パソコン内のフォルダを整理していると、数年前にオークションに
出品して奇跡的に落札された鉛筆画の写真が出てきました。
そう言えばオークションで小遣い稼ぎしてやろう、なんて大胆なこと
考えていた時期がありましたな。
その鉛筆画です。
赤鉛筆も使用してます。
↓
なんか退廃的な絵ですわ。
しばらくバンド活動もお休みですし、この年末年始休暇に、久しぶりに絵を描いて
みようと思いました。気が向いたらですけど。
で、どなたか裸婦のモデルになってやろうという奇特な方はおられませんか?
まっ、おられませんわな、冬やし、寒いし…っちゅう問題やないですけど(^^;
先日買った三菱鉛筆ハイユニアートセットを使ってスケッチ
用紙に描いた絵があるのだ。
最初にしてはまずまずの出来だと思うのだが、それを妻に見せ
たところ、どーもがっかりした様子だった。
「これかぁ~・・・ふ~ん・・・」
夫婦とは言えお世辞のひとつも言えんのかい、と私もガッカリ。
そんなにつまらない絵なのだろうか。
そこでふっと、そうだ、オークションに出して他の人に評価し
てもらってはどうだろうかと思いつき、早速出品してみた。
そして今夜めでたく落札されたのだ。
落札金額は車が1台買えるぐらいだ。(チョロQの車1台ですけど)
金額が問題ではない。(けど、多い方が嬉しいけど)
明日、朝食を食べる時妻に自慢げに言ってやるのだ。
「あの絵だけど、理解してくれる人がやっぱりいるんだなぁ~」
まぁ、1人だけだったけど・・・
まぁ、最初はこんなもんでしょ。
と、またまた絵が出来次第出品してみよう!とちょっぴり嬉しい
夜なのだった(^-^;
今日、NHKの新日曜美術館は佐伯祐三をとりあげた。
こんな絵が描きたいと思わせる洋画家だ。
ブラマンクに出会った以後の彼の絵は素晴らしい!
どこが魅力なのだろうか。
いろいろあると思うが僕は特にそのタッチが好きだ。
荒々しいタッチの割りに神経質そうな線が異様な迫力
を生み出している。
ゴッホにも通じるところがあると思う。
なんだか絵が描きたくなってきた。
と言いながら結局描いてないんだよなぁ。
最後に油絵を描いたのは結婚する前だったから、そっか
もう20年も経っているんだ。
いつでも描けるように道具だけは揃えているんだけど。
こんな絵が描きたいと思わせる洋画家だ。
ブラマンクに出会った以後の彼の絵は素晴らしい!
どこが魅力なのだろうか。
いろいろあると思うが僕は特にそのタッチが好きだ。
荒々しいタッチの割りに神経質そうな線が異様な迫力
を生み出している。
ゴッホにも通じるところがあると思う。
なんだか絵が描きたくなってきた。
と言いながら結局描いてないんだよなぁ。
最後に油絵を描いたのは結婚する前だったから、そっか
もう20年も経っているんだ。
いつでも描けるように道具だけは揃えているんだけど。
昨日のブログのちょっとした続きのようなことを。
モジリアーニにとってジャンヌ・エビュテルヌはモデルであったとともに
画家のインスピレーションを喚起するミューズとしての役目もあった。
画家とモデル兼ミューズの組合せは多い。
レンブラントにはサスキアがいたし、ダリにはガラがいた。クリムトには
エミリー・フローゲ、エゴン・シーレにはヴァリーがいた。
他にもココシュカとアルマ・マーラー、クノップフには妹のマルグリット、
バルテュスと節子、野村克也と野村沙知代、落合博満と落合信子、おっと!
後の2組は野球関係だった。
いずれもその作品とモデルとなった女性の個性が際立つものが多い。
描いたのは一人だが相方との共作だと言えないこともない。
共作どころか、ダリなどは年上妻の積極的な宣伝活動によって広く世に認
められるようになったほどだ。
モデルとして以上に有能なマネージャーだった。
もしかしたらそれよりも神聖かつ絶対的な存在だった。
ガラをモデルとしてマリア像を描いていることからもそれが言える。
カイゼルひげのダリの写真は独善的で気が強そうだが、ガラからしたら
やんちゃな子供のようであったろう。
実際、壁に当たって気弱になるダリを励まし続けてきたのだ。
いじけてべそをかくダリをなだめすかすガラ。
ちょっと想像しにくいが。
(ちなみに落合夫婦もそんなところがあるらしい)
ダリはガラが亡くなってから絵を描くのをやめた。
やめたと言うより描けなくなったのだろう。
ガラの存在の大きさがわかる。
ある種の絶望感かな。
こんなところはモジリアーニの後追い自殺をしたジャンヌ・エビュ
テルヌに似ている。役割は逆だったが。
ただダリの方は死を選ばないで抜け殻のように生きた。
男と女の違いか。
画家とモデルの馴れ初めやその来し方を知ると絵の鑑賞も面白くなる。
「事件の背後に女あり」「画家の目前に女あり」だなあ。
さて自分の描きたい絵、なかなか描けませんなあ。
モジリアーニにとってジャンヌ・エビュテルヌはモデルであったとともに
画家のインスピレーションを喚起するミューズとしての役目もあった。
画家とモデル兼ミューズの組合せは多い。
レンブラントにはサスキアがいたし、ダリにはガラがいた。クリムトには
エミリー・フローゲ、エゴン・シーレにはヴァリーがいた。
他にもココシュカとアルマ・マーラー、クノップフには妹のマルグリット、
バルテュスと節子、野村克也と野村沙知代、落合博満と落合信子、おっと!
後の2組は野球関係だった。
いずれもその作品とモデルとなった女性の個性が際立つものが多い。
描いたのは一人だが相方との共作だと言えないこともない。
共作どころか、ダリなどは年上妻の積極的な宣伝活動によって広く世に認
められるようになったほどだ。
モデルとして以上に有能なマネージャーだった。
もしかしたらそれよりも神聖かつ絶対的な存在だった。
ガラをモデルとしてマリア像を描いていることからもそれが言える。
カイゼルひげのダリの写真は独善的で気が強そうだが、ガラからしたら
やんちゃな子供のようであったろう。
実際、壁に当たって気弱になるダリを励まし続けてきたのだ。
いじけてべそをかくダリをなだめすかすガラ。
ちょっと想像しにくいが。
(ちなみに落合夫婦もそんなところがあるらしい)
ダリはガラが亡くなってから絵を描くのをやめた。
やめたと言うより描けなくなったのだろう。
ガラの存在の大きさがわかる。
ある種の絶望感かな。
こんなところはモジリアーニの後追い自殺をしたジャンヌ・エビュ
テルヌに似ている。役割は逆だったが。
ただダリの方は死を選ばないで抜け殻のように生きた。
男と女の違いか。
画家とモデルの馴れ初めやその来し方を知ると絵の鑑賞も面白くなる。
「事件の背後に女あり」「画家の目前に女あり」だなあ。
さて自分の描きたい絵、なかなか描けませんなあ。