倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

新たなる年

2020-01-02 | 日記

1/1 Wed.

 

新たなる2020年/令和2年が 幕を明けました。

 

毎朝に亘り 東の空に上る朝陽、でも 今朝は、年に一度しかない いや歴史に一度しか無い朝であります。

夜気も残り清々とする中、ゆっくりと その姿を見せてくれた初日の出に願うことは、ただ ひとつ。

今年こそは、安寧(あんねい)な社会であってほしい。手を合わせずにはおれませんでした。

 

今年は、元号(令和)は 2年 でありますが、私(だけではないでしょう)は〝復興元年〟に位置づけたいと強く思います。

今年は、昨年 起きてしまった、未曾有の台風災害から復興を果たす スタートの年になります。

建屋や施設、社会インフラなどのハード面をはじめ 被災者の方々の心の問題などのソフト面、物心共にの復興には 長い時間がかかることでしょうが、いずれにしても、今年は そのスタートの年。

復興の初動で培われた「ONE・NAGANO」のマインドを維持発展させながら、いつかは みんなが笑顔になれるよう、挙げて力(ちから)を尽くしてゆきたいものです。

 

 

 

この日 元朝に参加した年頭の集まりで「〝尋常〟に思いを寄せるべき」との訓話があり、学ぶ機会となりました。

「尋常」とは、普通であること・平常であること、また 安定していることなどをさす言葉です。私たちは逆に 常識外れの物事をさし「尋常では無い」などと用いる場合が多いものです。

教えは その、尋常では無い出来事が多い中だからこそ「尋常」の大切さを再認識し、人々があまねく「普通の社会生活」が送れるように努力するべきこと、そのうえで 平常時に学び 不測の事態に備えるべきことを説(と)かれておりました。

それは まさに、私が初日の出に願った「安寧」とも共通するところであり、私としても この「尋常」を心に留め、今年いちねんに臨んでゆきたいと思いをいたしたところです。

 

 

 

元旦早々の行事を終え、取りも直さず 年初の被災地に足を運びました。

未曽有の台風被害を受けた 長沼区エリアにも、同じように新春の陽光が温かく射(さ)していました。

でも、農地には 実りを迎えていた果実が落ち、

 

被災住宅も、年が変わった この日も〝あのときのままの姿〟で佇んでいました。

 

泥流が突き抜けた居間の向こうに、決壊し 今はブルーシートに覆われた堤防が覗き見えます。

 

この状況を、何としても改善し〝復興〟の足取りを示してゆかなければなりません。

行政の仕事始めに併せて「公費解体(自主解体)」の受付が始まることとなっています。農地の復興も これからです。

「復興元年」にふさわしい取り組みが期されるところです。

 

 

そんな中、被災直下のお寺さんで、初詣に併せた 炊き出し支援が行なわれていました。

 

 

自らも大きく被災した お寺さん、でも 檀家衆や地区の方々の再起につながればと、一肌ぬいでおられる風でした。

 

境内に設(しつら)えたテントでは、遠く松本市から出張(でば)ってくれたボランティア団体による 温かい汁ものが供され、家族連れなどが卓を囲み 善意の炊き出しを味わっていました。

 

 

元号が変わり、年が変わった 令和2年。災害の爪痕は 今も生々しく、その光景は変わっていません。

それでも、イイ意味で変わっていないことがある。元朝の被災地で上がる 温かい湯気に実感することができました。

発災後 被災エリアに集結し、多くの方々の善意により培われた〝ボランティアスピリッツ〟です。

これからも 息長く、被災地を見守ってゆこう。そんな「ご厚情」が感じ取られた、陽の射す被災地の元旦の朝だったのでした。

 

庫裡(くり)の壁には、この団体が預かってきたと思(おぼ)しき 松本市の書道有名校 書道部による、力強いメッセージが掲げられていました。

 

テーマは「再起」。多くの方々が、被災地の再起を願ってくれていることが、躍動する筆に表されていたのでした。

 

 

 

 

 

午後には、私の住む町にある地区で 新年会が催され、ムラのコミュニティの大切さが再認識されていました。

 

今回の台風では被災しなかったものの、何が どこで起こるか予測できない現下の社会状況下では、普段からの横のつながりが何より大切です。

こちらの地区には 神楽保存会があり、伝統文化の伝承を通じて、コミュニティの醸成に一役かっておられます。

 

被災した長沼地区も、伝統文化が盛んで そのことにより地域コミュニティが醸成され、現下の復興活動の原動力となっていることを伺っています。

このような 脈々とした活動が、ムラの絆を強める原資となってくれることでしょう。

末永き活動を期待しながら、時間が共有されていました。