赤穂浪士の討入りも終わり、クリスマス・イヴも終わり、クリスマスも終わり、
次は大晦日、紅白、ゆく年くる年、元旦、成人式(私は少し前に終わった。)
と行事が進行して、2月はアッという間に過ぎてプロ野球開幕、ゴールンウィ
ーク、七夕、十五夜・・・と気がつけばまた赤穂浪士が討入る・・・と1年が
年々早く短くなってきた。
50才を過ぎて特にスピードアップしたような気がする。
普通列車から新幹線に乗り換えたようなもんですわ。
生まれた子の1年の長さは1年/1年。50年生きた人のその長さは1年/50年。
時間感覚が1歳の子の50倍も早くなっていると考えてよいのでしょうか。
例えば私が例えば25歳の子(黒木メイサ22歳でもいいでしょう。)と例えば交際
したとする。
そして同じ時間を過ごしても、彼女と比べて私のそれは2倍速になっている。
感動する映画のDVDを2倍速で見てみれば分るけども、それは感動出来ない。
それと同じで、彼女と一緒に美しい花や夜空を見ても、エプソンカラリオで綺麗な
印刷をしても2倍速の私には感動出来ないのだ。
(毎度毎度強引なこじつけのような理屈ですけど。)
それで結局、こんな無感動なオッサンじゃイヤ!ってことになり哀れな実年男
はフラレルことになるのです。
だから、今日の結論としては、付き合うなら同世代にしましょう、ということ
なのです。唐突に結論です。はい。
ただし、付き合うといっても倫理上既婚者は当然除外されるわけで、私も除外
グループの範疇にある以上は今日の結論と何の関わりもなく、今夜も「アパート
の鍵貸します」の続きを見ながらひとり寂しく寝ることになる、
というお話でした。
(毎度の事とはいえ、言わんとするところが、わかるような、わからんような、
そんな適当な話ですな・・・)
「アパートの鍵貸します」
シャーリー・マクレーンとジャック・レモン
本文とはほぼ関係ないけど・・・。
イルミネーションライトの家は明日がピークなのだろうか。
仕事帰りに見る様々なイルミネーションが楽しい。
その中で他とは異彩を放つ電飾があった。
そこにはLEDに光るトナカイもサンタもツリーもなかった。
何か文字が光っている。
遠くからではなんの文字だか判別がつかなかったので、車でそばまで
行ってやっとわかった。
『火の用心』
確かに火を使う季節。キャンドルがらみの火事もこの時期は多い
らしい。用心せねばなりませんな。
イヴだからといって危ない火遊びはいけませんよ。
さて、ケーキも美味しくいただいたし、この後は「アパートの鍵
貸します」でも観ますか。
友人が五十肩になって病院で診てもらった時、先生にこう言われたそうだ。
「五十肩を放っておいてはいけません。悪くすると○○○○になって大変なことに
なりますからね。」
友人が電話で話してくれたことなのだが、その肝心の○○○○を丁度聞き漏らした。
聞き直そうとする前に話題が移り結局聞きだせないまま電話が終わった。
あの大変なことになるという○○○○とは一体ナンなのだろう?
私も2年程前に五十肩になったことがあり、右腕が首から上に上げられず、無理に上げ
ようとしたらとても痛くて辛かった。
あの頃、仮にビルの屋上にいる相武紗季から交際を申し込まれても、高々と両腕で
大きく○を作ることは出来なかっただろう。
(どうでもいい例えでしょうけど、それぐらい痛かったのです。)
私の初めての五十肩は6ヶ月間ほど放っておいたら自然に治った。
でも、それが本当に治ったのかどうかあやしいものだ。
実は症状が進行していて突如○○○○になってしまうかも知れない。
それと電話中、どうして「○○○○」のところだけ聞き漏らしてしまったのか。
考えられるのは
(1) その時、あくびがでて聞こえない状態だった。
(2) その時、つけていたテレビに黒木メイサが映った。
(3) その時、眠りに落ちた。
正解はその内のどれでもいいのだが、多分(2)ぐらいのことだったと思われる。
さて、その問題の○○○○だけど、それは友人に電話して聞けばすぐに分かる。
でも、改めて電話してその○○○○だけを聞くのは、私が彼の話をいい加減に聞いて
いると思われそうでイヤなのだ。
ずっとちゃんと聞いていたのだが、その○○○○の時にだけ、たまたま黒木メイサが
映ったから注意がそちらに向いた。
それは道理至極の仕様のない話だ。
黒木メイサファンなら分ってもらえると思う。
そういえばその友人は高校の頃、黒木真由美ファンではなかっただろうか?
「黒木」つながりで、、、だからなんだということだけど。・・・ええと、違ったかも。
岩崎宏美だったかも・・・人のことはよく覚えていない。
そんなことよりも○○○○だ。ナンだろうか。
五十肩がぶり返さないうちに調べておこうと思う。
右足の甲が痛いのは寒さの所為ではなくて通風なのだ。
数年前、痛風大発作により左足の甲がロールパンのようにパンパンに
腫れて、『パンパンに』という形容動詞は食べるパンからきているの
だろうか、違うと思うが、腫れて、腫れるとともに激しい痛みに苦しん
だ時があったけれども、今回はそれほどでもないので、ちゃんと二足歩
行してデューク更家ウォーキングまで出来ちゃう現在の私があるのだが、
右足の甲はやっぱり痛いのだ。
(なんちゅうぐだぐだな文章やねん・・・でもこのまま続ける。)
歩ける。けれども放っておくとひどくなって前回のように激痛で歩行
困難になるかも知れないので、私はお茶と水を飲みまくり、お腹タップ
ンタップンで、それというのも、前回診てもらった医者が言うには、
何が何でも水分を摂りなさい!水を飲め!お茶を飲め!もっと飲め!ほら
飲め!と、飲むだけで痛風退散六根清浄みたいな事を言ったみたいな、
実は他にも色々とインフォームドをコンセントした思うけど、飲め飲め
しか記憶に残らなくて、お医者さんも人の子そこのけどこの毛?お馬が通る
的にご苦労なお仕事と思うし、非常に読みづらい文章になっているとわか
っているけど、それで昨日からお茶と水をいつもより多めに回しています
というか、飲んでいる状況で、しかも寒い時期に冷たいお茶とお水を飲んで
いるものだからお腹がゆるくなっている状態で、友人から電話があって、
トイレを我慢しながら聞くと50肩になったようで、彼も歳だなぁとニッコリ
ほっこりしてしまい一時的に痛風を忘れていた。
そんなにひどくはないので、ひどくならないように、やっぱりお茶と水を
飲んでいる、そんな今日この頃。
私の妻がくれた初めてのクリスマスプレゼント。
それはヴェルタースオリジナルで、私は34才でした。
その味は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしいキャンディーをもらえる私は、
きっと特別な存在なのだと、だまされました。
今でも、私がダンナさん。妻にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル。
なぜなら、
妻もまた、特別な(怖い)存在だからです。
でも、実際はそんなものより服を買ってくれと言われました。
今朝、この地の今年一番の冷え込みだったと思う。
玄関から出たとたん凍てつく寒気が頬にあたった。
電信柱はよくこの寒さに耐えている。ご苦労様です。
寒いのは嫌だ。
イヤだイヤだといってもこれが冬のお天気なのだから受け入れ
ねばならんのだ。
でも寒いのがイヤなのに変わりはない。
どうして寒いのがこんなに嫌かというと、それは寒いからだ。
体に堪える。若い頃は平気だったが、これが老いるということ
だろうか。日増しに寒さがつのるのが辛い。
寒さがつのるといえば昔こんな歌がありましたな。
『あなた変わりはないですか
日ごと寒さがつのります
着てはもらえぬセーターを
寒さこらえて編んでます
女ごころの未練でしょう
あなた恋しい北の宿 』
この「北の宿から」の歌詞。
前から思っていたんだけど、寒さこらえて編まんでも、ストーブ
とかファンヒーターとか、なんで暖房機器を使わんの?ないの?
灯油切れ? 3時間延長せんかったん?・・・ん?
しかも着ないとわかっているセーターを編むなんて。呪い?
はい、どうぞ呪怨セーターでおます。・・・そら着んわ。
こんな恨めしげな女の人では怖くて逃げ出したくもなるでしょ。
後ろの方の歌詞には
「あなた死んでもいいですか」
きたね。脅し。・・・怖い。
悪い女に引っかかっちまったぁ~、てなことですね。
もっともこれこそが演歌の歌詞なのかもしれない。
ひがみっぽくて恨み節。
これがこんな内容だったら演歌にはならん。
『どう?変わってへん?太った?
何気に寒うなってきたんとちゃう
あんたが着んのやったら、うちでも着られる柄のセーター
編んどるんよ♪ 花柄とパンダ いる?
あったか床暖房でおいどもポッカポカ、うれしいわぁ~』
なんてことだったら演歌にはなりませんわな。
とかなんとか書いている私、しめっぽい演歌、好きです。
寒い部屋でコタツにも入らないで呪怨セーターを編んでいても、
心の奥底になにかしら響くものがあるような、ないような。
それが日本人の「情」というものでしょうか。よう知りませんが。
わからないけどそんな気がする寒い1日でありんす。
で、調子に乗って3枚目を出してみたらほとんど誰にも見向きもされずに
終了した。撃沈です。
2枚売れた時は、この後も少しづつ落札単価が上がっていって、そのうち
私は絵で食べていけるんじゃなかろうか、アーチストらしいサインも考え
ておかねば、なんて、厚かましくも大胆で途方もない妄想にとりつかれて
おったのだが、現実はこんなもんです。
甘いもんじゃないですな。当たり前だけど。
でも、今度は色付きの絵を描いてみよかな~と性懲りもなく考えたり、
といってもぼちぼちですわ。まぁ、趣味だし・・・ってことで。
それでまた趣味でやってるドラムだけど、こっちもなかなか上達せんわ~。
昨晩はバンド練習でしたんやけど。
普段あまり個人練習しとらんからね。つか、難しいことに挑戦しようとい
う気にならんのですわ。ややこしいところは無かったことにしてやってます。
その内バンドのメンバーから外されるかも知れませんな。
まぁ、趣味だし・・・ってことで勘弁してもらえたらありがたいというか。
そんなこんなで、一生に一度しかない人生を、今のところ適当に生きてい
るような気が・・・それではいかん。「若いもんがそんなことではイカン!」
と、言われるほどもう若くはないけど、なんか熱中出来るもんがほしい
ですなぁ~。
たとえば、燃えるような恋愛。これは興味あるし熱中出来そうだ。
しかもスリリング。クリスマスも近いことだし。イイんじゃないかー。
しかしながら、こいつぁ私の理性と世間と娘が許してくれんのです。
もっとも私の理性ぐらいなら簡単に消滅するし、世間はその気になればポイ
捨ても出来るけど、娘はそうはいかんですよ。
妻より怖いかも。私の携帯電話を勝手にチェックしよりますからな。なぜか。
油断も隙もない!おぉ~こわぁ~~
と怯えることもないのです。
だいたいがそんな相手もおらんし、見つける気もせんし、体の動きも悪いし、
抱き枕あるし、ネコおるし、それに今さらややこしいことする気ないし。
やっぱり、なんだかだらだらと生きていくような、そんな師走でんなぁ~。
あせって生きても仕方がないということで。
年末はネコと一緒にコタツに入ってのんびりと紅白でも見ますか。
(って、だらだら書いて結局こんな結論かい!?・・・はい。)
そうそう。クリスマスケーキと年越しそばが楽しみですね。
周囲で風邪がはやっている。
僕も昨日から首の付け根とか腰周りが痛い。
それと鼻水と夜は咳がでる。
風邪かなと弱気な考えがよぎったけど、これは風邪ではないと信じる。
なぜなら、風邪だと思うと本当に風邪になってしまうのだ。僕の場合。
風邪は脳内で罹るものなのだ。僕の場合ね。
だからこれは絶対に風邪ではないと信じきるしかないのだ。
しかし体の不調は症状としてあらわれているから、どうしても何かの
理由にしておきたくなったら、その時は例えば「ゼカ」という名の病気
になったことにしよう。
風邪ではない。これは単なるゼカなんだ。ゼカならたいした事ないな。
なんてアホなこと考えていて、こじらせて病院にいった時、どうもゼカ
に罹っちゃったんですよねー、なんて言いかねないので、やっぱりここ
は軽い風邪に罹ったことを素直に認めて早寝しましょう。
前文で言ってることと辻褄が合わないような気もするけど。
・・・合わないけど、まぁいいでしょう。
僕もつい最近まではご存知でない方だった。今はご存知な方。
0.99999…=1
0.99999…と小数点以下に9が無限に続くこの循環少数は = 1 だそうだ。
1じゃないけどお情けで1にしといてやるというのではなくて堂々たる1
なのだ。そうだ。
イコールだから同じ・・・と言われても妙に釈然としない気持ちが残る。
純粋に1なのだろうか。純度100%の1と言えるのか?
本当に純なのか?本当に純愛なのか・・あ、これは関係ない・・・。
HYのSong for…を聴きながらだったのでつい。
それでですね。無限に9が続くとはいえ、やっぱり最後の最後の尻尾の先
の先っちょにナンかあるんじゃないのかと思ってしまう。
いや、ナニかがあるからこそ1になるんじゃないだろうかと、数学嫌いな
僕は思うわけです。
まぁ、それはおいといて、イコールになる証明方法はいろいろあるみたいだ。
1/3 = 0.333333…
0.33333…×3 = 0.99999…
1/3×3 = 1
従って 0.99999… = 1 とか
1-0.99999…=0.00000… とかいろいろ。
まっ、いろいろあってもなんか釈然としないのは変わらないのだ。
だからといってこれからの私の生活には何の影響もないけど。
それと、なんらこれも影響のないことだけど、先ほどのHYのSong for。
その歌詞と女性が歌うから女性が想いを綴った不倫の歌だと誤解されてい
る方がいるようだけど、違うのだ。
これは男性の一途な純愛を歌っておるのです。実話がもとになっておる、らしい。
不倫とは次元が違うというか。まぁ、これはまた気がむいたら記事にしませう。
って、0・99999よりこっちのほうが面白かったりして。
「いや、言った。」
と言った言わない、聞いた聞いていないでつまらぬ言い争いをするこ
とが、ここ最近多くなってきた。
どちらかがボケてきたのか、両方ともボケてきたのか、それとも元々の
ボケが日々増進しているのか、そのいずれかだろう。
今朝もそんなことがあったので通勤の道中どうしたものかと考えた。
そこでハタッと思いついたのだ。(運転中だから膝は打たない。)
そうだメールをすればよいのだ。
これなら日時まで証拠として残る。
そして今日、多分今年最後となるバンド練習の予定が入った。
今、その予定を妻にメールで伝えている。
妻はすぐ横にいるんだけどね。
『横にいるのにメールする。』
・・・なんか尾崎放哉の自由律俳句みたいでいいなあ。
っちゅうか、こんなんしてたら夫婦の会話が減るかな?まぁええけど。
事情があって血はつながっていないけど、昔から、どこの誰にでも
嬉しそうにわたしの弟だと紹介してくれた。
自慢出来る弟でもないのに、それに僕は、おねえさんとは言えなかった。
僕と違って明るく社交的だった。
会話をしてもほとんど姉が喋っていた。
姉夫婦の会話でも、いつも旦那さんが聞き手にまわっていたから、
誰とでもそんな感じだったのかもしれない。
その聞き役の旦那さんも9年前に他界している。
天国で「もう来たの?」って会話で始まって、また一方的に姉が
喋りだすのだろう。
元気なイメージしかなかったから、今も死んだという実感がない。
でも本当にもう会えなくなったんだな。
いろいろあったな。
一回でも「おねえちゃん」とよんでやれば喜んだと思う。
とてもいい姉だった。