倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

長野市内にある遊園地が廃止に ~表面的な事象だけで片付けられない その深層にある関係者の葛藤~

2022-12-05 | 日記

サッカーW杯カタール大会は 決勝トーナメントが始まり、みごと16強に名乗りを上げた わがジャパンイレブンは、前回準Vのクロアチアと対戦し 全く互角の戦いを演じ、延長を経ても1-1の同点で終わり 最後はPK戦にまでもつれ込むこととなりました。

その結果、惜しくもジャパンイレブンは苦杯を飲むこととなり〝違う景色〟と言われたベスト8への進出は叶いませんでした。

しかしながら この試合でもジャパンイレブンは実力をいかんなく発揮、かつて松本山雅に在籍した前田選手が先取点を蹴り込むなど大いに沸かせてくれたのでした。

四度(よたび)の決勝トーナメント1回戦敗退は悔しいところではありますが〝人は敗(ま)けからこそ学ぶものあり〟の言葉のとおり、この経験を次への糧(かて)にしてほしいと願うばかりです。

取りも敢えず、熱い戦いをありがとう!と感謝とねぎらいの言葉を チーム・スタッフ全員に贈るところです。

 

 

 

 

 

 

◆「子どもの声がうるさいから公園が廃止…それでいいの?揺れる長野市の現地で徹底取材」

  信濃毎日新聞 記事〈声のチカラ〉に大きな反響が

  →〝徹底取材〟では掘り下げ切れなかった 永年に亘る関係者の葛藤

 

2日の信濃毎日新聞の記事〈声のチカラ〉欄に「子どもの声がうるさいから公園が廃止…それでいいの?揺れる長野市の現地で徹底取材」との特集記事が掲載されました。

 

 

 

この記事の概略は、かつて住民要望によって造成された遊園地が その後に近隣住民からの苦情によって廃止されることになったことに疑問を抱く市民からの投書を取り上げたものです。

記事は「子どもの声がうるさいからって公園を廃止してしまって良いのでしょうか? との市民からの疑問の声が寄せられた。都会では子どもの声を嫌って保育園などの用地が確保できない事例があると聞く。いったい何があったのか?現地を訪ね、関係者に話を聞いた」との枕文で始まり、公園が廃止された経過などについてレポートが記されていました。

※なお、今回の記事タイトルには「公園」とありますが、実際には「遊園地」です。

 

今回 問題となった遊園地は、長野市の青木島地区の住宅街の一角にあります。

広さは 150坪といったところでしょうか、青木島小学校・青木島保育園・青木島児童センターに隣接しています。

 

(マピオン地図)

(青木島児童センターに隣接)

 

 

記事の内容は概ね下記のとおりです。

〝公園〟とされているのは、長野市青木島町大塚にある「青木島遊園地」です。小学校の体育館一つ半ぐらいの広さで閑静な住宅街にある。

フェンスの張り紙には「青木島遊園地は、令和5年3月31日をもって廃止いたします」と市役所の張り紙があり「原状復旧工事のため今月ごろから閉鎖する」とし「長い間ご利用いただき、ありがとうございました」と結んでいた。

管理する市公園緑地課によると「多数の子どもが訪れ かなりの音が出ていたことが廃止の一因であることは事実」と説明。隣には児童センターや保育園があり 子どもたちの格好の遊び場でもあり、市(公園緑地課長)は「断腸の思い」と話した。

同課によると、青木島遊園地は2004年4月に地元から要望を受けて開設され 放課後には児童センターで過ごす大勢の子どもたちが遊びに来たとのこと。夕方の遅い時間帯には保護者たちのお迎えの車が相次いで出入りした。

が、まもなく一部の近隣住民から「うるさい」「子どもたちが走り回ってほこりが舞い、車が汚れる」などと苦情が出るようになったことから、市は数年をかけ 苦情を寄せた住民の家に子どもがなるべく近づかないよう園内に最大8メートル幅の帯状にツツジを植えたり、出入り口の位置も変更し、(児童センターでは)子どもを迎えにきた保護者にエンジンを止めるよう呼びかけたが、苦情は収まらなかった。

遊園地廃止は昨年3月、苦情を寄せる住民が児童センターを直接訪れ 遊園地で子どもが静かに遊ぶ方法を考えるよう求めたことが直接の決め手になったとのこと。

これに対し児童センターは「子どもが静かに遊ぶ方法などない。だが、これ以上 迷惑はかけられない」として、子どもたちに遊園地を使わせない方針を決めた。

児童センターは定員100人に対し利用登録は144人。夏休みや冬休みは終日、施設内で過ごさなければならなくなる子どもも少なくないことから、職員は「何とか外で遊ばせてあげたいのだが…」と言う。

遊園地の草刈りなどは(愛護会として)児童センターの職員や保護者が担っていたが、遊園地を使えないのに維持管理だけを担えないことから作業を止(や)めた。市は地元区長会などと協議し 新たな担い手を探したが見つからなかった。やがて公園の利用者もまばらになり 地元区長会は今年1月「廃止もやむを得ない」と、市に伝えた。

市(公園緑地課)は「開設から18年もの間、一部住民に負担を強いてきたことを重く受け止めた」と話し、地元区長会の会長も「廃止はやむを得ないと考える」と話す。

一方、昨年3月 近くに自宅を新築した3人の子を持つ女性は「遊園地の存在が(新築の)決め手の一つだったのに(公園廃止は)残念でならない」と明かし、また、遊園地の隣で暮らす男性(85才)も「子ども好きなので声は気にならない。子どもたちのためにも存続してほしい」とし、近くのパート女性(66才)は「子どもの声が気になることもある」としつつ、県外で暮らす孫が来た際に利用することもあり「残してほしい気持ちは強い」と話した。  とされていました

 

 

今回の新聞記事をキッカケにしてか、ネットを中心にさまざまな(大きな)反響があり またメディアで活動するインフルエンサーも反応していることから、反響が反響を呼ぶことになっています。

 

 

 

その(反響の)大勢は「一部の〝クレーマー〟のために子どもの遊び場を無くすのはおかしい」とか「〝クレーマー(高齢者)〟の声を優先して 未来ある子どもの居場所を奪うのは間違っている」などとの反対意見で占められています。

その一方で「公園廃止の説明文を読んだら(メディアの)印象と違うんだが」とか「これ自分の家だったら耐えられるか自信ない…」また「〝クレーマーを追い出せ〟みたいなこと言ってる人は、落ち着いて思いとどまってほしい」などの声も寄せられています。

 

今回の事案の背景には、永年に亘る非常に難儀な課題が内在していると申せます。

この青木島遊園地(以下/遊園地)は、2004年に地元住民(区)の要望によって設置されました(前掲のとおり、この施設は「都市公園法」に基づく「公園」ではなく、地元要望で造られた(造ることのできる)「遊園地」です)。

設置当初は 周辺の居住環境も閑静なものであったでしょうが、やがて当該エリアに いわゆる現役世代(共働き世代)の居住人口が急増したことに伴い、児童数(≒児童センター利用者数)も増加、遊園地に隣接する児童センターも 定員(100名)を大きく越える利用者数(140名越え)で賑わうようになりました。

そのこと(子どもの増加)自体は喜ばしいところでありましたが、それは同時に 遊園地の利用者数の激増にもつながり、いわば想定を越える大勢の子どもが この遊園地で遊ぶこととなりました。

後の関係紙の掲載によると、この遊園地で遊ぶ児童数は(ピーク時で)約50名とのことですが、現場を見ると、ここで50名の子どもが遊ぶには 決して広いとはいえない面積とも受け止められます。

この限りあるスペースのなかで 世論を揺るがす案件が発生してしまったことは、まさに慚愧に堪えないと言わざるを得ないところであります。

 

 

 

今回の案件は いわば〝価値観の相違〟が、この 皆が不幸とも言える顛末を招いたと言えるのではないか、と。

そして その〝相違〟は、遊園地を使う側の関係者⇄苦情を寄せた住民のみならず これを論評する人たちの中にも生じていることが感じられます。

 

遊園地を造成したときには、(造成の)主体となった区も これほどまでに遊園地の利用者が増えて、結果 大きな音を発したり埃(ほこり)などの二次的被害が生じたりするようになるとは想像し得なかったのではないか。

そして、たとえ大きな音が生じても 子どもの出す音だから、誰もが許容(受容)してくれると思ったのではないでしょうか。

しかし現実には、それ(大きな音や埃など)は 件(くだん)の住民が受容し得るものではなかったようです。

 

そして このニュースに触れた人たちは、苦情を寄せた住民を「クレーマー」として断罪し、声を上げたこと(者)を〝悪〟との価値観に立って、事(こと)の良し悪しを判断することとなっています。

しかし、この住民にも ここに居住する権利があり、そのうえで 遊園地から発せられる大きな音などが日常生活を阻害するものであるならば、改善を申し入れることについても権利として認められるところでしょう。

このあたりの いわば不毛の論争ともなっている状況からも、如何(いかん)ともし難い〝価値観の相違〟を実感させられます。

(そもそも〝クレーマー〟とは、悪意ををもって相手を責め立てることを指(さ)しますが、今回のケースは いわば主張であり〝クレーマー行為〟とは主旨がやや違うのではないかとも思わされます)

 

この遊園地が設置されて18年。この間 市は(苦情に対し)でき得る限りの対応に努めてきました。

しかし、この住民の心に染(しみ)ついてしまったトラウマのような被害意識は 薄まることなく現在に至っているようです。

 

また、やや論点はズレますが、今の論争の大勢が「子どもが最優先。年寄りは黙っとけ」との いわばポピュリズム(大衆迎合)的な風潮にも懸念させられます。

未来を担う子どもの福祉を優先することは 私も同じく思うところですが、それを突き詰める余り 他を排除するようなことは、民主社会においてどうなのか。

例えば目の前に階段があったとき、健常者は登れても 障がい者は「アンタは障害があるから登れないね」と排除するような風潮は許されるものでは無い。

事(こと)ほど左様(さよう)に、大勢がこうだから少数意見は認めないという判断は、特に地方行政においては むしろ為(な)すべきではないことは、(地方行政の)責務ともいえるところではないか、とも。

 

 

・・・・・・。

今回の一連の顛末を経て、関係者の一人は「ある意味、皆が被害者。こんな事態は早く終わらせる必要がある」と述べていたとのこと…やるせない心中(しんちゅう)を吐露したものと受け止められるものでした。

 

いずれにしても、子どもたちに罪はありません。

このようになったことを受け、先ずは 児童センターを利用する放課後児童の(特に屋外での)居場所の確保に向け、所管を超えて取り組むことが求められます(現実的には 小学校の校庭の利用が想定されると思います)。

 

今回の事案は、市民の多様性や それぞれの価値観の機微(きび)について思い致されることとなりました。

また、市や地区の行なう事業等における対応の大切さと難しさ、時(とき)に応じて早期対応が求められることなど、私としても学ぶこと多い案件でありました。

せめても、早期のうちに 私たちのような立場の者が関(かか)わっていれば また違った展開があったかも…返すがえすも 忸怩たる思いがいたすところであります。

 


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保育園での虐待事件…その背景にあるもの

2022-12-05 | 日記

静岡県裾野市の認可保育園の3名の保育士が、複数の園児に対し さまざまな虐待行為を行なっていた事件について、裾野警察署は4日 当該の3名を傷害の疑いで逮捕(検挙)したことが報じられました。

 

 

 

 

裾野署によると、11/29の報道で事件を認知し 即日捜査を開始。その後の関係者からの証言などから僅(わず)か5日でのスピード逮捕となりました。

先ずは、この 警察の初動の早さを評価すると共に、これまで曖昧(あいまい)であった これまでの蛮行の「経緯」と「動機」について、司法の手で厳しく調べが行なわれることを期待したいところです。

これらの事案に際し、被疑者は往々にして「しつけのつもりだった」と申し開きをするところですが、実際には それぞれの行為は社会通念上の常識を大きく逸脱しており、(先日も触れましたが)かかる異常な行為が「施設内の常識」としてまかり通っていたこと、そして それらがいかに非道(ひど)いものであったかを 捜査を通じて炙(あぶ)り出してほしいと願う者の一人です。

このこと(逮捕)によって、おそらく行政の内部調査のようなものでは緩(ゆる)くなりがちな(調査の)内容が、事件として扱われるようになったことから一気に具体的かつ厳正なものへと転化します。

そういう点では、(繰り返せば)警察が行政任せにせず 現場に踏み込んでくれたことは英断であり(それも報道で事実を知ってから警察判断での行動喚起)、異例ともいえる今回の摘発は「虐待かしつけか」との曖昧な部分に(これは虐待=犯罪だ)と(司直が)シッカリ線を引いたという面からも、イイ意味での事例となったと(重ねて)評価するところです。

 

また、重ねての報道で 裾野市(行政サイド)が、当該保育園の園長が「この問題を口外しないよう求める誓約書」を全職員に書かせたとして 犯人隠避の疑いで(園長を)刑事告発をする方針を示し、さらに 施設運営の管理責任があるとして、所管の管理者(裾野市職員)はもとより、裾野市長についても(自ら)処罰を検討していることが報じられ、こちらの対応についても評価されるところです。

ややもすると 処罰の対象は犯罪行為を行なった当事者に止(とど)まる…いわば〝トカゲの尻尾切り〟に終始するところですが、裾野市(市長)においては これを連帯責任と捉え、厳正に対処することを表明していることは、いわば「常識」として 他の規範となるべきところでありましょう。

 

これまでの報道によると、当該の園長は〝(前掲の)口外しない誓約書〟の他にも、内部告発した職員に対し 土下座をしてこれ以上の口外をしないよう乞うたとのこと…これは全く〝逆を向いた行為〟と言わざるを得ません。

本来 管理職であれば、万一 職員に不適切な行為があれば、それを指摘し 改めさせるのが職責というものでありましょう。

それが、園長自らが〝もみ消し〟に走り、あげく土下座や誓約書まで書かせて事実を隠蔽しようとしていたとは…。

もしかしたら、一番の悪は この園長(の行為)なのかもしれません。

そのこと(隠蔽工作)によって、被告となる3名は「守られている」と勘違いし、タカをくくって過ごしていたのかもしれません。

 

さらに言えば 事件発覚後に行なわれた保護者説明会では、当該の園長は「申し訳ありません」とか「全て私の責任です」のオウム返しで「どのような経過か」とか「ではどうする」などの具体的説明が無いままに終始し、さらには 本来まっ先に謝罪ざせるべき当事者を同席させないなどの〝中途半端説明会〟となったことが、かえって保護者の反発を招くことになったことが報じられており、ここにも何ともいえない隠蔽体質が現れることになっています。

 

これら全てに共通していえることは「向いている方が逆」ということではないか と。

保育所でありながら、保育をせずに(保育士の気の向くままに)あげく虐待に走る。

事実が露呈しても、真実を語ろうとせずに隠そうとする。

管理する立場でありながら、当該職員に改めさせること無く、他の職員の口を塞(ふさ)ごうとする。

利用者(保護者)に対し、事実(経過)や具体的対応を述べること無く「全て私の責任」で片付けようとする。

 

今回の事件は、素早い警察の介入により 一気に場面は司直の手に委ねられることになりました。

今回の事件→適切対応を好事例とし、ややもすると曖昧のままに終始する福祉行政に厳しいメスが入ることを期待し、ここ(裾野市)に止(とど)まらず 各地で適切対応の輪が広がることを期待して止まないところであります。

また、私の立場においても「福祉」というもの(事業の実態)を 改めて見つめ直す機会としたところでありました。

 


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