先日のブログに『つれてって』を載せたわけですが、その後いろいろと見ているうちに
ちょっとしたマイブームになっとるのです。
『園まり』ブームってなことで。
可愛い歌い手さんですな。いや、小さい頃からテレビで知っていたんですが、何というか
単なる幼なじみをある日突然意識し始めたような、そんな感じに似てますかな。
年齢的には一世代上になるんですがね。
改めて歌の上手さと上品な色気を再認識しとりますですよ。
映画も見てみたいなぁ~。
今朝はこの秋一番の冷え込みだそうで、家の猫も布団から出てこない。
昨晩は近畿地方で木枯らし1番が吹いたとのこと。
そこで『レコードプレーヤーが壊れて聞けなくなったし、レコードもどこにいったのか
わからなくなったのでyoutubeで探したらあったシリーズ』第2弾としてビョルン&
ベニーの『木枯らしの少女』をこじつけで選んだ。
このレコードを買った頃、悲しい出来事があったのだが、今となっては、あーそんな
事もありましたわな、ふんふん、っちゅうぐらいに納まっている。
感受性が鈍感になったのだろうか。
それとも、40年という歳月を経るなかで神経が図太くなったのだろうか。
歳とともに涙もろくなってきたと自覚しているのだが、それと感受性との相関関係
はどうなっているのだろう。
感動の仕方とか内容が変化しているのではなかろうか。
それはそうと『木枯らしの少女』だ。
ビョルン&ベニーは後に女性2人を加えABBAとしてブレイクした。
ABBAで多くのヒット曲を連発したが、私の好みの歌はない。
と、それはよいとしてこの『木枯らしの少女』。
秋暮れとか冬ざれの寂しさを感じさせる哀愁のあるメロディなんだけど、歌詞の
内容はどうなっているのだろうか。
と、40年後の今になってふと疑問に思ったのだ。
ビョルン&ベニーはスェーデン人だったと思うが歌は英語だ。
私の英語力では聞いているだけじゃ訳せない。と言って歌詞を見てもわからない。
でも、なんだか秋とか冬とか木枯らしとかを連想させる単語がないようだ。
こういうときは、せっかくだからネットにある翻訳システムを使おうではないか。
早速、とあるサイトの翻訳にかけてみた。
サビの部分、こんなん出ました。
『彼女は単に少女の私の種類です。
彼女は私に素晴らしく感じさせます。
誰が彼女が私のものかもしれないといつか信じることができましたか。
彼女は彼女なしで、単に少女の私の種類です、私は青い。
また、彼女が常に私を残す場合、私は何を行うことができましたか
(何、私、行うことができたか)。』
・・・・単に少女の私の種類。・・・私は青い。
しびれるほど見事な直訳じゃないか。
内容はわかるようなわからないような、とりあえず秋とか冬とか木枯らしとは関係
なさそうやね。ふーん・・・。
<木枯らしの少女>
『横浜の来季からの新球団名が「横浜モバゲー・ベイスターズ」となる。』のだと。
横浜がどんな名前になろうが阪神タイガースファンにとっては構わないのだが、
それでも、ちょっと他人事ながら・・・笑えた。申し訳ない。
阪神なら「タイガースのエース能見」とか「タイガースの4番バッター新井」とかが
横浜なら「モバゲーのエース三浦」とか「モバゲーの4番バッター村田」とかって
なるわけでしょう。
「見事タイガースの大勝利です。タイガース選手会長鳥谷さん、タイガースファンに
一言お願いします。」
「タイガースファンの皆さん、応援ありがとうございます!」「タイガースは最高です!」
てな会話が横浜さんの場合
「見事モバゲーの大勝利です。モバゲー選手会長の新沼さん、モバゲーファンに
一言お願いします。」
「モバゲーファンの皆さん、応援ありがとうございます!」「モバゲーは最高です!」
てなことになるわけでしょう。
なんか可笑しい。
それと、「タイガース、モバゲーに負ける。」なんて新聞の見出しも嫌だなあ。
名前って慣れたら普通に聞こえるようになるものだから、これも普通に聞こえるよう
になるのでしょうか。
だから別にいいのかも知れない。
でも、やっぱり横浜モバゲーファンの方には同情する。
私的には「大洋ホエールズ」が一番しっくり。
異次元空間に迷い込んだのだろうか。
今朝届いたFAX。確かに机の上に置いていたと思ったのだが、昼になってそれが
ないのに気が付いた。
机の下や引き出しやファイルの間や消しゴムの下やズボンの中とかいろいろと探
したがどこにも見あたらないのだ。
いやぁ~不思議。
こんなとき他人を疑ってみたら案外早く(自分の持ち物の中から)見つかることを
経験的に知っているので、今回も誰彼となく真剣に疑った。
他の社員の机の上をさりげなく目で探ってみたり、外出した者に電話してそれとなく
チラッと聞いてみたりしたのだが、いずれも不発だ。ちぇっ!
そのFAXに国家の機密事項が書いてあるわけでも、愛人との密会場所が書いてある
わけでもなく、また、失くしたからといって腹切ってお詫びするほどのものでもない。
でも、それにしても摩訶不思議だ。ミステリーだ。
うーむ。何処へ。
それにしても落ち込みますわ。
ちょいちょいこんなことがあるもんでね。まぁ、昔からやけどね。
そんなこんなで、久しぶりに聴いてみた。
(記事の内容とは関係ねいけどね。)
橘いずみの『サルの歌』
1994年のアルバム『太陽が見てるから』の収録曲で、その後のベストアルバムにも
収められてるようですな。
しかし、このベスト盤のイラスト。ちょっと橘いずみの雰囲気と違うような気が。
<サルの歌>
娘が買い物をしたいというので、妻と3人で神戸方面のショッピングプラザに
行った。
大きなところで駐車場も広い。
で、その帰り。どこに車を停めたのかわからなくなった。
こうなることを予想して入り口周辺の景色を覚えていたつもりだったのだが、
店舗内からその入り口周辺へどう行ったらよいかわからなくなった。
家族の手前かっこ悪いじゃないかというところだが、家の者はみんな私が天性
の方向音痴であることを承知しているので、その点は平気なのだ。
平気だけど歩くのが疲れたので、妻に探索を全権委任したら案外早く見つかった。
天性の方向音痴とはいえ、憮然とせずにはおられんな。
昔読んだ本で、少年探偵団が森で道に迷わないように歩いた跡に目印の枝を
置いていたことを思い出した。
ショッピングプラザでも何かの目印に置いておけるモノはないかと考えた。
けど、ないね。
それで店舗案内のパンフに歩いたコースを書き入れていけばどうだろうと考えた
のだが、あちこち歩いたら線が二重三重になってわけわからん状態になるのでは
ないかと思ったのだ。
ま、でも、そんなことしなくても位置ぐらい店舗案内見たらわかるやろけどね。
と思うけど、それでも間違うんよ。なんせ天性の方向音痴やし。
園まりさんの『つれてって』
若いときから上手いですな。
日本漢字能力検定協会が今年も「今年の漢字」を11月1日から募集するようです。
私は、いろんな意味を込めて希望の『希』という漢字にしたいです。
大災害のあった年に『希』は変だし今年を象徴している字では決してありまませんが、
こんな時こそ希みを忘れたくないと思うので。
そして来年は『笑』なんて漢字が選ばれたら嬉しいですね。
来年に限らずいつでも「笑う門には福来る」といきたいものです。
人の笑いって感染するもんですよね。
良いお天気さんでしたね。
妻の実家に行きました。
今年は柿の生り年のようです。
どの枝にも重そうに実がぶらさがっています。
柿の枝は折れやすいから登る時は気をつけなければなりません。
小さい時よく登って叱られましたよ。
赤トンボがたくさんいました。
近寄って数枚撮ったんですが、いやに協力的で、写す間はじっとしてくれました。
こんな感じでいいかな?って色々とポーズもしてもらいました。
庭の隅に万両が植えてあるんですが、そっちの方からなんか視線を感じまして。
見ると葉っぱに隠れてバッタがおりました。
バッタ君が僕も撮ってくれと言うのでしっかりと写しましたですよ。
ええ、私、虫の声がわかるんです。
なんて言い切ってしまうと変なヤツと思われるので、わかるような気がする、に改めます。
ちょっと緊張気味のバッタ君です。
『虫も殺さぬ男』なんて言い草がありますが、私も殺さない方です。
ゴキブリとか蚊なんかは仕方なく殺虫剤をかけるんですが、そんな虫以外は出来るだけ
殺さないようにしております。
家に入ってきたものはティッシュなんかでそっと包んで窓の外に出してやりますね。
蛾とか飛ぶ虫はティッシュで捕獲すると傷つけてしまうので袋状のものの中に入れて
から外に出すようにしたりして、気を使っております。
本当はゴキや蚊や蝿も逃がしてやりたいのですが。虫に罪はないですからね。
歯痛を我慢していたら歯茎が腫れてきた。
腫れは一昨日が最大だったろう。
会社の同僚が気が付いて言った。
「どうした?頬っぺたが腫れてアンパンマンみたいになっているぞ。」
アンパンマンみたいとは言い得て妙だ。
私の顔全体がアンパンマンになったというのではなくて、頬の右下側のぷっくっと
腫れたところがアンパンマンの赤い頬のようだということだ。
アンパンマンなら可愛いが、鏡で見ると頬っぺたの垂れたブルドッグのようにも
見えて、イヤだ。
女子社員に気付かれる前に私から言った。
「歯茎が腫れてね。頬の下の方がほら。」
と指で示したら
「頬ですか。別に何もなってないような・・・。」
「いやいや、ほら右と左を比べたら、ほらね。」
と顔をわずかに振って左右の頬を見せたのだが、相手の様子を見て私は察知
したのだ。
どうも、この子“なんで朝からオッサンの見たくもない頬を見なきゃなんないの。面倒くさ~。”
と思っている。そんな気持ちを察知したのだ。
「いや、まあそんなにたいしたことじゃないから。」
と、会話を切り上げようとしたら、どうも彼女は彼女の気持ちを察知した私の気持ちを
察知したらしく、
「そーいえば右より左が腫れてますね。あ、こっちからだから右か。・・・大変でしょう。」
と同情したように言った。
さっき私が察知して返事した気持ちを今度は彼女が察知して、その彼女の心内をまた
私は察知した。
おそらく彼女は、この人でも一応上司みたいだし、仕方がないからここはちょっと気遣
っているところを見せておいてやろうと考えたのだろう。
私が「うん。まぁ少し痛いけどね。我慢できる程度だから大丈夫だよ。」と言うと
彼女は、多分、私が察知したことを察知して、それをまた察知したことをまたまた察知した
とわかって察知してから言った。
「歯科医院に行かれたらどうですか。随分腫れていますよ。すごい腫れ。すごい。」
どうもこの会話自体が面倒くさくなったのだろう。“病院へ行けば”は結論のようなものだ。
そう察知した私を察知されて察知返したところまた察知したことを察知することになって
またまたまた察知した私の感情を察知した彼女が察知して言った察知は
♪にっちも察知もどぉーにも ブルドーオッグッ!グォー!♪
結局ブルドッグかい!・・・・・・なんて。
それはウソですけどね。
歯医者さんへ行きました。
<フォーリーブス/ブルドッグ>
妻と二人で福知山市の三段池公園を散策しました。
少し歩けば汗ばむほどの良いお天気さんでした。
陽射しだけで言えばまだまだ秋という風情ではありませんでした。
緋色に咲きほこる彼岸花はすっかり秋になっているんですけどね~。
植物園の入り口前に秋の七草が展示してありました。
おみなえし、ススキ、桔梗、なでしこ、藤袴、くず、萩。
頭文字から『お好きな服は』と覚えるのがわかりやすいと言われていますね。
サルビアの花が咲いていました。
サルビアを見るたびに、その名の通り『サルビアの花』という歌が浮かびます。
好きな歌でね~。
さっきyoutubeで検索してみると天地真理さんの歌がありました。
初めて聴きましたが、とてもソフトでいいですね。
他には小柳ルミ子さんとか岩淵りりさんとかいろんな人が歌っていますね。
どれもそれぞれに味わいがあるのですが、この曲の雰囲気としてぴったりくる
のは、もとまろでしょうか。
この方が聴き慣れているということかも知れません。
ただ、僕は男性が訥々と歌う方が内容がしみじみと伝わってくるように思います。
高校の頃ラジオで最初にこの歌を聴いたのは作曲者の早川義夫さんのもの
だったような気がします。
歌い方に鬱々とした悶々とした粘着質のものを感じました。
恋愛ってスカッと爽やかとはいきません。
特に失恋した方はなかなか納得できません。
ストーカーになっては困りますけどね。
僕はこの歌詞に共感できました。
その頃は僕も若かったので(^-^;
<サルビアの花>
iPS細胞を開発した山中伸弥京都大学教授。理学・医学賞の分野でノーベル賞受賞か
と期待しましたけど、残念でした。
また村上春樹氏もノーベル文学賞を逃したようです。
お二人ともまだお若いしこれからもチャンスがあるでしょう。詳しいことは知りませんが。
で、そんなニュースをグレープ風味のキャンディーを舐めながらを見ておった時、ハタッ!
と閃く事があったのです。膝を打ちましたがね。ハタッとねー。
味のしなくなったガムを噛み続けようとする時、このグレープの香りふくよかなキャンディー
を舐めるのではなくて、ただ嗅いでおれば、口の中では無味状態のガムと合わさって、
いつまでもグレープ風味のガムを味わえるようになるのではないか。なんて。
この方法のスゴイところはどちらも減らないということで、ガム代とキャンディー代を節約
出来るんです。(ま、せこいけどね・・・。いいんです。)
これは実験しないといけないぞ!っと、一緒にノーベル賞のニュースを見ておった家族に
言ったわけです。
妻と娘なんですけどね。
なんの返事もない。聞こえなかったのでしょうか?
いや、聞こえているのです。ただアホらしくて返事する気にもならない、といったところが
二人の表情に現れておりました。
「女って遊び心がわからんよね。」
昨日仕事がらみで幼なじみのユキちゃんと会ったのだ。
幼なじみといっても親戚の家近くにいた同い年の子だ。
親戚へ行く度に遊んでいた思い出がある。
かれこれ40年振りぐらいになる。
随分と人相も体型も変わっていた。40年という歳月が変えたのだろう。
おそらくむこうも僕のことをそう思っているだろう。
小学校の頃モデルガンが流行っていてギャングごっこや『忍者部隊月光』
ごっこなどをしたものだ。
彼は一人っ子だったこともあってか、高価な玩具を次から次と買ってもらっ
ていて、羨ましく思っていた。
よくこんな遊びをしたよなあ。そんなことがあったよね~
などと、昔話に花が咲くかと思ったが、いまいち話が盛り上がらずに少々
がっかりした。
仕事の話がほとんどで、なんとも味気ない会話を交わしてそれで終わった。
僕の方がよく覚えていて、相手はそうでしたっけ?などと忘れていることが
多かった。
記憶というものは人それぞれの重要度で風化の度合いが違ってくるのでしょう。
それに40年も経てば共通項もなくなるしねぇ~。
そして昨日の夜なのだ。
突如私はとっても重要なことを思い出した。
今日会った彼は確かにユキちゃんだった。
しかし、私がよく遊んだ子はユキちゃんではなくヨッちゃんだ!
一人っ子で私とギャングごっこや『忍者部隊月光』をしたのはヨッちゃんだ。
私はユキちゃんをてっきりヨッちゃんと思い込んで話していた。
やはり親戚の近くだったがユキちゃんとは学年も違うしほとんど遊んだ覚えがない。
遊んだこともないのに親しげに話しを振られたユキちゃんはさぞ面食らったで
あろう。顔ぐらいは知っていた、程度のユキちゃんだ。
それに人相も体型も違って当たり前だ。話もそりゃ合いませんわ。
とんだ大ボケでしたな。
でも、気が付いて良かった。
で、ヨッちゃんは今どうしているのだろう?