森の空想ブログ

五ヶ瀬川源流域の神楽【宮崎神楽紀行<22-6>】

11月13日、五ヶ瀬町「神楽の祭典」を見に行った。このイベントは、同町・鞍岡地区の複合型交流体育施設で開催されたもので、上演時間も四座の神楽座で3時間という短縮されたものだったから、それぞれの集落の神社や神楽宿などで奉納される神楽と同質の感動を求めるのは無理なことはわかっているが、五ヶ瀬川源流域に分布する四つの神楽を通観できる貴重な機会なので、出かけたのである。五ヶ瀬川源流地域については、この夏以来、産業廃棄物処理場建設問題で議論が沸騰しており、私も何度か現地を訪ねている。そしてその地域が、阿蘇地方と高千穂地方の境界にあたる位置にあり、二つの文化の影響を受けながら発展して来た歴史を持つこと、豊な山と森に抱かれ神楽と五ヶ瀬川の水神信仰などの儀礼・信仰形態を伝える地域であることなども確認し、認識を新たにしたのである。視点を神楽に絞ってみると、スサノオノミコトの大蛇退治を主眼とする出雲神楽系に属する阿蘇地方の神楽と天岩戸神話を目標とする岩戸神楽系の高千穂地方の神楽とは明らかな様式の違いがある。そのどちらの系統に分類されるべき神楽なのかを再確認する機会でもあった。

*写真は順不同、当日の案内チラシからスキャンして転載。

実見すれば、この地方の神楽は高千穂様式、すなわち「岩戸神楽」の系統であることがわかる。御神屋の設え、切紙(えりもの)、太鼓と笛、神楽歌、舞い振りなどすべてが高千穂神楽と同様式なのである。しかしながら、神楽ごとの違いもある。それは高千穂地方内でも秋元神楽と隣接する黒仁田神楽の違い、秋元・黒仁田を含む向山地域の神楽と隣町の日之影・大人神楽との共通項と相違点、これらの周辺部の神楽と高千穂神社を中心とした中心部の神楽との比較など、ほぼ同じことがいえるので、伝承地域ごとの起源と特色を保ちながら伝承されてきたものであると把握すればよいだろう。

*以下の写真は筆者により当日撮影。

以下に、当日の案内チラシに記された神楽座ごとの伝承・特色などをいずれも原文のまま採録する。

【鞍岡祇園神楽】

祇園神社に伝承されている鞍岡祇園神楽の歴史は古く、延喜式内の古我武例神社の広庭で舞を舞ったのが始まりとされる。1185年、壇ノ浦の戦いに敗れた平家一門は九州山地に逃避行を重ね鞍岡の地にたどり着き、それからさらに山深くを探り椎葉に分け入った。この時、平家一族が伝えた京都の伎楽、雅楽、伊勢神楽などが伝来の神楽に浸潤し、時の進展とともに独特の体裁を持つ神楽となる。神楽の調子は、白岩山の秘境に育つクルミの木を胴にして、奥山で獲れる鹿の皮を張り、麻の細綱を以て両端を引き締めた太鼓と、篠竹に穴をあけて作った笛、そして手拍子による都調子の音と妙なる調べが独特の神楽リズムとなって鞍岡神楽が形成されたと伝えられている。

・鞍岡神楽「弓神楽」と「山の神」

【古戸野神楽】

室町時代、この地の地神楽と岩戸神楽を合わせて奉納し祭祀を行っていたが、何度か再興される過程で伊勢神楽が混ざり合ってテンポの遅い6調子神楽となり今に至る。「天野岩戸開き」がこの神楽の起源であり、五穀豊穣、家内安全を祈願して舞われていたが、大正7年より火鎮祈願を合わせ、今では交通安全も入り、夜神楽祭が執り行われている。

・古戸野神楽「五穀成就」

【桑野内神楽】

桑野内神社が土生(つちはえ)に移転したのが明治3年、さらに、現存する明治初期の舞衣に「明治3年」と記されていることから、平行して桑野内神楽が始まったとされる。他の神楽より「般若面」が多く使用されており、テンポが速いのが特徴。後世まで伝えるため地域ぐるみで伝承活動を行い、後継者の育成に力を入れている。春・秋に桑野内神社の例大祭で、1月には五穀豊穣、住民の安泰を祈念し夜を徹して奉納を行なっている。

・桑野内神楽「四人武智」

【三ヶ所室野神楽】

明治中期、室野地区と赤谷地区の中心にある金毘羅山の祭典に神楽を奉納するため、室野地区の初代甲斐民の助氏が古戸野神楽を伝承。発足以来、毎年11~12月に各民家回しで五穀豊穣、家内安全を祈願して夜神楽が行われてきた。あるときより衰退・空白が続いたが、昭和47年、津花トンネルの開通式において神楽奉納の依頼があり、再結成され現在は宵神楽として奉納されている。

・三ヶ所室野神楽「神おろし」

以上により、この地域の神楽がその起源を平家の落人伝承とともに持ち、室町期の伝承、高千穂神楽の様式との習合などを経ながら伝承されてきたものであることがわかる。都ぶりの神楽の流入時期にはすでに「地神楽」という神楽が伝承されていたとする記述も見逃せない。この神楽群は、1000年~800年前までその起源をたどることができる貴重な資料の集積なのである。

鞍岡地区の背後にそびえる祗園山(標高1307メートル)一帯からは、シルル紀中期(約4億2千万年前)の化石が見つかる。その祇園山の山麓を流れる川は国見岳の西麓から流れ下る大河・五ヶ瀬川の源流部である。国見岳は広大な椎葉の山脈に連なっている。

三ヶ所川は五ヶ瀬川の支流の一つであり、諸塚の山脈に連なる。諸塚と五ヶ瀬を結ぶ山岳の道をかつて民俗学者・宮本常一が歩いている。桑野内地区の上手には蘇陽峡があり、やや下流で東竹原地区から流れ出る川走川とともに五ヶ瀬川に合流している。この地区に「さざなみ三郎水神」が祀られ、三ヶ所川の廻渕に雑賀(さいが)小路安長、東方は日之影川(見立川)に川詰神太郎、南方が七折川(綱ノ瀬川)に綱瀬弥十郎、中央に本流の三田井・高千穂峡に御橋久太郎が祀られていることは先述した。高千穂神楽には海神の水徳を称え、水源の安定と五穀の豊穣を祈願する「沖逢」「住吉」などの演目が組み込まれている。五ヶ瀬川源流域の神楽が、古式を伝え、地域の特性と密接に関連していることがわかる。

この神域ともいえる地域に産業廃棄物を埋め立てる事業は、やはり根本から見直すことが必要だろう。

 

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