今回の小さな旅が、文字通り、お二人の人生最後の釣行となったのである。

詩人の冬留さんは、穏やかに釣る。ヤマメ釣りを始めた時はすでに70歳を過ぎていたが、北海道で少年期を過ごし、お兄さんが魚篭一杯のヤマメやイワナを釣って来たのを見たことがあるという経験と、若い頃から山登りで鍛えた足腰にものをいわせ、良く谷を歩いたことで、すぐに上達した。想定外の距離を遡行していて驚いたことが何度もあるが、総じて、穏やかな釣りである。悠然と竿を振り、流れ行く水と対話している。川辺で手帳を開き、長い時間、空や山の果て、谷間の景色などを眺めていることもある。これもまた釣りである。

奥様の美絵子さんとは、「神楽」と「仮面」をめぐる旅の途上で出会い、ご一緒する機会が増えた。ご主人を川に見送った後、自分も入渓するが、かなり厳しい流れに立ち込んで釣っていることもある。そして、思いがけない釣果をあげていることがある。三人でアジアの奥地を歩いたこともある。多くの思い出があるが、それはこれから発酵して、それぞれの心の中で新しい物語を育んでゆくことだろう。

冬留さんが、80歳を迎えることを機に、お二人は竿を置く決心をしたのである。
私は、冬留さんが25センチを超える大物を釣り上げる腕前になり、釣り姿も美しく整ってきたので、老境に入ったらそれなりの釣り方があると思っていたのだが、この選択もまた正しいと思う。渓流では、急な増水、予期せぬ転倒、蜂の襲撃、蝮の潜む藪などの危険が至るところに潜んでおり、大きな事故を誘発する例も多い。良い時期に、きっぱりと竿を置く、それもまた釣りの極意の一つと心得ておこう。冬留さんの釣り方や竿の置き方から学んだことは多い。

・古民家を改装した宿と蕎麦の花
渓流釣りの楽しみの一つに釣り宿での釣り談義が上げられる。釣り師のほら話のばかばかしさは、釣りに関心のない人たちには耐えがたいものだが、仲間同士での自慢話はまた格別なものがある。しばしばサイズが誇張され、逃がした魚の大きさを比べあうのであるが、それはそれでやはり楽しい。
釣り宿といっても、私たちの泊まるのは山の中のコテージや古民家を改装した宿、農家民宿などであり、それぞれに風趣がある。山菜や釣ったばかりのヤマメを料理したり、猪肉が手に入れば猪鍋を囲む。宿の主との交友も嬉しい。
冬留さん、美絵子さんのお二人は、釣りの前日、または釣り終えた日に我が家(九州民俗仮面美術館)まで足を伸ばし、一泊する。釣り談義に加え、神楽の話や仮面論に花が咲くのである。そして一晩、仮面の展示室に泊まって次の目的地へ向かう。
宿では、テレビや新聞を見ていた冬留さんが、怒りだすことがある。それは概ね、政治の状況や災害への対応、「原発」を巡る経緯などである。
「ニュースを見ることが不愉快な世の中になってしまった」
と温厚な冬留さんが慨嘆し、怒りの言葉を発するのである。それは多くの庶民の感覚と同質のものであるが、詩人の言葉は鋭い矢となって放たれ、心にしみてくる。
そんな冬留さんが、谷から帰ると
「今日一日、不愉快なことは一切、頭に浮かばなかった」
と笑う。これもまた釣りの効能である。私はこのことを
「怒れる詩人の谷」
というタイトルで深く掘り下げて書こうと思ったこともあるが、それはやめておく。詩人は、すでに竿を置いたのである。


最後の釣行から帰った日、冬留さんと二人、前庭で火を焚き、炭火を熾してヤマメを焼き上げた。それを老母(86歳)が年季の入った腕前で甘露煮に仕上げた。それが、「サシバ(鷹)の渡り」を見るために、翌日の早朝出発したお二人への手土産となった。