kyon's日誌

つれづれに・・・

師の言葉

2013年01月20日 | 日記
路面が凍ってアイスバーン、除雪が追いつかないわだち・・・所々ガタガタデコボコ揺れながら車に乗ってると、酔ってしまいそうです(笑)
みんなよく運転してるなぁ・・・と。
私の送迎に疲れたのか、娘は夕食後にプチ爆睡。
すまんねぇ~・・・

亭主がマタマタ仕事人やってるでねぇ・・・ちょっと図面が上手いこと納まらないとあ~だこ~だとイライラっぽいので触られない(笑)
そのうち八つ当たり気味になってくるので、家人はだ~れも触らない(笑)
ま、そういう中、
私は一日太極拳三昧で楽しい時間を持てた。ありがたし。
そして、その充実した時間の中でしっかり家の事も母の事もぶっ飛んで癒された(笑)
すまぬすまぬ・・・感謝感謝~だ!

M先生に今年も会えただけで嬉しかったんだが、M先生の師匠お二人が亡くなってしまって、先生的には太極拳はもう終わった気がしたんだとか・・・つまりもう誰も習いたいと思う師が居なくなった・・・と。
けれど、伝えて残さねばならない事だけは伝えて行こうと思いはじめた・・・というような話を指導の中でチラチラと仰った。

例えば、大会なんかでいい点数を取ると、その人がまるで満点の手本のように思ってしまい、その人のまねをしようとするが、そうして忘れられていく技術がある。
それは少々オカシイ。もう教えてくれる人が亡くなっていくのだもの・・と。
総合的な意味でのいい点数なだけで、、、、総てが優れている訳ではないと。

キッチリとやらねばならない技術的な面が端折られたりしていくのは、如何なものかと。
実際の動作過程なんかどうであろうとまぁいい。
けれど、剣の使い方自体に遊びは無い。
ちゃんとした決まり事の意味があるのだということも忘れないで欲しい・・と。

・・・わたし的には凄く納得した。
仰ってる事はもっともだ。
剣は、確かにさばき方、使い方の内容も、意味も違うからだ。
私らは偽物の玩具のような剣を使っているから実際に怪我などはしない。
けれど、これが実践だとしたら、本物の刃だとしたら・・・その使い方の意味の大きさは違ってくるのは当たり前なのだ。命にも関わるのだ。
う~~~むむむ・・・内心、唸りながら私は自分なりの理解をした。

夜、私はとても幸せな自分よね・・・とつくづく思った。
私にはこうして絶対に会いたい、指導を仰ぎたい師がまだ居る。。。。
そしてその師の言葉の重みも少しは分かるようになってきて、師の思う通りにはまだ動けないかもしれぬが、その師のお陰で次も精進しようと思える幸せがある。
なんと幸せな事か。
この師の言葉の意味が分からなかった頃、一年後だったり数年後に分かった時の感動や嬉しさ・・・思い出したね~・・・
大げさに言えば、私には人生の師匠でもあるような存在の師だ。
その師から貰った意味が、今も太極拳をする時の指標になっているのも事実。
凄い人は本当はもっと凄い深さを持っているのかしらねぇ~・・・

今日も一日、その幸せな時間を遊んで来よう~(^^ゞ
これは、わたし的にはちょっとしたご褒美みたいなもんなのだから(^^ゞ
コメント (4)
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