花菖蒲、あじさいの季節です。毎年 きれいな花を咲かせる東大阪市内にある 花園中央公園の様子を見てきました。あじさいは7分咲き程度、花菖蒲は満開を過ぎていました。
梅雨の合間、雨の降っていない時でしたので、樹木の緑が深めで、花の鮮やかさが引き立っていました。
それにしても、雨の季節には雨に似合う花が咲き 自然の世界はすばらしいと思います。この季節、どちらか言うと青い落着いた雰囲気の花が多いですね。
【写真は 東大阪市・花園中央公園で (左)あじさいの向こうは生駒連峰 (右)あじさいの向こうは花菖蒲 】
5月21日に引き続き、また堺へ行ってきました。あれからずっと 堺事件を調べています。司馬遼太郎の「俄(にわか)」、森鴎外の「堺事件」を読み終え、今、大岡昇平の「堺港攘夷始末」を読んでいます。
以前、行ったときに堺事件で死んだ11人の墓を見落としていました。切腹した11名は宝寿院に埋葬されたのです。妙国寺は切腹の場所にされるのも 良い気がせず、ましてや天皇直願所として有名な寺院内への埋葬を断ったのです。このあたりの様子は司馬遼太郎の「俄」の中に 見てきたように書いてあります。
宝珠院は道を隔てた隣にあり、今は幼稚園となっている園の域内に11人の墓が立っています。幼稚園の遊具などで囲まれていました。
時代の流れに翻弄され、切腹させられた11名は さぞかし残念だったと思います。今は幼稚園の園児たちの歓声に囲まれ、ゆったりした気持で眠りについていることでしょう。
【写真は 大阪府堺市内の 宝寿院で 11名の墓を示す石標と 幼稚園内にある11人の墓(ちょっと見えにくい)】
高齢者講座終了者のハイキング仲間で大阪市旭区の城北公園へ行きました。花菖蒲は満開でしたし、多くの人たちが花をめでるために来ていました。
守口からスタート、この城北公園でお昼、そのあと 川を渡って対岸を歩いて東淀川区柴島の水道記念館まで、暑い中を歩きました。
花菖蒲を見て 話題になるのが「菖蒲、あやめ、かきつばたの違い」です。今日も話題に出ていました。公園の一角にその違いを示した表があるのを見つけて写真を撮っておきました。
この表の写真撮影を見ていたO島さん! きょう入園時に頂いた城北菖蒲園のパンフレットに違いを示した表が載っていますよ。それを見てくださいね。
【写真は 大阪市旭区・城北公園で 満開の花菖蒲と花を見る多くの人たち】
先日、京都市内南禅寺近くの無隣菴(むりんあん)を見てきました。ここは山県有朋の別荘でした。この庭園は平安神宮の庭園など 多くの庭園を手掛けた小川治兵衛の作です。
無隣菴は庭園の洗練された美しさで有名ですが、庭園内にある洋館2階の部屋で、日露戦争開戦直前の我が国の外交方針を決める「無隣菴会議」が開かれたことでも有名です。その場所を見た時、日本の将来を決定する会議が行われたことに思いを馳せ、感慨もひとしおでした。
日露戦争の勝利が神風が吹くとか、我が皇軍は負けることが無いとか、十分な分析もせずに大陸、南方洋上などへ勢力を展開し、最終的に太平洋戦争へ突入して行ったと、その原因の源は日露戦争の勝利だったと、司馬遼太郎が「坂の上の雲」の最終章で述べていることも思い出しました。
【写真は 京都・無隣菴 (左) 和室から庭を眺めた風景 (右) 洋館2階にある「無隣菴会議」が行なわれた部屋】
無隣菴会議・・・明治36年(1903)4月21日に山県有朋(元老)、伊藤博文(政友会総裁)、桂太郎(総理大臣)、小村寿太郎(外務大臣)の4人によって日露開戦問題、その後の我が国の方針などが話し合われました。
暑い日が続くようになりました。日差しは もう真夏の雰囲気です。伊丹の歴史を訪ねてみました。阪急・伊丹駅とJR伊丹駅のあいだあたりは昔、有岡城があった場所で、今もところどころに石垣などが残っています。
有岡城の城下町を形成する商店街は美しく整備されていて、事業所の外観も周囲の景観に配慮し、和風の屋根瓦、白壁などを多用しています。
伊丹郷町館という場所があり、古民家が修理復元・保存されています。先の阪神淡路大震災で倒壊しましたが、古材をできるだけ使いながら鉄材などを組み合わせて復元してありました。
それにしても、日差しが強く 暑い日でしたが、古民家の中には凉を感じさせるやさしい心遣いを見受けました。その一部を写真で紹介しておきます。
【写真は 伊丹市郷町館・ 旧石橋家住宅内の涼を感じさせる心遣い (左)ツツジの花を水に浮かべてありました。(右)かわいいこけしが書院窓にそっと置いてありました。】
「街道テクテク旅・熊野古道をゆく」というNHKの番組があります。 泉南市を歩いている様子が放映(再放送)されているのを見たとき、ここは行ったことがある!と思い出しました。
「信達(したち)宿本陣」、「由緒ある藤棚」のテレビ画面を見て、以前行ったことを思い出したのです。 景色などと共に立て札、説明文なども写真に撮ってありましたので、再度読んでみました。あの藤棚は樹齢30年で、鉢植えを買ってきて大きく育てたそうです。大きく育った藤が「大阪ミュージアム構想」にふさわしいとして 橋下知事から認定証が授与されています。
藤には「野田藤」と「山藤」があって、野田藤のつるは右巻きだと現地の説明板に書かれています。大阪市内の野田に野田藤がありますが、野田にあるから野田藤だと思っていました。もしかしたら野田藤があるから野田なんでしょうか。
【写真は 信達宿本陣跡と 立派な野田藤 いずれも泉南市内で 2009年9月撮影】
NHKの「街道テクテク旅・熊野古道をゆく」はhttp://www.nhk.or.jp/tekuteku/ に詳しく載っています。
それにしても、児童の親たちの写真撮影の熱心なことに 感心しました。脚立を持ち込んで撮影するのは知っていましたが、その脚立の高さが年ごとに高くなっているようです。
本当にご苦労さんなことだと思いながら眺めると同時に 自分の子供が小学生の頃、脚立は使いませんでしたが、同じように熱心に撮影していたことを思い出していました。
【写真は 小3が演技中の運動場全景と、高い脚立で撮影中の父兄たち】
今日、若江の戦いのあった場所に建っている木村重成の墓の周りが えらい賑やかなので、近づいてみると墓前祭のようなことをやっていました。廻りには露店も出ています。
関係者に 何で?と聞くと 大坂夏の陣での討ち死にの日に合わせて旧暦で墓前祭を行なっているんだと。
今日は新暦で6月5日、調べてみると 旧暦では4月23日です。 旧暦の5月6日は 今年は新暦では6月17日です。今日の墓前祭の日取り、どういう風に決めたのでしょう・・・・・・・もう少し調べてみます。
【写真は八尾市内にある木村重成の墓前祭の様子 ものものしく幕、旗幟、提灯などで飾られ、たくさんの日本酒などが供えられていました。】
京都市内に面白い展示をしている店がありました。この店で売ってるパンツはあなたのお尻がこんなに素敵に見えますと言ってるような。
25年ほど前、商品企画業務に携わり始めた頃に 商品企画の何たるかを勉強しました。その頃の講師の言葉を思い出しました。「服装を選ぶとき、どれが暖かいかでなく、どれが男前に見えるか、どれが別嬪さんに見えるかで選んでいる」と。更に、「言葉も変ってきている。今、若い人たちはズボンのことをパンツと言ってる」と
商品企画は面白い業務でした。1のものを2倍、3倍に見せるように考えることも必要ですし、一旦決めたら しばらく我慢して続けることも重要なのです。 このKOOさんのENJOY・・・・もそんなことを主眼に書き続けていますが、・・・・どうでしょうか。
【写真は 京都・新京極で見かけた 楽しい展示をしているパンツ専門店】
暑い日でしたが、中之島公園の東端まで行ってきました。説明板に午前10時から午後8時半まで、毎00分、30分に5分間噴水が作動すると書いてありました。公園の東端に着いた時は11時20分でした。「ラッキー!」と木陰で待っていましたがいつまで経っても噴水が出ません。11時40分を過ぎても出ませんでした。
周辺ではこの時刻に合わせて、観光船が近くへ来ていましたが、噴水が出ないと判ると、去っていきました。
それにしても、どうして噴水が出なかったのでしょうか。風の強いときは中止と書いてありましたが、風は強くなかったのに。
【写真は 噴水の設備の真横で水の吹き出すのを待っている人達と 近くで寝そべって待つ人、噴水の近くまでやって来た観光船 】
鳩山首相の辞意表明がありました。一年持たない短期政権でした。辞意を表明する顔つきが、正常な顔つきに見えました。それまでの数ヶ月、大変失礼な表現ですが、首相は眼力を失い、うつろな感じに見えていました。
今後は 新政権に期待することになりますが、民意を汲み取った政策実行をしていただきたいなと思います。
例えば、子供手当ての実現は あまりに金額が高すぎます。子供を持っている人も、それだけの金額を貰って ただ喜んでいるのでしょうか。
普天間の移設問題は結局、元の自民党政権案にほぼ戻りました。マスコミ、評論家などは散々な評価をしていますが、日本国内の世論が基地を歓迎していないことを世界に発信できた効果があったと思います。
やっぱり、今の我が国の一番の関心事は 国家財政、地方財政の正常化では無いかと思います。天下りの悪弊、不必要な諸団体の切捨て、公務員の高給など、庶民の一番やって欲しいことが全然出来ていません。とにかく財源確保を第一に実行・推進して欲しいものです。国民を喜ばせる施策でなく、安心させる施策の推進を望むところです。
【写真は 国会議事堂 1997年6月撮影】