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森の空想ブログ

日ノ御子・天中姫宮・魔法巫女・御子神・ミコ神・神子・巫女などについて 

日ノ御子・天中姫宮・魔法巫女・神子・ミコ神・巫女などについて [物部川流域の祈祷神楽「いざなぎ流」を訪ねる旅(12)]



物部川中流域に「日ノ御子」という地名がある。川向こうの丘陵地に集落が見え、大きな吊り橋がかかっている。集落の背後は大きな山脈へと連なっている。地図で見ると、その山の向こうは祖谷渓である。だが、平家の落人伝承を伝える祖谷地方と山のこちら側とがどの程度交流があったかはわからない。今回の旅でその集落へ行くことはできなかったが、最後の夜の宿となった民泊のおかみさんがその「日ノ御子」の出身だということだったので、少し驚いた。彼女のお祖父さんはいざなぎ流の「大夫」であり、さまざまな祭儀を行なっていたという。彼女は中学校卒業とともに村を出たから細部は知らなかったが、物部川中流域にまで、いざなぎ流が分布していたことのわかる話であった。
この日ノ御子(ヒノミコ)は地名であり、いざなぎ流の秘儀や起源などと関連しているかどうかはわからない。



いざなぎ流の始祖伝承には天中姫宮と魔法巫女という二つの女性シャーマン伝承がある。平家の落人の姫君という「魔法巫女」についてはすでにふれた。
「天中姫宮」とは、「いざなぎ祭文」によって伝えられる女性シャーマンの物語である。長い祭文を要約すると、姫宮は「米占い」を会得していたが「祈祷」の式を知らなかったので、はるばる「天竺」へいざなぎ様を訪ね、その法を学び、習得していざなぎ流の祖となった、というものである。すなわち「いざなぎ流」は日本の国産みにかかわるイザナギ・イザナミ伝承とは別系統のものである。



この二つの伝承が、「いざなぎ流」の種々の祈祷や祈念、呪的祭儀などの神秘的な儀礼と混交しながら、「いざなぎ流の始祖は女性シャーマンである」というふうな概念で捉えられるケースが多いらしいが、小松和彦氏は、「それは危険である」と言っている。事実、今回の企画「いざなぎ流の原像『博士』を求めて」に集まった参加者の中には、いわゆる「神がかり系」と呼ばれる妖しげな人たちがかなり多く混じっていた。それは「精神世界・神秘主義・心霊主義・神智学・死後の世界・シャーマニズム・臨死体験・ヒーリング・超能力・占星術・超古代文明・妖怪」などの価値観を探求する一群の人々のことで、 その人たちが集まると独特の妖しい雰囲気が漂うことは、最近の宮崎の神楽でもみられる現象である。長い髪を後ろで結び、ぞろりとした服装で岩笛を吹いたり、胡坐を組んで瞑想したり、巨樹に手を当ててなにかを受け取っているようなしぐさをする。自分は神様に一番近いところにいる、あるいは神様と交信することができる、と信じ込んでいる輩である。神楽の場で「神様はいまどこにいますか?いつ降りてきますか?」という質問を繰り出されて、私は辟易したことがある。小松先生が危惧するのは、このような社会現象の中でいざなぎ流が把握されてしまうことの危険性であろう。私も同感である。いざなぎ流とは、決して妖しい宗教でも特殊な風俗でもなくかつては日本列島に遍く分布していた、山に生きる人々の生活の骨格をなす信仰世界であり、「神楽」であった。




本題にもどろう。
「天中姫宮」と「魔法巫女」は女性であり、古代の女性シャーマンの姿を髣髴とさせるが、「御子神・ミコ神」とは「御崎(オンザキ)様」と同様の神格をもつ祖先神・屋敷神のような神様である。「神子(ミコ)」は「博士(はかせ)」「陰陽師」と同系の祭儀を行なう神職・祈祷師のような存在で大夫に次ぐ位置づけのようであり、男性である。巫女は、現在もみられるような神社に奉職する神職・芸能職である。
このようにいざなぎ流には「ミコ」という呼称の神様・神職だけでも幾つかの系統に分かれ、複雑化している。

今回の「いざなぎ流の原像『博士』を求めて」の「オンザキ様の神楽」上演の「舞神楽」の場面では、いずれも巫女の装束を着けた年配の女性、中年の女性、若い女性の三人が舞人をつとめ、ごく自然にふるまっていた。年配の女性は大夫さんたちに混じって御神屋の脇に立ち、御幣を振り続けていた。中年の女性は年季の入った舞い、若い人は艶やかな舞い振りを見せた。いずれも伝承者不足を補う動員ではなく、若い頃から日常的に「いざなぎ流の神楽」を勤めていたと思われる所作であり、身のこなしであった。女性の参加を厳しく制限する宮崎の神楽にはあまり見られない光景である。天中姫宮や魔法巫女さらには宮中の芸能職・猿女君の伝統などが混交しながら伝えられているのかどうか、この辺りは、日本の女性芸能の歴史とあわせ、今後、慎重にみてゆきたい事例である。
ちなみに高知県立歴史民俗博物館の梅野光興氏が、中世の「巫女」といざなぎ流の「巫女」との比較を試みている。それによると、曲げ物(盆か膳であろう)の上に米を乗せて占いをする巫女(春日権現絵巻)、鼓を打って米占いをする巫女(同)、弓を用いて祈祷をする巫女(職人絵歌合)、弓と米を用いて占いをする「いちこ」(江戸職人歌合)、米を乗せた盆の前で占いをする「笹ハタキと呼ばれる市子(巫女)」(日本巫女史)、米、お金、木の枝(弓と思われる)、錫杖の前で仏おろしをする東北のイタコなどの事例を上げ、いざなぎ流祭祀との共通項をさぐる試みをしているのである。今後の進展が期待される研究である。

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げすめがね
女性は陰陽術むきですか?
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