倉野立人のブログです。

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〈当事者意識を〉

2012-08-10 | インポート
8/9 Thu. [ クラちゃんの起床時刻 3:25 AM ]
夕方から夜にかけて、市役所からファックスが 2 通、異なる所管課から届いていました。
オ役所からのファックスは、会議の通知や報告がほとんどです。
で、会議の通知は日時の云々ですが、こと〝報告〟については、その内容がさまざまあり、何というか、ときの課題が象徴されることとなります。
直近では、去る7月20日に市内を襲った〝ゲリラ豪雨〟の被害状況や、避難勧告の発令から解除に至るまでの経過が伝えられました。
この報告によって、事案が発生した後の市の対応が適時に伝えられました
では、この日の 2 通のファックスはどうだったのか。
残念ながら、報告の中でもイチバン残念な報告、市職員などの行政関係者の〝不始末の報告〟だったのでした。
(既に新聞報道などで公表されていますが) 1 通は、国の災害支援の施策に基づき、ハローワークを通じて採用した臨時職員が、大麻所持容疑で逮捕されたというもの、もう 1 通は、市内の小学校教諭が児童にイタズラして懲戒免職になったというもの、についての報告でした。
社会が多様化し、ある意味で〝見る目〟が厳しくなった昨今、税金で贖(あがな)われる、公僕(こうぼく)たる行政職員の不祥事については、ことあるごとに断罪を求める声が寄せられます。
ところが実際には、その〝声〟が聞こえていないのか、といわんばかりに不祥事は頻発しており、私の立場でも慙愧(ざんき)に堪えないところです。
そのうえで、これらのペーパー〝異なる所管課〟から送られてきた報告を見て、私は〝共通の問題点〟を感じ取ったのでした。
マ、起こしてしまった〝不始末〟については、時計の針を戻すこともできず、事実は事実として重く受け止めなければなりません。
ところが、です。本来、職員の不祥事を受けての報告からは、身内の不始末に対しての心からなる反省…何というか〝滲(にじ)み出る思い〟のようなものが伝わるべきものですが、とりわけ今回の2件については、その 反省 がイマイチ感じられず、何ともいえない違和感を感じたところです。
その 違和感 、異なる所管課から送られた別件の報告からの共通の違和感は何なのか考えてみると、そこには 「 当事者意識の希薄さ 」 があると思ったところです。
片やの臨時職員は、市が直接雇用したものではなく、国の施策に基づいてハローワークの紹介により雇用したものです。
また、片やの教諭は、その身分は県の教育委員会にあり、すなわち現場は 市 だが、教諭の管理責任は 県 にあるのです。
私はそこに、直接責任が無いとの解釈 → 当事者意識の希薄さ を見る思いがしたところです。
「 責任はどこにあるのか 」 この世の中、あらゆる事案の〝ケリ〟は、当事者はもとより、管理監督に関わる誰が 首を洗うか でつけられるものですが、今回のケースは、市の管理職がその咎(とが)を受けることはありません。
しかし(述べたように)公僕に対する厳しい目をもってすれば、市には実質的な管理監督責任、もっといえば道義的な責任が重くあると申せ、そこに思いが至らない=当事者意識が薄い とすれば、市の(意識の)体勢は不十分、と言わざるを得ないでしょう。
ヒトの為すことに過(あやま)ちはつきものです。
問題はその後の対応、その事実をいかに重く受け止め、次に活かすか、はたまた活かせないか、とで、後の評価が分かれる、ということでしょう。
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