くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

「お断り」の心得 その1

2011-11-21 21:23:56 | 総務のお仕事(いろいろ)
「言いにくいことこそ、自分から電話する」
これが「断る」ときのコツです。

総務には広告依頼や物品販売のセールス、
福利厚生の提案や経費削減のコンサルタントなど、
さまざまな売り込みがきます。

飛び込み営業などは、その場でお断りすることがほとんどですが、
なかにはお得意様からの紹介だとか、昔からのおつき合いがあったりして、
後日断ることが明らかな場合でも、無下に即答できないこともあります。

そんなときは、回答を保留にしがちですが、
相手から連絡があるまで放っておくのではなく、
頃合を見て、こちらから「断り」の電話をしたほうが良いものです。

特に回答の期日があるような場合は、
ぎりぎりまで検討していたというようなポーズをとるのではなく、
むしろそういうときこそ、早めにこちらから「断り」の回答をすべきです。

人は、「断る」場合にはどうしても引け目を感じてしまうものです。
「断る」つもりなのに期限ぎりぎりまで回答を保留し、
相手から回答を求める電話がかかってくると、ますます負い目を感じるものです。

相手はその微妙な心理を感じ取り、
「そこを何とか・・・」などと食い下がってきます。

しかし、こちらから早めに連絡すれば、
相手は頼んだ手前、「わざわざ連絡して来てくれた」と、
逆に引け目を感じさせることができます。
心理的に、まったく逆転するのです。

また、電話をかけたのはこちらですので、
用件を伝えたあとは、心置きなく自分のペースで電話を切ることができます。
さらに、早めに連絡することによって、相手も「待たされた」という感覚がないため、
あきらめも早く、粘られる確率もうんと低くなります。

「お断りの電話は、自分からかける」 
これがしつこく粘られないための原則です。


歴史は繰り返す

2011-11-20 22:52:03 | 政治経済のことも考えよう
「将来の電力行政を考えたら、日本に原発は必要」
福一原発の事故以降も政治家や官僚のそんな発言を聞きます。

かつて尾瀬をダム湖にしようとしたときも、似たような議論があったそうです。

戦後、高まる電力需要に備え、
尾瀬の水利権を獲得した電力会社と行政とが一体となって、
尾瀬にダムを建設する計画が推進された時期がありました。
そして自然保護の観点から。国民的な反対運動が巻き起こると、
「尾瀬にダム(水力発電所)を造らなければ、日本の電力行政に責任をもてない」
そう官僚は言い放ったといいます。

しかし、そんな官僚の見通しに反して、
やがて水力発電の時代は終わり、火力発電が主流となっていきました。
東京電力が尾瀬の水利権を放棄し、ダム建設の計画が正式に中止になったのは、
なんと50年近くも経た、1996年のことでした。
おそるべき執念です。

「見通しは見誤る」「代替の政策は考えられない」
そして「改められない」「実行できない」というのは、
いまに始まったことではないようです。

尾瀬のダム建設反対運動は、
わが国における自然保護運動のはしりであったといいます。
原子力発電でもまた、国民の中から同じような声がわきあがらなければ、
日本の電力行政は変わっていかないのかもしれません。




世界でもっとも危険な国?

2011-11-19 23:59:28 | 総務のお仕事(防災)
ある土木技術者の講演を聞きました。

日本列島は南北に弧状に伸びています。
この形のおかげで気候や植生は変化にとみ、
モンスーンと海流が豊かな水と食料をもたらしました。

しかし、一方で日本列島は、
太平洋プレートとフィリピン海プレート、
ユーラシアプレート、北米プレートがぶつかり合う、
とても不安定な場所に位置しています。

豊かで美しいけれども、
地震、噴火、津波、台風といった災害の危険に常にさらされている国、
それが日本です。
こんな国は、世界中どこをさがしてもありません。

そんな国土に住む日本人は、昔から災害にみまわれては克服し、
やがて、災害に備える智恵を身につけ、技術を発展させてきました。
日本の土木・建築技術が世界最高水準になったのは、
長きにわたる自民党の公共事業政策が理由ではないのです。

災害に対する考え方はさまざまです。
被害を最小限にするため。人間の智恵と技術で国土に手を加える。
あるいは、どうせ避けられない災害ならば、いっそ悪あがきをやめて自然にまかせ、
壊れたらそのたびに造りなおす。

防災工事にはお金もかかるし、
災害がなければムダ遣いだとして批難もあびます。
しかし、悪あがきをやめれば、
時として自然は、多くの人の命と財産を容赦なく奪っていきます。

何が正しいかなんて、誰にもわかりません。
ただ、災害が起きたとき、失われた人の命と財産は報道で伝えられるけれども、
「砂防ダムがあって救われた」「堤防によって助かった」といった、
起きなかった被害は報道されないということを認識しておかねばなりません。

そして、どのような道を選ぶにしろ、決して忘れてはならない現実。

それは、この世界に類を見ない不安定な場所に日本があり、
その国土の上に私たちが住み、数多くの原発があるということです。

この半年あまりの間に、
私たちはそのことを嫌というほど思い知らされたはずなのですから。


いまならアウト!

2011-11-18 23:02:45 | 総務のお仕事(反社対応)
昔は年末が近づくと、会社の出先の事務所へ
コワモテの人が正月飾りを押し売りにきたものでした。

私が初めて遭遇したのは新入社員の冬、
年の瀬もおしせまって事務所が長期休暇に入り、
たまたま電話番をしていたときでした。

テキ屋系の反社団体を名乗ったその男は、
私が、事務所の責任者がすでに休暇に入っていることを告げると、
「にいちゃんの小遣いで買えるような値段じゃねぇからいいよ」
と言って残念そうに引き揚げていきました。

しかし、一方で別の事務所では、
やはり若い社員が別の団体に押し売られていました。
彼は値段を聞かされて、「そんなお金、持っていません」と断ったら、
「本当かどうか見せろ」と言われ、財布を見せてしまいました。
そして、その中に7千円が入っているのを確認され、
「しょうがねぇな、大負けに負けてやるよ」と言われて、7千円で買わされたそうです。

その男は、普通の会社名が書かれた領収書と、
それは立派な正月飾りを置いていったそうです。
(言い値は1万7千円。モノはかなり立派なものだったそうです)

後日、経理からは「カツアゲに遭った中学生か、オマエは!」とさんざん説教され、
事務所では、事情を知らないお客さんたちから「立派なお飾りですねぇ」と感心され、
苦笑いするしかなかったそうです。

いまなら反社会的団体や悪質商法などについて、
正しい対応の仕方や断り方を研修や講習会で教えてくれますが、
当時は暴対法も、暴排条例もない時代でした。

法律を知ることは、私たち一般人が、
理不尽な暴力に対抗する武器を身につけることでもあります。



言えない言葉?

2011-11-17 00:37:38 | つれづれなるまま
だいぶ前になりますが、
朝日新聞の投書欄に次のような投書が掲載されていました。

「がんばっている人に『がんばれ』と言ってはいけない風潮がある。
 『こんなにがんばっているのに、もっとがんばれというのか』という気持ちはよくわかる。
 しかし、私は『がんばれ』と言って応援してくれる人の気持ちをうれしく思うし、大切にしたい」

細かい内容は忘れましたが、おおむねこのような内容でした。
投書したのは東日本大震災の被災者で、確か女子高校生だったと記憶しています。

また一方で、このような投書を見たこともありました。

「『がんばれ』と言われると、
 こんなに辛い思いをしているのは自分が悪いからなのか、と思ってしまう。
 自分の努力が足りないと言われているようで、ますます苦しくなる」

同じように「がんばれ」と言われ、
相手の気持ちに思いいたる人もいれば、自分を振り返って自分を責める人もいます。
言われた人の境遇の程度に違いはあるでしょうが、
同じ言葉でも、人によって受け取り方にこれだけの違いがあります。

いつの頃からか、「がんばれ」という言葉は「言ってはいけない言葉」、
「ネガティブな言葉」として受けとられるようになりました。
昔は病気や怪我の治療も、運動会も、受験勉強も、スポーツの試合も、
なんでもかんでも「がんばってください」と励ますのがあたりまえでした。

いまは、いろいろな本を読んでみても、
「励ますのではなく、共感してあげることが大切である」と書かれています。
「がんばれ」と言うのではなく、「それは大変ですね」と共感し同情してあげ、
心の負担を軽くしてあげることが大事だといいます。

確かに「がんばって」と言われるよりも、
「大変ですね」と言われた方が、気遣われているようで心地よいものです。
しかし、一方で「がんばろう」と自分を鼓舞する気持ちが萎えるのも事実です。

いまは、相手の気持ちをよくよく汲んで、
「がんばってください」と言って良い状態かどうかを見極めてから出ないと、
励ましたほうが「悪者」や「ひとでなし」にされてしまう時代になりました。

こんな風潮をなんだか残念に思います。
私は断然、「がんばって」と言われるほうがいい。
なぜなら、そのほうが「がんばれる」から。

そんな風に感じるのは、
私がまだまだ本当に辛い目に遭っていないということなのでしょうか。