倉野立人のブログです。

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〈あの頃の記憶 を〉

2012-08-14 | インポート
8/13 Mon. [ クラちゃんの起床時刻 4:45 AM ]
迎え盆のこの日、夕暮れと共に、各家庭の玄関先には、先祖を迎える樺(かんば)が焚(た)かれ、家族で菩提寺に墓参する風景が見られました。
今年になって親族が逝去され、新盆(あらぼん)を迎えた御家庭を伺うと、遺影を囲んでみんなで故人を偲んでおられます。
私も何軒かにお参りに伺い、つかの間 親族のみなさんと故人の思い出を交わしました。
ご生前の頃、消防団の幹部としてご指導いただいた方、ゲートボールの名人として後進の指導にご尽力をいただいた方・・・遺影を前に〝あの頃の記憶〟が蘇(よみがえ)ります。
図らずも現世から旅立った故人ですが、時間を経てもなお親族の心の内に存在し、この時季〝心のふるさと〟に還(かえ)り、つかの間 帰省 を果たした感でした。
〝あの頃の記憶〟といえば、私たち長野市民にとって、忘れてはならない件があります。
さきの大戦での「長野空襲」です。
記録によると、戦況が押し迫った昭和20年8月13日、午前6時頃から夕方に亘り、米軍戦闘機による空襲や機銃掃射があり、長野駅舎や機関区をはじめ、篠ノ井駅や川田駅が攻撃を受け、50名近い犠牲者が出た、とのことです。
戦後65年が経過し、あらゆる戦禍の歴史が風化の一途を辿っています。
その後復興を果たしたわが国の地域社会ですが、ややもすると、過去のつらい歴史を忘れ〝平和ボケ〟とも言えるような、堕(だ)した娑婆(しゃば)に安閑(あんかん)と身を置き、日々を過ごしてしまっているようです。
ヒロシマ・ナガサキに象徴される戦争被害ですが、私たちの暮らす地域の膝元(ひざもと)でも戦争被害があったことを改めて認識し、再びこのようなことが起こることの無いよう、また、戦禍の犠牲のうえに今の平和社会があることを再認識したうえで、今を生きる私たちは、将来に向けてシッカリとした地域社会づくりに励んでゆかねば、との思いを新たにするところです。

     Shinetsu_04_0011

(爆撃を受ける旧国鉄長野機関区・米国立公文書館所蔵)