イベント神楽を目の敵のように私は非難するが、それには根拠がある。
最近、さまざまな場面で開催されるようになった「イベント」としての神楽では、各地の神楽を招き、一曲か二曲を上演し、次の神楽座へとバトンタッチする。出演するどの神楽座もその神楽を象徴する番付を披露するから、一曲ごとに激しい舞やその神楽のクライマックスシーンが続き、全体としての連続性が消えて、騒々しいものとなる。村の神社や民間で奉納される時の、神秘性は消えるのである。これにより、神楽に対する誤解が生じる。
「神楽って、長くて退屈で、なんだかわけのわからないものなのね」
という一般的な印象と感想。神楽の将来にとってこれほど危険なものはないではないか。自然界の精霊を招き、村人や参拝者が八百万の神々と食を共にし、一夜、交歓の時を過ごす。その謙虚で神聖な儀礼が神楽の本義なのである。勘違いを正すためには、誰かがものを言わなければならない。私は嫌われ者になってもいいから、このことだけは言い続けようと思う。
「高千穂夜神楽御祭」は、昨年から今年へかけて宮崎県で開催された「国民文化祭」の最後を飾るイベントとして、大きな会場で開催されることが予定されていたが、コロナ過の影響で規模を縮小し、高千穂神社の神楽殿で開催されることとなった。しかも、全国各地の神楽を招くことが困難な状況となったので、招待された神楽座は近県の二座だけで、その他の演目は高千穂神楽が受け持つこととなった。これで、熱心な神楽愛好家が顔をそむける「イベント神楽」の色合いが消え、本来の神楽の姿に近い奉納となったのである。
高千穂神社の神楽殿は、およそ50年前に台風で倒れた神社敷地内の神木を利用して建てられたもので、以後、「観光神楽」として高千穂神楽を上演し続け、世に高千穂神楽の存在を知らしめ、現在の神楽隆盛の基盤を築いた企画であった。この事業を推進した後藤俊彦宮司の先見の明と、それに呼応した高千穂地域の神楽伝承者の皆さんの熱意と継続性に最大の敬意を表しておこう。
高千穂神楽は、山岳に囲まれ、神の国として歴史を刻んできた高千穂地方を代表する神楽の総称である。町内のおよそ20の集落でそれぞれ氏神を民家や地区の公民館などに迎えて奉納される。秋の実りに感謝し、来年の豊穣を祈願するため神々に三十三番を奉納するのである。日中から夜にかけて12番~20番程度を上演する「日神楽」、夕刻から翌日の朝まで、夜を徹して上演される「夜神楽」がある。
「高千穂夜神楽御祭り」当日は、午前中に氏神降臨の舞「杉登」と弓矢の呪力で悪霊を鎮め五穀の豊穣を祈る「弓正護」、海神の水徳を讃え水源の安定と稲の豊作を祈願する「住吉」の舞が舞われた。各地区の伝承者たちが、それぞれの地区の神楽に伝わる一番ずつを奉納し、次につないでゆくのである。そのため、高千穂神楽が連続して舞われるという通常の神楽に近い形が実現した。イベント神楽との違いとはこれである。
午前の部の最後に高千穂・秋元神楽の「住吉」が奉納された。秋元神楽には、私は30年も前から通い続け、伝承者の皆さんとも親しく交流してきた。思いがけなく一年ぶりの再会を喜ぶことができ、さらには高千穂神楽の中でも最も美しいといわれる「住吉」の舞である。四人の舞人が、朝の素襖を纏い、静かに鈴を振り、神楽歌を歌いながら舞う。次に素襖を脱ぎ、小幣を採って舞う。素襖を採り、激しく振りながら舞う所作も入る。
――吹けばゆく 吹かねばゆかぬ むら雲の 風に任せて身こそ安けれ
――住吉の 松に小鳥が巣をかけて いかに小鳥の 住みよかるらん
と神楽歌が歌われる。
高千穂神楽には、平安時代にはすでに成立していたとされる神楽歌が歌い継がれている。たとえば、神楽の最初に舞われる「太殿(たいどの)」では、神楽座の座長格の奉仕者どん(舞人=祝子などと呼ばれる神楽の伝承者)が太鼓を打ちながら
――鳴り高や 鳴り高や せい静かなれ・・・・
と歌い始めるが。これは平安時代に宮中で舞われた「御神楽(みかぐら)」の「人長(にんじょう)」の舞の出だしと同一のもので、騒がしいぞ、皆の者、静まれという神楽の場を鎮める儀礼のひとつである。上記「住吉」の「吹けばゆく・・・」も平安~中世へかけて歌われた神楽歌に類歌がある。「松に小鳥が・・・」の歌詞は、江戸期に著された「狂言記」に同曲がある。狂言は中世にはすでに確立しており、それを江戸初期にまとめたものが「狂言記」であるから、これも古歌の一つに数えられるだろう。
優美な舞とともに流れる神楽歌が、秋元集落の夜景の中に私を運んでいった。
午後の部は、球磨神楽・豊前神楽(午前の部と同じ舞)に続いて、高千穂神楽の勇壮な太刀の舞「岩潜」、薬学と芸能の神・少名彦命が舞う「八鉢(やつばち)」と続いて、「雲下ろし」が最後を飾った。「雲」とは、御神屋の中央に下げられ、その下で夜通し神楽が舞われる「天蓋」である。この天蓋こそ、宇宙星宿を表し、神楽はその下で一夜舞い継がれるのである。舞い進むにつれ、天蓋の上部から、五色の幣が舞い落ちる。それこそは万物の種子を表す「ものだね」であり、神楽の本義を象徴する設えである。
――いにしへの 天の岩戸の神かぐら 面白かりし末はめでたし
高千穂神社と神楽殿が立つ神域は、樹齢数百年の巨樹に覆われている。
五穀を表す五色の「ものだね」は華やかな吹雪のように神楽成就の場に降り注ぎ、神楽歌が神の森へと響いてゆく。
*今回も緒方俊輔氏のフェィスブックから写真を拝借。