倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

平和を守る

2019-09-21 | 日記

9/20 Fri.

 

選挙中、お伝えすることは叶いませんでしたが、私は、護憲派の平和主義者であります。

そもそも、暴力による争い・暴力による問題解決は良(よし)としない性分でありましたが、この(政治の)世界に入って、その思いは一層強まることになりました。

 

先輩諸氏による、鮮烈とも言える戦争体験談を伺ったからです。

若くして戦地に赴き、移動中に敵機の襲来を受け、多くの仲間が目の前で命を失なうこととなった「あの日」の出来事、親戚に広島の方がおられ、口伝いに聞かされた 被爆地ヒロシマの「地獄絵図」、また優しい祖母が、出征後 帰らぬ人となった長男を思い涙にくれる様子など、それは身につまされる体験談の数々は、自らは戦争体験は無いものの、いかなる事情があっても、戦争だけは起こしてはならない、また、日本人(自衛隊員)が〝戦地〟に赴き 武器を手にする事態を招いてはならないと強く認識する「生きた教材」となったのでありました。

 

今後、憲法九条を含む改憲論や、自衛隊の海外派遣などの「再び戦争へ近づく道」への道標が立たんとする議論が起こることが予想されるところではありますが、私の立場として それら改憲論に毅然として反対し、おじいちゃんおばあちゃんの 命を削った体験が無駄にならないよう努めてまいる所存であります。

 

 

そんな中、現代社会ならではの 戦争における課題、人類の英知で殺戮を奨励するのではと思わされるニュースが聞かれ、強い憂慮の念を抱かされたところです。

 

人工知能(AI)とロボット技術による武器開発の伸張です。

 

兵士が安全な場所から無人機を遠隔操作して敵を攻撃することが恒常化し、人間の意思が介在しないまま、人間を殺傷する兵器の実用化が、世界の「武器見本市」などで大きく紹介されていることが報じられ、映画の一場面でしかなかった「ロボット戦争」が現実味を帯びていることが伝えられていました。

 

 

アラブ首長国連邦の首都アブダビで2月下旬に開催された「軍装備見本市」で、ひときわ注目された「商品」がありました。

時速130キロのスピードで航行し、重さ2,7キロの爆発物を運べる AIを搭載したドローン「KUB-BLA(クブラ)」です。

 

 

 

製造元(カラシニコフ社)の売り文句は「操縦が簡単、標的を正確に攻撃可能、しかも安価。従来の空中戦のあり方を抜本的に変える製品」というものです。 カラシニコフ社の広報担当者は「これからの10年間は、ロボット技術によって戦争の姿は大きく変わる」と胸を張ったと伝えられていました。

 

無人兵器は人間が遠隔操作しますが、AIを組み込めば、事前に入力したプログラムに従って、人間の操作や判断なしに作動するAI兵器となるそうです。

Iとロボット技術を組み合わせたAI兵器は、かつて「火薬」そして「核兵器」に続く「第3の革命的武器」とも言われており、識者は「これからの戦争は、サイバーや電子攻撃でまず、敵の「目」となるレーダーなどをつぶして反撃力を奪った後、無人のAI兵器を多用し、自軍は人的損失を被らない形で敵(人)を攻撃する。限りない殺戮の連鎖が広がる。」と警鐘を鳴らしています。

 

これに対し〝AI兵器推進論者〟は、AI兵器は 人間よりも正確な攻撃ができることから、攻撃対象エリア全体を攻撃する「絨毯(じゅうたん)爆撃」より、精密な誘導弾を使った攻撃の方が民間人を巻き込む確率は低いと主張します。

また、例えば巡行型ミサイルを迎撃するスピードに人間はついていけないことから、AIは防衛型兵器に適していると評価する向きもあります。

 

しかし一方で、無人のAI兵器ならば、自軍の兵士が戦死するリスクが軽減されることから、安易に戦争に踏み切る「ハードル」は明らかに下がることになり、さらには、技術の拡散・漏洩(ろうえい)により、諸国間での軍拡競争の激化や、AI兵器がテロ集団の手に落ちるリスクも出ることは必定と懸念されます。

これまでのところ、AI兵器は「人間の介在」が原則となっているとのこと。標的の発見、追尾、攻撃の成否評価はAI兵器が自律的に行うにしても、遠隔操作のカメラなどを通じて標的が正しいものかを判断し、最終的に攻撃するかどうかを決定するのは、あくまで人間であるべきという考えです。

しかし、いずれは その攻撃判断をもAIが下すようになれば、人間型のAI兵器が人間を殺す、映画「ターミネーター」の世界にも通じる事態となってしまいます。

 

現在、各国間では「ジュネーブ条約」などにより戦争のモラルの維持を規定してはいますが、この条約は そもそも、機械が人を殺したり、意思決定したりする事態を想定していないことから、新しい時代の新型兵器については、新たな規範、条約が望ましいとされています。

 

日本の関係者は「仮に核兵器が事前に禁止されていたら、広島・長崎の被害はなかったかもしれない。実際に開発され、実戦配備されてからでは遅い。そこで生じる可能性がある人道的な被害を勘案すれば、今、できることは積極的に進めるべきだ。」と強調していました。


 

 

 

「AI」は、人間社会において、例えば人手不足を補う「補充要員」として、また 例えば、危険を伴う作業の「代行業務」として、人を助け、人命に関わるリスクを軽減させるために開発されたロボットであるはずです。

それが、あろうことか人命を奪うための開発が進められているとは、本末転倒はなはだしいと 憤りさえ覚えるところです。

 

私たちが思いもよらない領域で、思いも及ばないスピードで戦争が奨励されているかの状況ですが、せめて私たち日本人は、そんな「禁断の領域」に足を踏み入れることのないよう、平和主義、そのための憲法九条堅持を貫くべき、と、最新の報に触れ、思いをいっそう強くしたところです。