予定より早く終わったので、午後、犬飼・三重・竹田・高千穂経由で宮崎へ帰った。高千穂越えの峠でクロモジ、コブシの花びら、村はずれでレンギョウの花枝などの薬草を採取。清新な山の空気が、心身を爽快にしてくれた。それから高千穂・天岩戸温泉でゆっくりと湯に浸かり、高千穂の山脈を眺めた。湯気の向こうに、雨上がりの霧が流れる山々が見える。北方に祖母山から親父山、障子岳、古祖母山へと連なる山脈。南は、傾山から新百姓山を経て日之影・延岡方面へと続く広大な山塊。この一日の行程が、この山脈の東側から西側へとほぼ一周するコースだったことが実感された。
前々回、高千穂山系の「熊塚」について書いたので、補足しておこう。
この地方では、熊を一頭獲るごとに「熊塚」を建てて供養したという記録が残る。月の輪熊は山のオヤジとも呼ばれ、神格化された存在であった。高千穂の親父山とは、熊が多く棲息した山を表すという。
私は、この[九州脊梁山地・山人の秘儀と仮面神]シリーズ<10>(2018年01月10日)で、「九州の月の輪熊はいると思う」と書いている。要約して再録する。
九州の「月の輪熊」は昭和16年(1941)の射殺例を最後に「絶滅」が宣言されたが、その後昭和62年(1987)に祖母山系で猟師によって射殺されたり、目撃談が時々出たりしている。そのつど、関係機関が調査団を出しているが、確認例はないとされる。が、私は、九州の月の輪熊は「棲息している」という実感を持っている。この感覚は、猟師の〝勘〟に似て、時々外れるが、あたることのほうが多い。
一週間ほど前に「熊塚」があるという山を源流とする沢に入り、ヤマメを追った。釣果はゼロだったが、かつて熊が棲息した地域に分け入り、その山中を歩いているという実感は得られた。そこには険しい山の斜面を切り開いて生活した人々の痕跡があり、「サンカ」にまつわる伝承も残っていた。山と獣と人とが、近接して暮らしていた場所。その地こそ、精霊たちの原郷であった。
九州には、「禽獣供養塔」と呼ばれる「塚」または「石塔」の存在が確認されている。大分県の由布院や佐賀県の背振山脈など。がその分布地である。禽獣供養塔は、猪・鹿を千頭仕留めた猟師が塚または石塔を建ててその霊を鎮め、祀り、それを機に猟師を辞めたという伝承が付随する。猪・鹿千頭に対し、熊は1頭ごとに祀られるのであるから、格が違う。
米良山系の神楽には、「猪」を祀る習俗が分厚く分布する。尾八重神楽に先立って行われる「猪鹿場(ししば)祭り」は千頭塚の習俗と関連する事例である。
その詳細は次回。

*写真と「熊」に関する資料は碓井哲也著「木地師・熊・狼」(鉱脈社/2012)より。