縦16,5センチ、横幅14,5センチの小ぶりの女面である。この面は、当初、茶色っぽい肌色で、のっぺりとした表情の少ない仮面であった。それゆえ、神楽の場面で使われたかどうかも定かでなく、展示品としても、民俗資料としても無価値のものとみられていた。その扱いも粗末なもので、段ボールの箱の一番下に置かれたまま長い年月、私どもの行く先々へ連れまわされたものである。今回、修復するにあたって、まずその茶色がかかった表面の塗料を剥がす作業から着手した。が、なかなかその塗料は頑固ではぎ取りにくく、刃物で削ると下地に傷が付いた。それで、大雨の日、軒から落ちる雨だれの下にしばらく置いてみた。すると、表面の塗料が見事に剥げ落ちて、下地の胡粉が現れてきたのである。そこで、新たに胡粉を塗り、手で丹念に撫でつけて仕上げると、なんと、かわいらしいアメノウズメノミコトの面が立ち現れたのである。これこそ、神楽「岩戸開き」で、岩戸の前で半裸の舞を舞い、太陽神・天照大神の再来を促し、「天孫降臨」の段では、天孫・ニニギノミコト一行の前に立ちふさがった怪異な先住神・猿田彦の前に立ち、女性の魅力で心を開かせた古代の女性シャーマンを髣髴とさせる女面であった。ここにまた一つ、大切な資料が追加された。ちなみに、この面は、小ぶりではあるが、十分に使用に耐え得る。顔面に付けると、その眼の穴から、たしかに、神気の漂う外界が見えるのである。
この黒い女面(20センチ×12,5センチ)も、上記のウズメ面と同じく、展示資料としての価値が認められていなかったものである。木地はかさかさに乾いて、塗料も剥げ落ち、仮面というよりも一片の木片に近い存在であった。だが、たしかに女面の要素は残していた。面長の顔立ち、ところどころに残る黒い顔料。それらを復元すれば、元の姿を確認できるのではないか。修復は、このような軽い動機で始められた。墨と顔料、染料を混ぜた自製の黒の絵の具などを塗り重ね、最後にオリーブオイルで拭き上げ、一晩寝かせて翌朝見ると、そこにはもの思わし気な表情をした古代の女性シャーマン「黒神子」を想起させる女面が復元されていたのである。
「黒い女面」は、多くはないが各地の神楽に点在する。「黒神子」という呼称は、網野義彦氏の調査資料に数行ほど記録されるにとどまるまことに心細いデータだが、古代の女性シャーマン「卑弥呼」やその系譜をひく女性芸能者、「歩き巫女」と呼ばれた漂泊の呪術者、そして神楽に出る謎の黒い女面の神などが、女性芸能の源流に至る道筋とその謎を解く鍵を秘めていると仮定して、私は調査を続けているのである。現段階ではあくまで仮説にすぎないが、いずれ確たる資料が見つかれば、定説となりうる推論だと私は確信しているのである。この黒い女面もその一例に加えておこう。