倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

愛される所以(ゆえん)

2021-07-17 | 日記

私だけではないでしょう。

MLB(米大リーグ)アメリカンリーグ西地区のロサンゼルス・エンゼルスで活躍する大谷祥平選手の大活躍から目が離せないことになっています、よね。

2017年に NLB(日本ハムファイターズ)からMLBにポスティングシステムでエンゼルスに移籍を果たした大谷選手は NLB時代から投打に挑む「二刀流」を公言、それをそのままMLBに持ち込んだうえで 途中に肘の手術などありながらも不断の努力を重ね、今シーズンはご案内のような大活躍を果たしています。

 

 

 

 

その活躍ぶりについては 今さら申すまでもありませんが、当初は「野球の本場であるMLBで〝二刀流〟などあり得ない。」と評していた多くの野球関係者も、いつしか彼の活躍(実力)を認めざるを得ないこととなり、そして今や 日本のみならず全米の野球ファンが「ショウヘイ・オオタニ」の虜(とりこ)となっているものです。

 

 

 

 

投げては100マイル(160km/h)の豪球(剛球)を投げ込み、

 

 

 

打ってはリーグトップの本塁打を量産、

 

 

 

それだけではない。走っては積極的に次塁を陥れ、その快足を活かして ときにサヨナラのホームインを果たすことも。

 

 

まさに「走・攻・守」すべてを兼ね備えた野球界のトップアスリートであることは疑いようのないところでありましょう。

今や メディアの紙面や画面に「オオタニ」の出ない日は無い、と言っても過言ではない状態にヒートアップしているのはご案内のとおりです。

 

 

彼の人気の所以(ゆえん)はどこに。

おそらく読者の方々も その(人気の)理由について、実感している点があると思います。

彼の身体能力の高さは誰もが知るところであり、いわゆる「技術面・体力面」におけるズバ抜けたスキルをもって高評価をつけるのは プロスポーツ選手の証左と申せます。

しかしそんな高いレベルの彼が〝単なるアスリート〟であったとすれば 果たしてどうだったか。

自らのスキルを最優先し、ときに外部を遮断し 自らのプレーだけに徹する男…何というか「近寄り難い男」であったらどうだったか。

その人気のほどは、今ほどではなかったと思います。

 

既に皆が知るとおり、大谷選手は 常に他者に対し常に尊厳をもって行動し、常に他者に優しく振る舞い、そして それが、いわゆる〝あざとい行動〟ではなく「自然体」であるのが伝わってきます。

 

 

 

そのうえ(これは度々報道されている彼の〝仕草〟なのですが)大谷選手は、グラウンドに立つ中で、ことある毎(ごと)に グランドのゴミを拾ってはポッケに収めているのです。

 

 

 

 

そしてこれも いわゆるわざとらしい行動ではなく、ホントにさり気なく行なう善行なのですが、そこには 彼のもつ「哲学」があるとのこと。

 

報道等によると 大谷選手は、高校生のとき「目標達成シート(マンダラチャート)なるものを作っていたとのこと。

 

 

 

 

そこには 体力アップやスキルアップなどのフィジカル面の強化と同時に「雰囲気に流されない」などのメンタル面の強化、さらに「あいさつ」や「人間性」などの心理面についても掲げ、それは即ち 自らを向上させる「目標」とされ、その 全ての面での「高み」をめざして実践し続けることで現在に至っているとのこと…そして その中に「ゴミ拾い」が含まれているそうなのです。

で、その「ゴミ拾い」のココロは「運を拾う」。

一般的には ゴミ拾いなど好んでできる行為ではありませんが、彼にとってそれは「誰かが捨てた運を拾うこと」一見 嫌なこともポジティブに転換して積極的に行なうことで 自らも成長すると同時に社会貢献も果たす。まさに一石二鳥の善行となっているのでした。

重ねて言えば、これ(ゴミ拾い)も 決してウケ狙いのパフォーマンスでは無く、ごく自然のうちに行なわれていることに 大衆は感銘を受けずにおれないのです。

 

さらに 彼の魅力を実感させられるのが「全力プレー」でしょう。

自ら望んだ道とはいえ、とてもハードな「二刀流」の環境。ややもすれば、翌日に備えて 手を抜くことも常道となりがちなところです。

しかし大谷選手は、いかなる境遇にあっても全力プレーに徹しています。

大差がついて敗戦濃厚な試合の最終バッターとなり、放った打球がボテボテの内野ゴロであっても全力で一塁に向かう。

先日の試合では、3点差がついた最終回の2死1・2塁で打席に立つと ファウルファウルで粘ったあげくにセンター前に2打点のヒットを執念で放ち、勝利まであと一歩に迫ったシーンが印象づけられました。

 

さらに、初出場(それも二刀流での出場)のオールスター戦の前哨戦に行なわれたホームランダービーでもフルスイングを重ね、二度に亘るマッチアップ(再戦)の激闘を演じ「疲れた!」と絶叫する姿が印象的でありました。

(しかも その獲得賞金を、日頃の御礼とばかりに球団職員に全額寄付するというイキな振る舞いも好ニュースとなりましたよね)

 

 

 

その後の本番でも、投打に亘ってハツラツプレーを演じるオオタニ選手に大きな声援が寄せられたのは言うまでもありません。

 

 

 

 

かくいうように、まだまだ彼の所作には枚挙の暇がありませんが、総じて申せば 大谷祥平の人気の理由は「全力」「自然体」そして「感謝に裏打ちされた〝思いやり〟」ではないか。それが、ややもすると自己中心を是(ぜ)とするアメリカ人の心理をイイ意味で揺るがし、大きな共感を呼んでいるのではないかと思わされるところであります。

 

いつしか私も「オオタニファン」の一員となり、連日に亘り その活躍を映像等を通じて見るうちに、彼の「愛される所以(ゆえん)」を実感したものでした。

 

 

 

 

で…そんな「大谷選手の愛される所以」を感じ取るうちに、その所以(ゆえん)となる所作(しょさ)について、私の母校である「長野県長野東高校陸上部女子駅伝チーム」のメンバーの所作を重ね合わせたところです。

長野東高女子駅伝チームは、前任の玉城監督からの卓越した指導の下 今や「都大路(全国高校駅伝)」の常連校にまで成長を遂げてきました。

しかして その練習環境は決して恵まれたものではなく、犀川の河川敷に手造りで設(しつら)えられたサーキットコースで地道なトレーニングを重ね、それらが結実した好成果を生み出しているのです。

 

 

 

 

この活躍ぶりに対し、練習コースのある地元川中島地区では多くの住民が声援を送っています。

いわば 地元住民に愛される選手たち、と申せましょう。

で…このコ(娘)たちが愛される所以は〝ただ速く走るだけ〟では無いことが特筆されるところなのです。

先ず 彼女たちは「挨拶(あいさつ)」が徹底(=自然体)されています。

ランニングコースにおいて、さらにさまざまな場面で 実に爽やかな挨拶を送って(贈って)くれ、受けるこちらをも爽やかな気分にさせてくれます。

そして、彼女らの「社会参加」にも多くの賞賛の声が。

前述のとおり 彼女らは〝ただ速い〟だけでは無く、社会への感謝の念を忘れずに 毎朝のコース清掃や、ときに隣接するマレットゴルフ場の整備作業にも参加、利用者のおじいちゃんおばあちゃんと一緒に汗を流してくれるのです。それも自然体で。

これにはムラのじいちゃんばあちゃんも感謝感激、まるで孫の善行に接したような喜びを共有しているのでした。

 

 

 

 

大谷祥平選手と長野東高女子駅伝チーム、立場や環境は全く異なれど「愛される所以(ゆえん)」とすれば、双方に共通点を見い出すことができます。

そんな「技術や体力面だけじゃないトップアスリート」を、同じ日本人として、また同郷の者として誇りに思うと同時に、これからも その「純度」を失なうことなく活躍を続けてほしい…画面を通じて躍動する彼(彼女ら)にエールを送りながら、さらなる期待を寄せるところであります。

 

 

 

長野東高駅伝チームの練習コースも兼ねる「犀川河川敷ウーキングコース」のスタート地点に、1枚の看板が掲出されています。

 

 

 

長野東高駅伝チームの出身で、間もなく開催される「東京五輪2020」の陸上女子5,000mに日本代表として出場する「萩谷 楓選手」」の〝応援看板〟です。

萩谷選手は かつて長野東高駅伝チームに在籍中、この〝手造りコース〟で仲間と共に研鑽を重ね、その甲斐あって 今回のオリンピックに勇躍出場することとなりました。

 

 

 

この快挙に接し、地元の方々は 自分の娘が晴れ舞台に立つような喜びに駆られ、その祝意を看板の形で内外に伝えておられたのでした。

 

 

 

 

地元住民に愛される存在である長野東高駅伝チーム。その中から何とオリンピック代表選手が輩出された!そんな名誉を我がことと思い、心からなる応援の心を届けよう。

コロナ禍の中での東京五輪、たとえ無観客でも「ふるさとからの応援」は大きな力となって萩谷選手を励ましているところでした。