10月31日 20時25分48秒 | ■時事・評論
この間の選挙とその後の民主党の党首選などを通じて、民主党という政党の姿がはっきりした。結局、自民党の代わりに政権を取って、自民党と変わらない従米路線を歩み、米国政府の寵愛を受けたいというだけだ。民主党は、自民党の党外派閥といっていいだろう。あるいは、外様自民とでもいうべきか。

民主党は一日もはやく自民党に全面的に降伏し、自民党に吸収されたほうが国民の為にもわかりやすい。
共産党や社民党に厳しく迫りたい。いつまで勘違いをしているのか。何度選挙を繰り返しても大衆の支持を広げられないあなたたちこそ、自民党を助けているのだ。国民の為を思うなら潔く消滅してしまえ。心配はいらない。その後に必ず国民の幅広い支持を得る真の野党が生まれるはずだ。その時こそこの国の政治が活性化される時だ。政治的盛り上がりがこの国に生まれる時だ。
10月24日天木直人のHP「参院神奈川補選に見るこの国の政治の惨状」より


かつての野党第一党社会党も、蓋を開けてみれば、ニセ野党だった。日本に議会制民主主義があるかのように装うための、ダミー政党だったと言える。それが国民にバレたために、分解整理された。民主党と名前を変えてからは、自民党に代わって保守党として政権を取ることしか考えていない。旧社会党の本質が変化したのではなく、もともと自民党の衛星政党だったのだ。結局のところ、日本に本当の野党はない。すべて、自民党の衛星政党にすぎないと言える。自民党がなければ、宇宙のかなたに飛んでしまうのだ。

天木氏の言うように、共産党や社民党の存在は自民党を助けていると言える。冷戦が終了し、世界のほとんどの共産国が消滅した今、いったいいつまで「共産主義」の看板をかかげているのだろうか。それでは、国民の支持を得られるはずがない。翻って言えば、国民の支持を得なくてもいいということだ。ヘタに勢力を拡大すれば、かえってバッシングされ共産党は消滅する。共産党は単に日本の政界で生き残ることだけを目的として「共産党」を続けているのだろう。共産党は勢力を拡大できないのではなく、その気がないのだ。

共産党や社民党も、まったく国民不在の政党だが、自民党には票を入れたくない有権者の票で生き残っているわけだ。両党はそれを良く理解している。ただし両党が生き残れるのは、野党としての本来の機能を”果たさない”ことが絶対条件だ。国会での追求が常に中途半端で甘いのはこのためだ。確かにそんな政党は消えてなくなったほうが国民のためだ。

野党議員としての役目をきちんと果たすとどうなるかは、辻元清美議員(社民党)の例が如実に物語っている。政界から葬り去られるのだ。もちろん、秘書給与詐取という行為自体は責められなければならない。しかし国会議員でホコリのでない者はまずいないだろう。必要があれば元総理でも橋本龍太郎氏のように葬り去られる。こうした意味でも、全議員は完全に飼いならされている。なぜ辻本議員が”ルール”を逸脱したかは本人に訊くしかない。

結局のところ、強い与党の存在が、やる気のない野党の生存を約束している。自民党が弱体化し、連立政権を取らざるを得なくなったとき社会党は消滅した。その轍を踏まえて、民主党(新社会党)は保守党に変身したわけだ。また、一定の票田を自在にコントロールできる公明党は自民党と一体化した。他の政党は、いままでどおり、やる気のない野党でいることによって生存を約束される。すべての政党は、自民党の引力のおかげでくるくる回って生き延びているのだ。日本の議会制民主主義というのは形だけの幻想にすぎない。

もちろん、議員個々人には志も高く、信念を持った方々がいることは十分承知している。しかし、こうした政治のメカニズムの中で、個人の志は掻き消され霧消していく。

日本に信頼にたる政治政党などない、というのが結論だ。
次の選挙ではどうするべきか、ほとほと迷っている。
それまでに信頼に足る政党が現れる可能性は非常に低い。
共産党が一度大勝して従米保守党に変身してみるとか、エジプトのように投票率が20%に落ちるとか、なにか劇的な変化があれば別だが、どちらも日本ではあり得ないだろう。

劇的なものがない以上、諦めずコツコツ歩むしかない。

空前のゴマスリ政治

2005年10月29日 21時46分33秒 | ■時事・評論
28日、自民党党紀委員会は反対派50人の処分を決定した。
除名処分の10名をはじめ、離党勧告処分や戒告処分、党員資格停止などさまざまだ。

元造反議員のほとんどは、先の国会で「郵政民営化」法案に賛成票を投じた。自己保身のために有権者の意思を裏切ったと言っていいだろう。”民意”などというのは言い訳に過ぎない。先の選挙は「郵政民営化」の是非を問う選挙だったはずだ。造反議員に票を投じた有権者は、当然、「郵政民営化」法案に反対してくれる議員として票を投じた。にもかかわれず、有権者に断りもなく、一転して賛成に転向するというのは有権者への裏切りと言ってさしつかえない。

議席数で小泉自民が圧勝したからといって、それに従うのが”民意”の反映ということにはならない。何をもって”民意”とするかという定義もない。そもそも、得票数を見れば、ほぼ互角だったのだ。”民意”は「郵政民営化」、賛成、反対真っ二つに分かれたのだ。それを、勝手に”民意”は「郵政民営化」賛成と解釈することはできないはずだ。何をどう取り繕っても、有権者への裏切り行為を正当化することはできない。

離党届を出した議員諸氏は、ことごとく将来自民党への「復党」を望んでいる。自民党への「復党」を望んでいる議員が、今後、小泉首相の政策に反対するなどもはやありえない。離党届とは、小泉首相への忠誠心の踏み絵と言っていい。おそらく、これから元造反議員は、猛烈な小泉賛美と忠誠合戦を繰り広げるだろう。この合戦で高得点をあげたものが復党が叶うことになる。

離党した元造反議員と小泉チルドレンとの間でも、忠誠合戦となるだろう。なぜなら、彼らは、次の選挙でもライバル同士になるのだから。より忠君を示し、気に入られた者が、次の選挙で優遇される。そのとき小泉氏が首相でなかったとしても、影響力は保持しているだろう。特に、背水の陣の離党議員は必死だ。小泉チルドレンは暢気に構えていると足をすくわれることになるだろう。ただ、有権者にとっては、どちらもまったく魅力のない存在だが。

小泉首相は単なる礼賛や忠誠だけを望んでいるわけではないだろう。そういう下僕的行為は誰にでもできるし、明確な差も生まれない。絶対君主への忠誠とは、実体を伴わなければ意味がない。つまり、君主の権力をより強化するためのアイデアや具体的行動だ。それを提言し、実行できる者がポイントを稼ぐことになる。

この、離党議員と小泉チルドレンの忠誠合戦に、ポスト小泉候補の4氏が別の忠誠合戦を繰り広げる。
立花隆氏がこんな風に書いている。

(後継者を一人に絞らないのは)はっきり1人にしぼったりしたら、そのとたんに、政界の政治力学は、早々とその人を中心に動くようになってしまって、小泉首相がレイムダック状態におちいることが必定だからだ。

それよりも、政権中枢に総裁候補を置いておいて、忠誠を競わせるようにすれば、自分の政権が安定すること請け合いである。

過去の歴史から拾えば、佐藤栄作長期政権の末期に、福田赳夫と田中角栄を両翼において、次期政権禅譲のにおいをプンプンさせることで、どちらにも忠誠心を最大限に発揮させ、自分の政権を最後まで安定に保ったのが見事な例となる。次の長期政権となった中曽根康弘もまた同じ戦略を使った。竹下登と安倍晋太郎の2人の総裁候補に次期政権をちらつかせて、忠誠心を競わせ、自分の政権を安定に保った。

(立花隆のメディアソシオ ポリティックスより抜粋)

小泉首相は、背水の陣の元造反議員とタナボタの小泉チルドレンを競わせる一方、後継候補4人にも忠誠を競わせる。小泉首相は、圧倒的多数を獲得したあとは、この多数の忠誠の質を高めたいのだろう。それによって、小泉独裁が今後ますます強化されることは間違いない。日本の政治は、かつてないほどの、国民不在の無思慮なゴマスリ政治になってしまうのかもしれない。

小泉首相は来年9月の任期で辞めると匂わせているが、ゴマスリの極みと言えば、それをさせないことである。後継候補、離党議員、小泉チルドレンあげての続投要請になるにだろう。要するに、自ら望んで続投するのではなく、乞われるから仕方なく続投するのだという状況になる。

圧倒的な権力を現に持っている者が自分からその権力を手放すようなことをするかといえば、しないというのが、あらゆる権力の歴史が教えるところである。
(立花隆のメディアソシオ ポリティックス)

絶対的存在として、できるだけ長期間君臨したいというのが権力者の心理だ。来年の任期で辞めると匂わしているのは、まわりから続投を言わせたいからだ。ましてや、小泉首相は歴代首相の中で最も大きな権力を握った男なのだ。自ら権力を手放すなどありえない。ただ、状況が不利になれば、いつでも言葉どおり辞めることもできる。

当分は、うんざりするような出来事の連続になるのだろう。