昨年、103歳で他界した実家の祖母が、
晩年に繰り返して口にしていたのは、小学校の思い出でした。
「算術の成績が一番だったこと」
「学年の成績優良者は表彰され、記念に硯(すずり)をもらったこと」
「お転婆な同級生は、記念品が入った手さげ袋を振り回し、帰り道で割ってしまったこと」
歳をとってからのことは忘れ、
遠く離れて暮らす孫やひ孫の顔はわからなくなっても、
小学校時代のことは鮮明に覚えているようでした。
ひるがえっていま、自分の小学校時代のことを思い返してみると、
小学校を卒業してから30年以上が過ぎても、古い木造校舎の間取りも覚えているし、
中学校の校歌は忘れても、小学校の校歌は口ずさむことができます。
私の実家の家族は、
私を含めて、祖母、両親、兄弟、そしてその子供たちと、
約100年にわたって同じ小学校を卒業しました。
尋常小学校、国民学校、新制小学校と、
時代によって教育の制度や校舎の形は違えども、
家族全員が一本の団子の串のように、
世代をこえて共通のプロフィールでつながっています。
その意味を考えると、
あらためてその幸運に感謝せずにはいられません。
私の通った小学校は、田舎の学校だったので、
裕福な家庭の子供もいれば、極端に貧しい家庭の子供もいました。
いまの都会のように、住んでいる地域によってある程度決まってしまう、
「その地域の平均的な家庭」というものがないのです。
また、私立の学校もないので、成績による学級編成や、
似たような学力の子供たちが集まるということもありませんでした。
将来、東大に入るような成績優秀な子供もいれば、
勉強はまるでダメだけれど、スポーツが得意だったり、
絵がずば抜けて上手いといった子供が同じ学級にいたりしました。
受験で選抜される高校や私立の学校に比べれば、
小学校は、はるかに実社会に近い社会性をともなった世界だったのです。
私が故郷を離れ、都会に生活の根をおろしてずいぶんたちます。
ここで子供を育てながら、時おり子供に説教をたれるとき、
それが田舎の小学校で学んだことだったと気付かされるときがあります。
自分が意識していないだけで、
それほどまでに、小学校時代の記憶というものは心と体に染みついているようです。
祖母がそうであったように、
「いつの日か、私もあの日に還るときが来るのだろうか」 と最近思うのです。
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