倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

音楽家の坂本龍一さん逝去に思う(思わされる)

2023-04-05 | 日記

ここ数日、不測の事務作業でブログに手が回らない状況になってしまいました💦

 

で そんな中「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーとしても活躍した 音楽家の坂本龍一さんが亡くなっていたことが報じられ(享年71才)、悲しみを共有すると共に 彼の人生(人生観)を通じて 思わされることしきりでありました。

 

 


坂本龍一さんの死去を報じたNHKの報道の要旨は下記のとおりです。

坂本龍一さんは 幼少の頃からピアノと作曲を学び、東京芸術大学大学院を卒業後、1978年に ミュージシャンの細野晴臣さん・高橋幸宏さんと共に「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、当時の最新の電子楽器を使った斬新な音楽性で“テクノポップ”という新たなジャンルを築き上げました。

その後は 映画「戦場のメリークリスマス」に俳優として出演し、そこで坂本さんが手がけた映画のテーマ曲は、彼の代表曲の一つとなりました。

そして1988年には、映画「ラストエンペラー」の音楽でアカデミー賞作曲賞を受賞したほか、グラミー賞など数々の賞を受賞して国際的な評価を高められたことは周知のこととなっています。

 

そして…坂本龍一さんは 単なるミュージシャンの枠を超えて、社会活動にも注力されてきたことが その死後にクローズアップされています。

アメリカ・ニューヨークに拠点を置く中、2001年の同時多発テロを経験した坂本さんは「非戦」ということばを使い、平和へのメッセージを発信してきました。

俳優の吉永小百合さんと平和を願うチャリティコンサートを各地で開催したり、集団的自衛権の行使を可能にすることなどを盛り込んだ安全保障関連法案に反対したりといった活動に取り組んできました。

2015年、国会前で行われた反対集会に参加した際は「憲法の精神、9条の精神がここまで根付いていることを皆さんが示してくれ 勇気づけられています。民主主義を取り戻す、憲法の精神を取り戻す。ぼくも皆さんと一緒に行動してまいります。」と訴えておられました。

また、東日本大震災で発生した 福島第一原子力発電所の事故の後は、作家の大江健三郎さんらと原発を廃止するための法律の制定を目指すグループを設立したほか、他のミュージシャンとともに「脱原発」をテーマにした音楽フェスティバルも開いてきました。

その音楽フェスティバルを企画した思いについて、2012年の会見の際「なるべくたくさんの人に来ていただいて この問題にまず関心をもってもらいたいし、ひとりひとりがよく考えてもらいたいという思いです。」と話しておられました。

さらに、加速する気候変動への行動を起こすため 2007年には坂本さん自身が代表理事を務める一般社団法人「more trees(モア・トゥリーズ)」を設立、全国の自治体と協定を結んで 植林などの森林を保全する活動も展開してきました。

2009年に北海道の下川町を視察した際には「森を増やしてCOの排出を減らすというふうに、ベクトルを反対に変えなければ 人間が住めない星になってしまうかもしれませんので、これをやらないといけないと思います。下川町も日本という国自体も森林が結構多いんです。ただ、森林はほったらかしておくと、不健康になってしまうので、手をかけて健康な森にしてあげないといけない。」と話しておられました。

坂本さんについて「more trees」の事務局長さんは「これまでの活動で『森が崩壊したところでは文明が滅んでいった』と話されていました。地域で森林保全活動を始める際には必ず宿泊し、地域の人たちとひざをつきあわせて 気さくにお酒を共にしていました」と話していました。

 

また、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市や大船渡市の被災者のため、支援団体の代表を務めて仮設住宅を建設する資金の寄付を全国に募ったり、2019年に陸前高田市でコンサートを行なった際にも この仮設住宅に足を運んでいます。

また、東日本大震災で壊れてしまった楽器の修復をしたり、子どもたちに楽器を贈ったりする取り組みを進め、震災の2年後に宮城県松島町で開催された音楽祭をきっかけに坂本さんが呼びかけて、宮城・岩手・福島の3県の子どもたちや若者でつくる楽団「東北ユースオーケストラ」を結成しました。

坂本さんが亡くなる2日前の先月26日に東京で行なわれた演奏をオンラインで聴いた坂本さんは「素晴らしかった!!よかったです。みんなありがとうお疲れさまでした」などとメッセージを寄せていたとのことです。

坂本さんが亡くなったことについて「東北ユースオーケストラ」は、「皆様とともに、深く哀悼の意を捧げます。これまで導いてくださり、どうもありがとうございました。坂本監督無くしてあり得なかったオーケストラ。わたしたちの音楽は続きます」などとするコメントを発表しました。

 

本当に、限りある人生の中でさまざまな足跡(そくせき)を残し、多くの人々に惜しまれながらの旅立ちであったことが伝えられていました。

 

そんな坂本龍一さんは、2020年に癌(がん)が発見され、その後は病と戦うというよりも、伴走しながら人生を集大(しゅうたい)されていった様子が伝えられています。

音楽家としては シンプルに「音」に帰結、雨が降り出すと必ず窓を開けて 雨の音をじっくり静かに聞いていたり、竹林に行って その中を風が通っていく・竹が揺れる音なんかをじっと聞いたりしていたそうです。

その後は 体力の低下を実感する中、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動を続けるなど、最期まで音楽と共にある日々を送ってこられたそうです

 

 

そんな、音楽だけではなく 社会とも強いつながりを持った坂本龍一さんは、死の間際まで将来社会を憂い「活動」を行なっておられたことが改めて報じられています。

東京都が認可し 民間で行なわれる神宮外苑の再開発事業に対し、工事によって大量に伐採されることになるイチョウ並木を慮(おもんばか)り「目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではない」と、事業中断と見直しを求める書簡を 小池百合子・東京都知事や文科相らに送っていたとのこと。そのうえで「一人一人が住みたい場所のビジョンを持ち、共有されて都市を形づくる。その先に政治家を選ぶということがある。」とメッセージを寄せていたそうです。

 

 

 

この書簡は、首長(知事)が東京の都市計画についてどのようなビジョンを持つのか、都民に広く知られるべきではないか、と問いかける内容ともなっています。

 

 

 

で、この 坂本龍一さんの渾身の書簡に対し、小池都知事は「さまざまな思いをお伝えいただいた。」としたうえで「ぜひ事業者でもある明治神宮にも送られた方がいいのではないか。」と冷ややかに応じたことが報じられています。

これは、再開発の事業者(主体)は 明治神宮・三井不動産・伊藤忠商事・日本スポーツ振興センターなどの民間事業者が中心なので「私に言われても困る」といったところでしょうが、東京都だって再開発の認可を行なう立場であることから「私は部外者」というワケにはゆきません。

この“塩対応”には「当事者意識に欠けている」といった批判が寄せられ、そして 坂本さんが亡くなった今、ネット上では「あのときの冷淡な対応を忘れまい」と、知事発言が再び炎上しているのとのことでした。

 

 

坂本隆一さんは、私たちに多くのことを遺(のこ)し 旅立ってゆかれました。

テクノポップという新ジャンルの音楽。

それは非常にインパクトの大きい遺産でしたが、もしかしたら私たちは もう一方の遺産、彼の社会活動について学ぶべきことが多いのではないかとも思うところです。

人生の中で直面した事象に疑問を呈し、それに正面から向き合い 持てるスキルを活かして具体的に活動する。

そしてそのことは、自らが癌(がん)に冒(おか)され、いわば時限が切られたことで 逆に原点回帰を遂げ、シンプルに社会と音楽と向き合うことで(人生の)集大成と為す…。

 

私などは とても同為には及ばないところですが、その 氏の考え方については、学ぶべきところ多くあり「かくありたい」と思うところです。

奇しくも今 長野市においては、子どもの健全な居場所について 本来のあるべき形と逸脱した方針が示され、それに斜頸しながら行政体が進もうとしています。

この 決して望まれない状況に際し「守るべきものは何か」を改めて心に留め、為すべきことに全力を尽くしてゆかねかればならない。

 

坂本龍一さんの訃報に触れ その人生行路を回顧するとき、私自身 励まされる思いがいたしたところでありました。