尖閣諸島をめぐる日中の対立問題で、
日本側の一部には、「日本にも悪いところがあった」とする、
信じられない自虐的主張があります。
「石原都知事の買取り宣言が寝た子を起した」
「政府が国有化をしなければ対立は起きなかった」
「過去の戦争を省みれば、中国が怒るのも当然」
このような主張をする人々が、
みな中国に媚びへつらって言っているわけではないようです。
それではなぜ、日本ではこのような他の国ではありえない、
自虐的な主張や論点のすり替えが起きるのでしょうか。
日本人は昔から「和」と「自省」を重んじてきました。
ちょっとしたもめ事は「お互いさま」として譲歩しあい、
大きな諍いになったときは、相手を糾弾するだけでなく、
「自分にも悪いところがあった」とお互いが認め合い、
解決の落としどころを見つけました。
それが狭い国土の中で身を寄せ合い、
人々が円満に生活していくための智恵だったのでしょう。
そして、そう振る舞える人が分別のある大人だと見られました。
したがって、日本人には「諍いごと」に対し、
「喧嘩両成敗」を美徳であるとする意識が染みついています。
「あっちも悪いが、あなたにも悪いところがある」
そう発言することが、いかにも公平で思慮深い、
大人の対応だと思い込んでいるのです。
もちろん、そんな日本独特の精神性が、
中国を始めとする諸外国との外交で通用するわけがありません。
そのような発言をする人々に対し、
彼らを売国奴とか、国賊などといって非難しても意味がありません。
なぜなら、彼らは中国に利することを主張しているつもりはなく、
ただ、「自分は思慮深い大人だ。強硬派は子供の対応だ」
と自己陶酔しているに過ぎないからです。
それでもその主張が、まだ的を得ていれば良いでしょう。
しかし、「国有化しなければ・・・」などといった主張は、
「あと5分早く家を出ていれば事故に遭わなかったのに・・・」
といったレベルの狭窄した願望と妄想でしかありません。
このようなことを大臣を務めるような政治家や、
有名な評論家・学者が平気で発言するのですから情けなくなります。
強盗に押し入られそうになっている家人に向かって、
「強盗に入られるようなことをしている方も悪い」
などとしたり顔で言うことの意味が理解できないのですから。