倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

後世に伝える役割

2019-08-10 | 日記

8/9 Fri.

 

8月9日は、さきの第二次世界大戦において長崎市に原子爆弾が投下された「長崎原爆の日」です。

後の記録によると、長崎市は 天候などの諸条件により「第二目標」として標的にされ、投下された原爆により7万人を越える市民が爆禍に巻き込まれました。

なぜ広島が、なぜ長崎が、そしてなぜ日本が 原爆の標的にされなければならなかったのか・・・究極的には戦争そのものに突き進んだことが招いた この史実は、私たちの負の記憶として残るところです。

そのうえで かかる負の記憶は、時間経過と共に風化に任せるのではなく、戦争を知らない私たちの世代が 戦争を知る世代から受け継ぎ、二度とこのようなことが無いように、次なる 戦争を知らない世代に引き継いでゆく責務を再認識するところです。

 

今年の長崎平和式典の「平和宣言」序文で 長崎市長が、自らも被爆し 悲惨な被爆直後の様子や家族を失った悲しみを綴った市民の詩を朗読し、参列者の涙を誘いました。

この方(女性)は、それまで被爆のことを忘れようと口を閉ざしていましたが、被爆体験の投稿募集をきっかけに、胸にため込んでいた思いを吐露することとなり、結果、当事者にしか分からない被爆体験を内外に伝承する勇気ある行動になったそうです。

 

痛み、辛さ、悲しさは、その当事者にしか分からないものですが、せめて同じ国民として生きる私たちは、それら当事者の方々に(の)親身となって思いを共有し、共々に後世に伝える役割を果たしてゆくべきと強く思うところです。

 

原爆は、第二次世界大戦を終結させましたが、その轍(てつ)は、今後、万々が一大規模な戦争が起きたとすれば、その(終結の)最終手段として用いられる可能性が非常に高い「禁断の兵器」であります。

何としても そんなこと=戦争ならびに核兵器使用 が無いように、私たち一人ひとりが「平和への思い」を強く持ち、後世に伝えてゆくべきことは、論を待たないところでしょう。