静岡県裾野市の認可保育園の3名の保育士が、複数の園児に対し さまざまな虐待行為を行なっていた事件について、裾野警察署は4日 当該の3名を傷害の疑いで逮捕(検挙)したことが報じられました。
裾野署によると、11/29の報道で事件を認知し 即日捜査を開始。その後の関係者からの証言などから僅(わず)か5日でのスピード逮捕となりました。
先ずは、この 警察の初動の早さを評価すると共に、これまで曖昧(あいまい)であった これまでの蛮行の「経緯」と「動機」について、司法の手で厳しく調べが行なわれることを期待したいところです。
これらの事案に際し、被疑者は往々にして「しつけのつもりだった」と申し開きをするところですが、実際には それぞれの行為は社会通念上の常識を大きく逸脱しており、(先日も触れましたが)かかる異常な行為が「施設内の常識」としてまかり通っていたこと、そして それらがいかに非道(ひど)いものであったかを 捜査を通じて炙(あぶ)り出してほしいと願う者の一人です。
このこと(逮捕)によって、おそらく行政の内部調査のようなものでは緩(ゆる)くなりがちな(調査の)内容が、事件として扱われるようになったことから一気に具体的かつ厳正なものへと転化します。
そういう点では、(繰り返せば)警察が行政任せにせず 現場に踏み込んでくれたことは英断であり(それも報道で事実を知ってから警察判断での行動喚起)、異例ともいえる今回の摘発は「虐待かしつけか」との曖昧な部分に(これは虐待=犯罪だ)と(司直が)シッカリ線を引いたという面からも、イイ意味での事例となったと(重ねて)評価するところです。
また、重ねての報道で 裾野市(行政サイド)が、当該保育園の園長が「この問題を口外しないよう求める誓約書」を全職員に書かせたとして 犯人隠避の疑いで(園長を)刑事告発をする方針を示し、さらに 施設運営の管理責任があるとして、所管の管理者(裾野市職員)はもとより、裾野市長についても(自ら)処罰を検討していることが報じられ、こちらの対応についても評価されるところです。
ややもすると 処罰の対象は犯罪行為を行なった当事者に止(とど)まる…いわば〝トカゲの尻尾切り〟に終始するところですが、裾野市(市長)においては これを連帯責任と捉え、厳正に対処することを表明していることは、いわば「常識」として 他の規範となるべきところでありましょう。
これまでの報道によると、当該の園長は〝(前掲の)口外しない誓約書〟の他にも、内部告発した職員に対し 土下座をしてこれ以上の口外をしないよう乞うたとのこと…これは全く〝逆を向いた行為〟と言わざるを得ません。
本来 管理職であれば、万一 職員に不適切な行為があれば、それを指摘し 改めさせるのが職責というものでありましょう。
それが、園長自らが〝もみ消し〟に走り、あげく土下座や誓約書まで書かせて事実を隠蔽しようとしていたとは…。
もしかしたら、一番の悪は この園長(の行為)なのかもしれません。
そのこと(隠蔽工作)によって、被告となる3名は「守られている」と勘違いし、タカをくくって過ごしていたのかもしれません。
さらに言えば 事件発覚後に行なわれた保護者説明会では、当該の園長は「申し訳ありません」とか「全て私の責任です」のオウム返しで「どのような経過か」とか「ではどうする」などの具体的説明が無いままに終始し、さらには 本来まっ先に謝罪ざせるべき当事者を同席させないなどの〝中途半端説明会〟となったことが、かえって保護者の反発を招くことになったことが報じられており、ここにも何ともいえない隠蔽体質が現れることになっています。
これら全てに共通していえることは「向いている方が逆」ということではないか と。
保育所でありながら、保育をせずに(保育士の気の向くままに)あげく虐待に走る。
事実が露呈しても、真実を語ろうとせずに隠そうとする。
管理する立場でありながら、当該職員に改めさせること無く、他の職員の口を塞(ふさ)ごうとする。
利用者(保護者)に対し、事実(経過)や具体的対応を述べること無く「全て私の責任」で片付けようとする。
今回の事件は、素早い警察の介入により 一気に場面は司直の手に委ねられることになりました。
今回の事件→適切対応を好事例とし、ややもすると曖昧のままに終始する福祉行政に厳しいメスが入ることを期待し、ここ(裾野市)に止(とど)まらず 各地で適切対応の輪が広がることを期待して止まないところであります。
また、私の立場においても「福祉」というもの(事業の実態)を 改めて見つめ直す機会としたところでありました。