kyon's日誌

つれづれに・・・

「とんび」

2013年01月28日 | 日記
朝のニュースで成田空港の雪模様が映る・・・
あぃやぁ・・・
首都圏内も雪が舞っている風だったなぁ。
寒いわな・・・

寒いは「淋しい」から「さぶしい」→「寒い」に転化している・・・なんて、ホンマかどうか分からんが、ドラマ「とんび」でお寺の和尚さんが説教した場面で語られてたな・・・。
何だか信じたくなるような話しだ。

母親の居ない幼子が揺れてる。自分だけに母が居ない事に傷ついている。
その子に抱きしめる父の愛と居ない母の愛を説く・・・
父親の抱きしめる腹側のぬくもりと背中側から抱きしめる母のぬくもりは違うが、
お前には背中から温めてやる母が居ない。
けれどわしらの手が背中から温める。わしらが足りなければあのオバちゃんもいる、あのオジちゃんも、皆の手でお前を温める。
だからお前は淋しくなんかない。淋しくて可哀そうな子供じゃない・・・

いやもう、なんか、オバサンの私は泣ける。
泣けて泣けて鼻をすすって泣けてしまう。
ドラマだと思っていても泣ける。うんうんと頷きながら涙が出てしまう。
あ~~~わたしゃこういう場面やドラマに弱いんだよぉぉ~~~(^^ゞ

「とんび」は何度も俳優さんが違って演じられてるが、やっぱり凄い人間賛歌なんだねぇ・・・
どんな役者さんが演じても、そのストーリーが素晴らしくて、私らオバちゃんにはホンに堪える。
人としてどのように生きたいのか、素朴でもこんなに心豊かに生きられる、助けてくれる人々がどんだけありがたいか・・・真っすぐに生きていきゃ~いいじゃんと、
単純に人情話だと笑えない、人の暮らしの真実が潜んでいる。
そこにやられちゃうんだよねぇ・・・。

今の世の中は真っすぐに生きて行く為には暮し難い時代だと、時々思う。
どこかしら人の心も歪んでる。

こういう例えはふさわしくないかもしれぬが、
テロで犠牲になった方々が少なからず持っていただろう仕事への情熱・・・
そういう情熱、熱意、希望・・・
テロ集団に落ちたその人々にだって、幼い頃はあったはずだし、一滴の愛も真実もあったかとは思うのだが、優しさや正義心が続かない環境と状況が余りに大き過ぎて歪ませたのだろうなぁ・・・
醜く、痛ましく、その醜態だけを育ててしまった。
自分がどのように育とうと、だから人を殺してもいいという理屈にはならない。
自分の自我を育てたのは最終的に自分なのだ。
誰かのせいにしたり、世の中のせいにしたり、何かに転化するのは楽なのだ。
ん~・・・自分を責め過ぎないように人は出来ているんだろう。
防衛本能が自分を壊さないように。。。

人は逝く時はあっけなく逝く・・・
強い生命力がそれを救う事もある。運が味方する時もある。
けれど、逝く時をテロのその殺人者に決められていいはずがない。

何だか、私も簡単に正義を振り回しているような言い方だけど、
何度か人の死に遭って、凹みそうになるんだ。
今じゃないだろう~って、何度思ったか。
こうして、社会的にも惜しい方達が亡くなると、自分は誰かの役に立っているんだろうかと凹むことがある・・・
思っても、やっぱり生きてるからなぁ・・
腹がすいたらご飯を食べるさ。。。。

こんな自分にも、これからやらねばならない少しばかりのお役目もある・・・
なんて、ドラマからあれこれ・・・ちょっと真面目に考えたのさ・・・(^^ゞ
コメント (6)
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